・所在地:奈良県奈良市佐紀町1214-12

古墳ランキング > 23位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)」として第十六代仁徳天皇皇后のイワノの陵に治定されている。

奈良市佐紀町字ヒシゲにある、全長219メートル、後円部径124メートル、後円部高さ16.2メートル、前方部幅145メートル、前方部高さ13.6メートルの前方後円墳。全国第23位の規模。佐紀盾列古墳群に属する。

近くにあるウワナベ古墳コナベ古墳と同じように、前方部を南に面した3段築成の前方後円墳で、前方部に二重濠があり、珍しい。

1993年に奈良県立橿原考古学研究所が行った調査では、後円部東側くびれ部相当の内堤の外法肩部分で円筒埴輪列が見つかった。現在、奈良県の風致保全整備事業の公園となって一部は遺構が復元され、複製埴輪が立つ。また外濠を横断する渡土堤の存在も確認された。

イワノは仁徳天皇の皇后として、後に次々と即位する第十七代履中天皇、第十八代反正天皇、第十九代允恭天皇の母でもある。嫉妬深く、直情的(だから、空前絶後の皇后の家出が行われた?)であるものの、それだからこそ、かもしれないが、古代有数の女好きにしては子どもが思いのほか少ない仁徳天皇の子により多く恵まれた。

宮内庁ではコナベ古墳も被葬者候補をイワノとする「小奈辺陵墓参考地」としている。

なお、夫である仁徳天皇の陵は大仙陵古墳(大阪府・堺市)に、子の履中天皇の陵は上石津ミサンザイ古墳(大阪府・堺市)に、反正天皇の陵は田出井山古墳(大阪府・堺市)に、允恭天皇の陵は市ノ山古墳(大阪府・藤井寺市)に、それぞれ治定されており、祖父である建内宿禰の墓は室大墓古墳(奈良県・御所市)が有力視されている。
ヒシアゲ古墳(奈良県・奈良市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
ヒシアゲ古墳 - Wikipedia

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