・所在地:新潟県新潟市西蒲区竹野町2876

・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
角田山東麓の台地先端部にある。本古墳は金仙寺境内に所在し、その周辺は「越王」(こしわ)と通称されている所である。 全長53メートル、後円部径33メートル、同高さ3メートルで、前方部高さ2メートルと後円部より前方部が低い。 新潟県内では最大クラスである。1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。

1811年(文化8)刊行の『北越奇談』に、盗掘による古鏡・壺の出土が記されており、同古墳出土と伝えられる面径22.7センチの鼉龍鏡(だりゅうきょう)が現存。ほかに同古墳から出土したと伝えられる翡翠(ヒスイ)製勾玉、碧玉製管玉が存在しており、これらの鏡と玉の型式は、菖蒲塚の古式の墳形とは矛盾せず、造営年代は5世紀代と推定される。

西へ500メートルほどの同じ続きの台地にある南赤坂遺跡では、北海道の続縄文土器や折衷土器、石器類などがまとまって出土しており、この種の遺跡の南限となっている。北方から来た人々が一定期間滞在した居留地であった可能性が高く、集落の盛衰は菖蒲塚古墳の築かれた時期と一致する。菖蒲塚古墳に葬られた首長が力をつけていった背景には、そのような北方の人々との交流も大きかったことが考えられる。

菖蒲塚古墳の墳丘は、平安時代の終わりから室町時代にかけて経典を埋納した経塚としても利用されており、現存する経筒などは国の重要文化財に指定されている。当時この地が神聖な場所として広く人々に認識されていたことが分かる。

2014年11月、円墳だと思われていた城の山古墳が前方後円墳である可能性が出てきたため、日本海側の前方後円墳の北限が城の山古墳になる可能性が出てきた。

【関連サイト】
国指定史跡 菖蒲塚古墳 - 新潟市

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