・所在地:新潟県胎内市東川内184
・時 期:4世紀前半
・時 代:古墳時代初期
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
水田地帯の中に、比高5m程度の墳丘部が残り、頂部には祠が祀られている。4世紀前半に築造。前期古墳時代のものとしては、日本海側最北端であると目されたが、前方後円墳ではないことが明らかになった。1995年以降、地元の教育委員会の手により調査が実施され、2012年からは副葬品の発掘調査が行われている。
出土した歯より被葬者は10-20代とみられる。棺周辺部に赤色の顔料が大量に用いられていること、多くの副葬品などから、大和朝廷が東北方面へ進出していく過程の手がかりになりうるものとして位置づけられている。
龍を浮き彫りにした銅鏡(盤龍鏡)が出土。このデザインは、1世紀-3世紀頃の中国(後漢、魏、晋代)にみられるものであり、日本では珍しい。古墳の築造年代とずれているため、中国から直接持ち込まれたものではなく(国産であったとしても)、大和朝廷を介して地域にもたらされたものと考えられている。
弓に取り付ける鉄製の金具。以前に長野市の大星山古墳(3号墳)から出土したものを上回る年代であり、2012年現在、日本最古の出土品となっている。
2014年11月、市教育委員会は、もともと円墳と追われていたこの古墳が、前方後円墳の可能性があると発表。そうなると、日本海側では最北とされていた菖蒲塚古墳をさらに50キロほど北上して、前方後円墳の北限を更新することになる。
しかし、2015年9月、継続調査の結果、その可能性を示す要素はなかった、と、前方後円墳ではないことがほぼ確定した。
【関連サイト】
・掘! 城の山古墳 ~発掘チーム 水澤幸一さんのお話~ - 新潟文化物語
【関連記事】
・前方後円墳の日本海側北限が50キロ北上、ではなかった、胎内市「城の山古墳」 - 新潟県
・日本海側の前方後円墳の北限が更新される可能性 - 日本の古墳の北限についていろいろ
・前方後円墳の日本海側北限50キロ北上「城の山古墳」、2014年12月にシンポ - 新潟・胎内
・日本海側最北の前方後円墳? 各社が報道する「城の山古墳」、ニュースまとめ - 新潟・胎内
・時 期:4世紀前半
・時 代:古墳時代初期
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
水田地帯の中に、比高5m程度の墳丘部が残り、頂部には祠が祀られている。4世紀前半に築造。前期古墳時代のものとしては、日本海側最北端であると目されたが、前方後円墳ではないことが明らかになった。1995年以降、地元の教育委員会の手により調査が実施され、2012年からは副葬品の発掘調査が行われている。
出土した歯より被葬者は10-20代とみられる。棺周辺部に赤色の顔料が大量に用いられていること、多くの副葬品などから、大和朝廷が東北方面へ進出していく過程の手がかりになりうるものとして位置づけられている。
龍を浮き彫りにした銅鏡(盤龍鏡)が出土。このデザインは、1世紀-3世紀頃の中国(後漢、魏、晋代)にみられるものであり、日本では珍しい。古墳の築造年代とずれているため、中国から直接持ち込まれたものではなく(国産であったとしても)、大和朝廷を介して地域にもたらされたものと考えられている。
弓に取り付ける鉄製の金具。以前に長野市の大星山古墳(3号墳)から出土したものを上回る年代であり、2012年現在、日本最古の出土品となっている。
2014年11月、市教育委員会は、もともと円墳と追われていたこの古墳が、前方後円墳の可能性があると発表。そうなると、日本海側では最北とされていた菖蒲塚古墳をさらに50キロほど北上して、前方後円墳の北限を更新することになる。
しかし、2015年9月、継続調査の結果、その可能性を示す要素はなかった、と、前方後円墳ではないことがほぼ確定した。
【関連サイト】
・掘! 城の山古墳 ~発掘チーム 水澤幸一さんのお話~ - 新潟文化物語
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