劔神社 - Wikipedia
日本一有名な武将・織田信長。代々子孫の名前には“信”の文字が使われてきましたが、次世代の当主でその伝統が途切れるといいます。いったいなぜ「信」を使わなかったのか。その理由を織田家第18代当主・織田信孝(のぶたか)氏が明かしたと言います。dot.ドット 朝日新聞出版が報じています。写真は劔神社(出典:Wikipedia)。

織田信孝氏のインタビューにもあるように、また氏が結婚式を挙げた、福井県丹生郡越前町にある劔神社(つるぎじんじゃ)が織田氏の発祥とされています。かの織田信長も、この神社の神官の出自、とのこと。

劔神社は、第十一代垂仁天皇の皇子イニシキイリビコが作らせた神剣がご神体となっています。イニシキイリビコは第十二代景行天皇の実兄で、古事記においてだけでも、剣の神社で有名な石上神宮に大刀1000振りを納めていたり、剣と縁の深い皇子です。

また、古事記にはありませんが、イニシキイリビコは石上神宮の神宝の管掌を務めた言います。

このイニシキイリビコゆかりの神剣は、第十四代仲哀天皇の皇子・忍熊王が譲り受け、高志国(越の国)の賊徒討伐を進め、無事平定したという伝承があります。忍熊王も古事記ゆかりの人物。仲哀天皇の皇后である神功皇后とその皇子である後の応神天皇に反逆し、琵琶湖で入水して果てる皇子です。

越前と言えば、やはり応神天皇ゆかりの気比神宮がありますが、劔神社はそれに次ぐ越前二宮であり、気比神宮の気比大神が仲哀天皇とされる関係から、仲哀天皇と忍熊王、父子そろって越前の地を安んじるために祀られたとも言います。

劔神社は織田明神とも言いますが、だからこそ、尾張織田家はこの故郷の名にちなみ、織田を名乗るようになった、とされています。本家本元、元祖織田家、ということになります。

その後、イニシキイリビコの神剣を御霊代として、スサノヲの神霊を勧請して、現在ではスサノヲが劔神社の主祭神となっています。信長の天下統一も、こうした古事記の時代から連なる神剣、あるいはスサノヲのご加護があった、のかもしれません。

後代に「信」の字を付けないという元当主の胸中については、dot.ドット 朝日新聞出版に掲載されているインタビューが詳しいですが、それも世の移り変わりの一つかと。伝統は何が何でも守るものではなく、いつ何時も新しいチャレンジは必要ですし、やはり本質が大事なのかな、と思います。

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