・所在地:愛知県豊田市猿投町大城5
・経緯度:北緯35度17分52.80秒 東経137度17分76.14秒

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
第十二代景行天皇の皇子オオウスの墓。古事記だけを読むと、「なぜここにオオウスの墓が?」という疑問だけが残るが、治定は日本書紀に基づくもの。景行天皇から、蝦夷の討伐を命じられたオオウスですが、怖気ついたため、蝦夷討伐は弟のオウスに託される。

その代わりに封じられたのが美濃。景行天皇は、皇子・皇女合わせて80人の子だくさん。それらの子どものほぼすべてを全国各地に派遣したと古事記にもある。オオウスが命じられたのが美濃ということになる。

美濃国に赴いてからは開拓に尽力したが、猿投山にて蛇毒にあたり同地で薨去。享年42歳とされる。オオウスを祀る猿投神社がある。

古事記では、弟オウスに凹られて惨殺されるオオウス。その前には父・景行天皇に命じられて、三野国造の祖のオオネの娘であるエヒメオトヒメの姉妹を迎えに来たが、美しかったのでこっそり自分の妃にしてしまう。ともかく、古事記からも美濃(=三野)とのかかわりを連想させる。

ちなみに、弟のオウスは、暗殺した熊襲建から名をもらって、ヤマトタケルとなる。

宮内庁に治定されているため、円墳だろうということぐらいしかわかっていない。ただし、訪問には注意が必要で、最寄りの猿投神社からでも歩いて1時間程度、車道が通ってはいるものの険しい林道(舗装はされている)なので、車も注意が必要。最も参拝しづらい古墳の一つに挙がっている。

なお、父である景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、母イナビノオオイラツメの陵は日岡陵(兵庫県・加古川市)に、実弟であり、古事記では自身を殺したとされるオウス、つまりヤマトタケルの墓は能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)、大和琴弾原古墳(奈良県・御所市)、軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)に、別の実弟であるカムクシの墓は神櫛王墓(香川県・高松市)に、異母兄弟である第十三代成務天皇の陵は佐紀石塚山古墳(奈良県・奈良市)に、それぞれ治定されている。

【関連サイト】
景行天皇皇子 大碓命墓 - 陵墓探訪記
大碓命墓 - 城とか陵墓とか