奈良県奈良市春日野町1
北緯34度68分48.45秒 東経135度83分78.48秒
訪問日:2014年10月17日早朝
春日神社から近鉄奈良駅の方へ戻る途中、東大寺大仏殿を過ぎて、しばらく行くと到着しました。
氷室神社は、平成22年で創建1300年と言われるので、ほぼ古事記成立と同じ。古事記とともに歩んできた神社と言えそうです。ご祭神は、
・闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)
・大鷦鷯命(おおささぎのみこと)
・額田大仲彦命(ぬかたのおおなかつひこのみこと)
古事記にはない説話ですが、古事記で描かれている時代のお話。
額田大仲彦命が闘鶏の地で穴倉を見つけたので、あの穴倉は何だ、と問うたところ、闘鶏稲置大山主命が登場して、「氷室です」と答えたため、額田大仲彦命は大王である大鷦鷯命にその氷を献上した、と言います。
大鷦鷯命は第十六代仁徳天皇。
額田大仲彦命は仁徳天皇の異母兄で、第十五代応神天皇の皇子、古事記には額田大中日子命(ぬかだのおおなかつひこのみこと=ヌカダノオオナカツヒコ)として、名前だけ登場します。
闘鶏稲置大山主命は古事記には登場しませんが、都祁直(つげのあたい)という姓が、初代神武天皇の皇子で、二代綏靖天皇の兄にあたるカムヤイミミを祖とする系譜で登場します。闘鶏は都祁と同義、もともと直だった姓は、第十九代允恭天皇の御世に不敬があったとして稲置に格下げされたもの、といいます。
そのため、仁徳天皇の御世では「稲置」ではなかった可能性があります。
それはともかくとして、都祁村は 2005年4月1日に奈良市に併合されるまで実際に存在した村で、都祁の名称は今でも小学校名などで残っています。大変な歴史です。
また、漫画『さんすくみ』の舞台の一つ。
さて、祓所です。 四脚門と呼ばれる、拝殿・本殿に至る門と、その手前、右手にしだれ桜が見えます。 四脚門にまつわる、由緒です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 しだれ桜です。氷室神社はこのしだれ桜で有名です。 神社の説明と由緒によれば、「氷室神社の主祭神は、闘鶏稲置大山主命と申し上げる奈良の東山一帯の山の神であり、まさにこの桜は山の神様からの春を告げるしるべ」であるといいます。
「稲作農耕を主体とする暮らしにおいて、種まきの時期を知らせる花樹をサクラ、つまり「サの神=稲魂(いなたま)」の依代として大事なもの」で、「お花見の伝統の背景にはこうした基層文化が」あるといいます。(氷室神社公式サイトなど)
さて、拝殿・舞殿です。右手から。 拝殿・舞殿、左手から。奥に本殿が見えます。 氷室神社舞殿(拝殿)の説明板です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 参拝を済ませ、四脚門から出て、境内を望みます。 拝殿に向かって境内の左手にある招魂社です。 氷室神社とは関係ありませんが、氷室神社を出て、近鉄奈良駅の方向に向かって歩いていたら出会ったお社。春日大社・末社の拍子神社です。 ご祭神は狛近真 (こまのちかざね)、鎌倉時代の雅楽の達人であり、南都楽所の祖です。諸芸上達の神様として仰がれています。
古事記に記載のない説話とは言え、古事記ゆかりの神様をお祀りする氷室神社。
ヌカダノオオナカツヒコと、仁徳天皇は不仲だった、という話もあります。ヌカダノオオナカツヒコは、かの大山守命の実兄でもあるので、応神皇太子である和紀郎子はもとより、仁徳天皇とも仲が良かったとは、確かに思えません。
しかし、弟の大山守命による反逆とその失敗、和紀郎子の早逝、大雀命の即位、つまり仁徳天皇の治世が固まるにつれて、抵抗することが難しくなったヌカダノオオナカツヒコは、仁徳天皇に歩み寄ろうとした、その献上品として都祁の氷室の氷が選ばれた、のかもしれません。
もともとは氷の神と思われる闘鶏稲置大山主命ですが、今では山の神となり、人々に春を告げる桜の開花を司る神でもあります。「夏を越しても消えない」氷の室の神様も、春風同様、仁徳天皇とヌカダノオオナカツヒコの「氷解」に一役買った、のかもしれません。 古事記紀行2014 > (7)春日大社 > 氷室神社 【関連記事】
・[動画]氷室神社(奈良市) - 奈良時代から重視された製氷の神様、漫画『さんすくみ』ゆかり
・【古事記紀行2014】(7)世界遺産にも指定された春日大社 古事記とも関係あるんです!
