・所在地:奈良県天理市柳本町1630

古墳ランキング > 16位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:4世紀前半
・時 代:古墳時代前期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」として第十代崇神天皇の陵に治定されている。

現在の国道169号沿い、龍王山の斜面の先端を利用して造られており、平野の方に前方部を北西に向けている。後円部がより高い山側にある。 三輪山の山麓に築かれた柳本古墳群の中でも、渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に次ぐ大きさ。

墳丘は全長が242メートル、正円形で3段築成の後円部は直径158メートル、高さ23メートル。全国16位の規模。

遙拝所に続く参道の両側に2基の陪塚があり、やはり前方後円墳である。北側が北アンド山古墳(全長120メートル)、南側が南アンド山古墳(全長60メートル)で、それぞれ行燈山古墳の2分の1、4分の1の全長。国道169号を渡った西側にある大和天神山古墳も陪塚とされる。

幕末の文久の修陵の開始時には、本古墳が孫にあたる第十二代景行天皇の陵だったのが、修陵事業の完成直前の1865年(慶応元)2月に、崇神天皇陵に取り替えられた。景行天皇陵は現在、付近にある渋谷向山古墳に治定されている。治定陵のため、その後の調査などは行われていない。

崇神天皇は、古事記においては、三輪山のオオモノヌシの祟りを治めること、三道将軍を派遣して領土拡大を図ったことなどが記されている。陵墓に関しては、「山邊道勾(やまのべのみちのまがり)」にあるとある。

なお、父の第九代開化天皇の陵は念仏寺山古墳(奈良県・奈良市)に、子の第十一代垂仁天皇の陵は宝来山古墳(奈良県・奈良市)に、ヤマトヒコの墓は桝山古墳(奈良県・橿原市)に、別の妃の子のオオイリキの墓は小田中親王塚古墳(石川県・鹿島郡)に、ヤサカイリビコの墓は大萱古墳(岐阜県・可児市)に、異母兄弟にあたるヒコイマスの墓は日子坐命墓(岐阜県・岐阜市)に、それぞれ治定されている。

関係は、天皇家の系譜に詳しい。

近くには寄れないが、拝所から望むだけでも美しい古墳。
行燈山古墳(奈良県・天理市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
行燈山古墳(崇神陵)

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