・所在地:三重県伊賀市阿保883
・経緯度:北緯34度66分46.81秒 東経136度17分53.05秒

・時 期:6世紀初期
・時 代:古墳時代後期
・形 状:方墳
・特 徴:0
・指 定:宮内庁治定

【概要】
第11代垂仁天皇の皇子イコバヤワケの墓で、宮内庁治定による「息速別命墓」。通称として「阿保親王墓」。日本書紀では池速別命、日本三代実録や新撰姓氏録では息速別命、続日本紀では息速別皇子と表記される。

古事記には沙本の穴本部(阿保)の別の祖とあるのみで、具体的な事績の記述はない。新撰姓氏録では、幼少の時に父である垂仁天皇により伊賀国阿保村(現・三重県伊賀市阿保周辺)に宮室が築かれ、同村を封邑として授けられた。三国地志では、その宮が営まれた地を阿保南部の字福森から字西ノ森にかけての緩らかな丘陵地帯に比定している。

この墳墓は、旧伊賀国一帯で円筒埴輪を伴う唯一の古墳ではあるが、6世紀初期の築造であり、時代が合わないために治定を疑問視する声もある。イコバヤワケのものではなく、伊賀市阿保を本拠とする後裔氏族(阿保氏)の墳墓とする説もある。

イコバヤワケの墓は、近くにイコバヤワケをご祭神とする大村神社があり、参道入口から社殿周辺にかけて、円墳数基を含む宮山古墳群があるが、その中の最古のものではないかとの指摘がある。

大村神社の伝承などもあわせて考えると、その可能性が高いか。下記は大村神社境内内の掲示板ご由緒。

当社は延喜式神名帳所載の古社で御祭神大村の神は第11代垂仁天皇の皇子(息速別名)で伊勢神宮を奉鎮せられた倭姫命の弟宮に当たる。社域は宮室の築かれた所で、命及び御子孫が代々居住し、大和文化の移入、土地・産業の開発に尽くされ伊勢南部一帯の総社として広く崇敬を集めている。相殿奉祀の武甕槌神・経津主神は神護景雲元年に常陸下総国より三笠山御遷幸の途次に奉祭、共に奉祭された要石は土地の鎮め、地震除災の信仰を集めている。

なお、イコバヤワケの父である垂仁天皇の陵は宝来山古墳(奈良県・奈良市)に、異母兄弟のイニシキイリビコの墓は淡輪ニサンザイ古墳(大阪府・泉南郡岬町)に、第十二代景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、イワツクワケの墓が羽咋御陵山古墳(石川県・羽咋市)に、それぞれ治定されている。

【関連サイト】
大村神社 - 延喜式内神社
地震の神様・大村神社の要石(かなめいし)を訪ねる - 青山観光協会