奈良県奈良市春日野町(若宮神社)
北緯34度68分1.50秒 東経135度84分92.52秒(若宮神社)
訪問日:2014年10月17日早朝
春日神社の回廊を離れ、摂社・末社へ。
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春日大社の回廊。 春日大社の摂社・末社への参道。 少し行くと本宮神社遥拝所。 本宮神社遥拝所のご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 ここからは遙か先の御蓋山(みかさやま)の頂、浮雲の峰にお祀りされている本宮神社(ほんぐうじんじゃ)を拝むことができます。
そもそもがタケミカヅチが白い鹿に乗って天降った場所こそが御蓋山の頂。春日神社にとって、極めて重要な聖地が本宮神社となります。
兵主神社です。若宮15社の第三。 若宮神社が見えてきました。 若宮神社。 春日大社本殿とほぼ同じ作り。本殿では詳細にうかがい知れないものも確認できます。 若宮神社のご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 本殿とそれに連なる拝舎(はいのや)が重要文化財。ご祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)。第四殿の比売神の御子神とされ、一般的に第三殿のアメノコヤネと同体、あるいはその御子神とされています。
「くもをおしわける」とも考えられ、天孫降臨に付き従ったアメノコヤネが、実際に雲をかき分ける役目を担ったことによる別名や尊称かもしれません。
若宮紅梅と若宮神社の本殿。 天正9年(1581年)、大和長谷寺にある紀貫之の名紅梅「人はいさ」の穂木から接ぎ木した梅の木を、春日の篤信家・米谷宗慶によって、若宮社前に献木されたもの伝えられるものです。
昭和になり、戦後の大風で倒れましたが、根元から生えた萌芽が成長し、今も美しい紅梅を咲かせているとのこと。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香りに匂ひける
百人一首ともなっているあまりにも有名な歌などで知られる紀貫之は、平安初期(866年-872年頃)の歌人。その歌の元となった木の「子」だと思うと感慨深いものがあります。
さて、若宮15社の第五、広瀬神社です。ご祭神は倉稲魂神(くらいなたまのかみ)、つまりウカノミタマ。 若宮15社の第六、葛城神社です。ご祭神はヒトコトヌシ。 若宮15社の第七、三十八所神社。ご祭神はイザナギ 、イザナミ、カムヤマトイワレヒコつまり神武天皇。 若宮15社の第八、佐良気神社。ご祭神はヒルコ。 金龍神社に到着。若宮15社の第十四になります。 金龍神社のお社。 金龍神社のご由緒です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 今から650年ほど前、鎌倉幕府の零落による世の乱を嘆かれた後醍醐天皇は討幕を志されたが、事半ばにして幕府に露見、天皇は難を逃れ笠置へ落させられた。これが元弘元年(1331年)8月25日の世に言う元弘の変である。
この途次、天皇は春日社に潜幸され、一面の御鏡を奉安されて、天下泰平の御祈祷を遊ばされた。これが金龍神社の起こりである。宮中(禁裏)の御鏡を奉安されたので、禁裏殿とも申し上げる。
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春日神社が所蔵する禽獣葡萄鏡の縁起です。
金龍神社を後にします。 若宮神社を中心に、若干駆け足に放ってしまいましたが、主要な摂社・末社を散策。ひょんと紀貫之や後醍醐帝が出てくるあたりが、正真正銘の古社という感じです。若宮15社の多くの小さなお社は、現代の有名企業による奉納であることにも新鮮な驚きがありました。歴史の蓄積、そして現代、それらが一体となって、現在でも多くの人々を引きつけてる魅力が、確かにそこにあると実感した参拝となりました。 古事記紀行2014 > (7)春日大社 > 若宮神社
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北緯34度68分1.50秒 東経135度84分92.52秒(若宮神社)
訪問日:2014年10月17日早朝
春日神社の回廊を離れ、摂社・末社へ。
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春日大社の回廊。 春日大社の摂社・末社への参道。 少し行くと本宮神社遥拝所。 本宮神社遥拝所のご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 ここからは遙か先の御蓋山(みかさやま)の頂、浮雲の峰にお祀りされている本宮神社(ほんぐうじんじゃ)を拝むことができます。
そもそもがタケミカヅチが白い鹿に乗って天降った場所こそが御蓋山の頂。春日神社にとって、極めて重要な聖地が本宮神社となります。
兵主神社です。若宮15社の第三。 若宮神社が見えてきました。 若宮神社。 春日大社本殿とほぼ同じ作り。本殿では詳細にうかがい知れないものも確認できます。 若宮神社のご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 本殿とそれに連なる拝舎(はいのや)が重要文化財。ご祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)。第四殿の比売神の御子神とされ、一般的に第三殿のアメノコヤネと同体、あるいはその御子神とされています。
「くもをおしわける」とも考えられ、天孫降臨に付き従ったアメノコヤネが、実際に雲をかき分ける役目を担ったことによる別名や尊称かもしれません。
若宮紅梅と若宮神社の本殿。 天正9年(1581年)、大和長谷寺にある紀貫之の名紅梅「人はいさ」の穂木から接ぎ木した梅の木を、春日の篤信家・米谷宗慶によって、若宮社前に献木されたもの伝えられるものです。
昭和になり、戦後の大風で倒れましたが、根元から生えた萌芽が成長し、今も美しい紅梅を咲かせているとのこと。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香りに匂ひける
百人一首ともなっているあまりにも有名な歌などで知られる紀貫之は、平安初期(866年-872年頃)の歌人。その歌の元となった木の「子」だと思うと感慨深いものがあります。
さて、若宮15社の第五、広瀬神社です。ご祭神は倉稲魂神(くらいなたまのかみ)、つまりウカノミタマ。 若宮15社の第六、葛城神社です。ご祭神はヒトコトヌシ。 若宮15社の第七、三十八所神社。ご祭神はイザナギ 、イザナミ、カムヤマトイワレヒコつまり神武天皇。 若宮15社の第八、佐良気神社。ご祭神はヒルコ。 金龍神社に到着。若宮15社の第十四になります。 金龍神社のお社。 金龍神社のご由緒です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 今から650年ほど前、鎌倉幕府の零落による世の乱を嘆かれた後醍醐天皇は討幕を志されたが、事半ばにして幕府に露見、天皇は難を逃れ笠置へ落させられた。これが元弘元年(1331年)8月25日の世に言う元弘の変である。
この途次、天皇は春日社に潜幸され、一面の御鏡を奉安されて、天下泰平の御祈祷を遊ばされた。これが金龍神社の起こりである。宮中(禁裏)の御鏡を奉安されたので、禁裏殿とも申し上げる。
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春日神社が所蔵する禽獣葡萄鏡の縁起です。
金龍神社を後にします。 若宮神社を中心に、若干駆け足に放ってしまいましたが、主要な摂社・末社を散策。ひょんと紀貫之や後醍醐帝が出てくるあたりが、正真正銘の古社という感じです。若宮15社の多くの小さなお社は、現代の有名企業による奉納であることにも新鮮な驚きがありました。歴史の蓄積、そして現代、それらが一体となって、現在でも多くの人々を引きつけてる魅力が、確かにそこにあると実感した参拝となりました。 古事記紀行2014 > (7)春日大社 > 若宮神社
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