・所在地:奈良県奈良市法華寺町
・古墳ランキング > 13位
・大王(オオキミ)墓候補
・時 期:5世紀中葉
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地
【概要】
宮内庁により「宇和奈辺陵墓参考地」(被葬候補者:第十六代仁徳天皇の皇后であるヤタノ)として陵墓参考地に治定されている。付近に存在する大小60あまりの古墳集団である佐紀盾列古墳群(ウワナベ古墳群)の東端に位置している。
前方部幅129.5メートル、後円部径128メートル、全長205.4メートル、前方部高16メートル、後円部高19.8メートル。全国第13位の規模を持つ。
コナベ古墳と並んで築造されている。航空自衛隊奈良基地の正門前にウワナベ古墳とコナベ古墳の標識が立っている。基地を挟んで、東側がウワナベ古墳、西側がコナベ古墳。近くにはヒシアゲ古墳もある。
陵墓参考地のため、調査研究が進んでいない。古墳は前方部が南に向いて造られており、墳丘は三段築成、左側くびれ部に造出し部を持ち、周囲に幅の広い濠を構える、円筒埴輪列と葺石の存在が確認さた、かつて東側に1基、北部に6基の陪冢があった、築造時期は5世紀中葉と考えられている、など。
ヤタノは仁徳天皇の異母妹に当たる。時の皇后イワノが留守の際に、仁徳天皇が手を付け、イワノが激怒し家出。家出騒動は収まったものの、その後も仁徳天皇はヤタノとの愛を育み続けた。古事記には二人が交わした愛の歌(仁徳天皇→ヤタノ、ヤタノ→仁徳天皇)が収録されている。古事記にはないが、イワノ死後、ヤタノが立后される。
なお、夫である仁徳天皇の陵は大仙陵古墳(大阪府・堺市)に治定されている。 【関連サイト】
・ウワナベ古墳 (宇和奈辺陵墓参考地)
【関連記事】
・ウワナベ古墳 - 仁徳天皇の後の皇后ヤタノの陵?性格に反して、どでかいスケール
・【古事記紀行2014】(11)古代最強のツンデレ・イワノにはきっちりお墓参り
・古墳ランキング > 13位
・大王(オオキミ)墓候補
・時 期:5世紀中葉
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地
【概要】
宮内庁により「宇和奈辺陵墓参考地」(被葬候補者:第十六代仁徳天皇の皇后であるヤタノ)として陵墓参考地に治定されている。付近に存在する大小60あまりの古墳集団である佐紀盾列古墳群(ウワナベ古墳群)の東端に位置している。
前方部幅129.5メートル、後円部径128メートル、全長205.4メートル、前方部高16メートル、後円部高19.8メートル。全国第13位の規模を持つ。
コナベ古墳と並んで築造されている。航空自衛隊奈良基地の正門前にウワナベ古墳とコナベ古墳の標識が立っている。基地を挟んで、東側がウワナベ古墳、西側がコナベ古墳。近くにはヒシアゲ古墳もある。
陵墓参考地のため、調査研究が進んでいない。古墳は前方部が南に向いて造られており、墳丘は三段築成、左側くびれ部に造出し部を持ち、周囲に幅の広い濠を構える、円筒埴輪列と葺石の存在が確認さた、かつて東側に1基、北部に6基の陪冢があった、築造時期は5世紀中葉と考えられている、など。
ヤタノは仁徳天皇の異母妹に当たる。時の皇后イワノが留守の際に、仁徳天皇が手を付け、イワノが激怒し家出。家出騒動は収まったものの、その後も仁徳天皇はヤタノとの愛を育み続けた。古事記には二人が交わした愛の歌(仁徳天皇→ヤタノ、ヤタノ→仁徳天皇)が収録されている。古事記にはないが、イワノ死後、ヤタノが立后される。
なお、夫である仁徳天皇の陵は大仙陵古墳(大阪府・堺市)に治定されている。 【関連サイト】
・ウワナベ古墳 (宇和奈辺陵墓参考地)
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