春日大社、回廊を仰ぐ - ぶっちゃけ古事記
奈良県奈良市春日野町160-7
北緯34度68分14.82秒 東経135度84分80.34秒

訪問日:2014年10月17日早朝

ようやく回廊が見えてきました。

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春日大社の回廊の南門への階段から。
春日大社、階段下から南門を見上げる - ぶっちゃけ古事記
回廊の南門。
春日大社の回廊の南門 - ぶっちゃけ古事記
南門の前に鎮座する神石。
春日大社の回廊の南門、その前に鎮座する神石 - ぶっちゃけ古事記
1.太古の昔、神様の憑代として祀られた「磐座」、2.春日赤童子がここより現れたといわれる「出現石」、3.宝亀3年(771年)の落雷で落下した社額を埋葬したと伝えられる「額塚」などの諸説があるようです。

さて、ご由緒です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。
春日大社のご由緒 - ぶっちゃけ古事記
第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと)
第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
第四殿 比売神(ひめがみ)

春日大社は、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、神護景雲2年(768年)、御蓋山の中腹のこの地に社殿を造営し、四柱の神々様を併せ祀り申し上げたのが始まりです。

この四柱の神々様は、それぞれ壮麗なかすが作りの御本殿(国宝)に鎮座されており、春日皇大神(かすがすめおおかみ)様、春日大明神(かすがだいみょうじん)様と尊称され、崇敬を集めてまいりました。

今日も昔と変わらず、朝夕の御饌祭をはじめ年間二千二百度のお祀りが行われ、日本の国はもとより、世界平和、万民の幸福、共存共栄が祈り続けられております。
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中臣―藤原氏に触れないご由緒もどうかと思いますが、まあそれは世界遺産として、世界に向けて英語でも紹介するため、ということで。ここでは少し第二殿の経津主命(フツヌシ)について。

香取神宮のご祭神である経津主命(フツヌシ)が第二位になっています。やはり主はタケミカヅチ、ということでしょう。神様に上下も何もないような気もしますが、古事記にはこの経津主命は出てきません、少なくとも表面的に。ただ、日本書紀にはタケミカヅチの上司として登場したりします。

このあたりも、日本書紀の作為を感じます。古事記に出てこないフツヌシですが、それらしい記述はいくつかあります。一つ目はタケミカヅチの別名として建布都神(たけふつのかみ)。読みが似ています。つまり、タケミカヅチとフツヌシは一心同体だった、ということ。

もう一つは、佐士布都神(さじふつのかみ=サジフツノカミ)。タケミカヅチの愛剣であり、神武天皇の東遷も手助けした、石上神宮のご祭神の一柱です。こちらも読みや、特性に近しいものがあります。

どちらにしろ、タケミカヅチと対になる神、ということは間違いありません。

南門をくぐり、弊殿・舞殿です。
春日大社の回廊の南門をくぐり、弊殿・舞殿 - ぶっちゃけ古事記
弊殿・舞殿の左側の様子。
春日大社の回廊内、弊殿・舞殿の左側 - ぶっちゃけ古事記
御本殿に連なる中門、御廊を望みますが、式年造替中。
春日大社、「平成27・28年 春日大社 第六十次 式年造替」真っ最中の中門 - ぶっちゃけ古事記
回廊内東南端。
春日大社の回廊内の東南端 - ぶっちゃけ古事記
回廊内から見た南門。
春日大社の回廊内から見た南門 - ぶっちゃけ古事記
回廊内の西南側にある藤。現在の簡易なご由緒には中臣―藤原氏のことは書かれていませんでしたが、その足跡は随所にみられそうです。
春日大社の回廊内東南にある藤棚 - ぶっちゃけ古事記
回廊内を南西端の慶賀門から出ると、回廊のご由緒がありました。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。
春日大社の回廊のご由緒 - ぶっちゃけ古事記
こちらは治承3年(1179年)、それでも平安末期。式年造替などを通じて大事に保護されてきたのでしょう。首が光り輝き、とても900年前のものとは思えません。
春日大社の回廊の様子1 - ぶっちゃけ古事記
春日神社の回廊の様子。
春日大社の回廊の様子2 - ぶっちゃけ古事記
春日神社の回廊の南回廊にある榎本神社。ご祭神はサルタヒコ
春日大社の回廊内、サルタヒコを祀る榎本神社 - ぶっちゃけ古事記
榎本神社のご由緒です。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。
春日大社の回廊内、サルタヒコを祀る榎本神社のご由緒 - ぶっちゃけ古事記
サルタヒコを祀る神社は多々ありますが、こうした元からの体制側の神社内の摂社・末社にもよく見かけます。石上神宮もそうでした。しかもこの春日神社では、何度かの遷座を経て、結局、大事な大事な回廊部分を割いてでも祀っています。古事記でも謎の水死を遂げるサルタヒコ。実際、ひどいことを行ったのでしょうか。今でも丁重に丁重に祀られていることが印象的です。

春日大社もやはり歴史の宝庫です。大古事記展でもそのほんの一部の宝物や文献が展示されていましたが、大変興味深いものが多くありました。中でも、『古事記聞書』『春日神社記』『古事記中巻』などは中世から本居宣長の出現までの間にも、春日大社でかなり深く古事記が研究されてきた歴史を物語っており、大変興味深いものがあります。

日本書紀はもちろん、古事記に関しても、時の藤原氏が関係していないことはあり得ず、そのエッセンスが丸ごと取り込まれているのではないか、と思いたくなるような、色鮮やかな朱が印象的なお社でした。
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