・所在地:滋賀県米原市村居田410
・経緯度:北緯35度40分17.02秒 東経136度33分74.07秒

・時 期:5世紀
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
第三十代敏達天皇の皇后であるヒロヒメの「息長陵」。

ヒロヒメは、オキナガノマテの娘で、古事記によれば、姉妹に第二十六代継体天皇の妃になったオクミノイラツメがいる。

敏達天皇との間に、オサカノヒコヒト(後の第三十四代舒明天皇の父)らをもうける。

村居田古墳は息長広姫陵古墳群の一つで、60メートル級の前方後円墳。村居田古墳が治定陵ともされる場合があるが、息長陵古墳群は村居田古墳と陪塚1基からなり、陪塚が治定陵とみるのが有力。

村居田古墳からは、元禄9年(1698年)、光運寺本堂改築工事中に長さ2.2メートル、幅1.1メートルの縄掛突起を持った家形石棺が出現し、近年の石垣改修工事で多数の円筒埴輪片が出土した、とされる。

村居田古墳は、出土物から5世紀末の築造と考えられ、ヒロヒメとは時代が合わないとも指摘される。

同市井之口には皇后塚古墳と呼ばれる古墳が二基(皇后塚古墳、皇后東塚古墳)あり、息長陵が治定されるまでは、皇后塚が敏達天皇皇后広姫の墳墓だと認識されていたこともあったという。

なお、夫・敏達天皇の陵は太子西山古墳(大阪府・太子町)に、子オサカノヒコヒトの墓は新木山古墳(奈良県・北葛城郡)に、それぞれ治定されている。

【関連サイト】
米原市の古墳・遺跡