・所在地:奈良県天理市渋谷町357

古墳ランキング > 7位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:4世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「山邊道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)」として第十二代景行天皇の陵に治定されている。

江戸時代には、祖父にあたる第十代崇神天皇の陵と思われていた。築造年代は現在の崇神天皇陵であり、付近にある行燈山古墳(奈良県・天理市)より少し遅れた4世紀後半と推定される。

全長310メートル、前方部幅170メートル高さ23メートル、後円部径168メートル高さ23メートル。柳本古墳群に属する、全国第7位の規模の前方後円墳。

墳丘は東西方向に主軸をおき、後円部は正円形で3段築成、前方部も3段で築かれている。周濠は盾形をなす。墳丘両側の谷を堰き止めて作った階段状の周濠。周濠は、後世の改変を経ているとされるが、周濠への湛水のために設置されている渡土堤うち、いくつかが古墳造営当初のものと調査の結果判明している。

景行天皇は、ヤマトタケルの父として有名。古事記ではヤマトタケルを恐れ疎んじたために、ヤマトタケルは西は九州から、東は常陸まで、遠征という名の遠ざけられた形になった。一方で、第十六代仁徳天皇にも負けないほどの女好きであり、最終的に80人の皇子・皇女に恵まれた。

古事記では御陵について、「山辺の道上にあり」としている。

なお、父である第十一代垂仁天皇の陵は宝来山古墳(奈良県・奈良市)に、母ヒバスヒメの陵は佐紀陵山古墳(奈良県・奈良市)に、それぞれ治定されている。

また、先の皇后であるイナビノオオイラツメの陵は日岡陵(兵庫県・加古川市)に、その子のオオウスの墓は大碓命墓(愛知県・豊田市)に、ヤマトタケルの墓は能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)、大和琴弾原古墳(奈良県・御所市)、軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)に、カムクシの墓は神櫛王墓(香川県・高松市)に、それぞれ治定されている。

実兄のイニシキイリビコの墓は淡輪ニサンザイ古墳(大阪府・泉南郡岬町)に、実妹のヤマトヒメの墓は尾上御陵(三重県・伊勢市)に、異母兄弟のイコバヤワケの墓は西法華寺古墳に、イワツクワケの墓が羽咋御陵山古墳(石川県・羽咋市)に、それぞれ治定されている。

子で次代の第十三代成務天皇の陵は佐紀石塚山古墳(奈良県・奈良市)に治定されている。

関係は、天皇家の系譜に詳しい。
渋谷向山古墳(奈良県・天理市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
渋谷向山古墳 - Wikipedia

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