北緯34度68分48.45秒 東経135度83分78.48秒
訪問日:2014年10月17日早朝
春日神社から近鉄奈良駅の方へ戻る途中、東大寺大仏殿を過ぎて、しばらく行くと到着しました。
氷室神社は、平成22年で創建1300年と言われるので、ほぼ古事記成立と同じ。古事記とともに歩んできた神社と言えそうです。ご祭神は、
・闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)
・大鷦鷯命(おおささぎのみこと)
・額田大仲彦命(ぬかたのおおなかつひこのみこと)
古事記にはない説話ですが、古事記で描かれている時代のお話。
額田大仲彦命が闘鶏の地で穴倉を見つけたので、あの穴倉は何だ、と問うたところ、闘鶏稲置大山主命が登場して、「氷室です」と答えたため、額田大仲彦命は大王である大鷦鷯命にその氷を献上した、と言います。
大鷦鷯命は第十六代仁徳天皇。
額田大仲彦命は仁徳天皇の異母兄で、第十五代応神天皇の皇子、古事記には額田大中日子命(ぬかだのおおなかつひこのみこと=ヌカダノオオナカツヒコ)として、名前だけ登場します。
闘鶏稲置大山主命は古事記には登場しませんが、都祁直(つげのあたい)という姓が、初代神武天皇の皇子で、二代綏靖天皇の兄にあたるカムヤイミミを祖とする系譜で登場します。闘鶏は都祁と同義、もともと直だった姓は、第十九代允恭天皇の御世に不敬があったとして稲置に格下げされたもの、といいます。
そのため、仁徳天皇の御世では「稲置」ではなかった可能性があります。
それはともかくとして、都祁村は 2005年4月1日に奈良市に併合されるまで実際に存在した村で、都祁の名称は今でも小学校名などで残っています。大変な歴史です。
また、漫画『さんすくみ』の舞台の一つ。
さて、祓所です。 四脚門と呼ばれる、拝殿・本殿に至る門と、その手前、右手にしだれ桜が見えます。 四脚門にまつわる、由緒です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 しだれ桜です。氷室神社はこのしだれ桜で有名です。 神社の説明と由緒によれば、「氷室神社の主祭神は、闘鶏稲置大山主命と申し上げる奈良の東山一帯の山の神であり、まさにこの桜は山の神様からの春を告げるしるべ」であるといいます。
「稲作農耕を主体とする暮らしにおいて、種まきの時期を知らせる花樹をサクラ、つまり「サの神=稲魂(いなたま)」の依代として大事なもの」で、「お花見の伝統の背景にはこうした基層文化が」あるといいます。(氷室神社公式サイトなど)
さて、拝殿・舞殿です。右手から。 拝殿・舞殿、左手から。奥に本殿が見えます。 氷室神社舞殿(拝殿)の説明板です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 参拝を済ませ、四脚門から出て、境内を望みます。 拝殿に向かって境内の左手にある招魂社です。 氷室神社とは関係ありませんが、氷室神社を出て、近鉄奈良駅の方向に向かって歩いていたら出会ったお社。春日大社・末社の拍子神社です。 ご祭神は狛近真 (こまのちかざね)、鎌倉時代の雅楽の達人であり、南都楽所の祖です。諸芸上達の神様として仰がれています。
古事記に記載のない説話とは言え、古事記ゆかりの神様をお祀りする氷室神社。
ヌカダノオオナカツヒコと、仁徳天皇は不仲だった、という話もあります。ヌカダノオオナカツヒコは、かの大山守命の実兄でもあるので、応神皇太子である和紀郎子はもとより、仁徳天皇とも仲が良かったとは、確かに思えません。
しかし、弟の大山守命による反逆とその失敗、和紀郎子の早逝、大雀命の即位、つまり仁徳天皇の治世が固まるにつれて、抵抗することが難しくなったヌカダノオオナカツヒコは、仁徳天皇に歩み寄ろうとした、その献上品として都祁の氷室の氷が選ばれた、のかもしれません。
もともとは氷の神と思われる闘鶏稲置大山主命ですが、今では山の神となり、人々に春を告げる桜の開花を司る神でもあります。「夏を越しても消えない」氷の室の神様も、春風同様、仁徳天皇とヌカダノオオナカツヒコの「氷解」に一役買った、のかもしれません。 古事記紀行2014 > (7)春日大社 > 氷室神社 【関連記事】
・[動画]氷室神社(奈良市) - 奈良時代から重視された製氷の神様、漫画『さんすくみ』ゆかり
・【古事記紀行2014】(7)世界遺産にも指定された春日大社 古事記とも関係あるんです!
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