石上神宮の境内で放し飼いされる鶏
奈良県天理市豊井町150

訪問日:2014年10月16日夕方

鶏たち。1960-70年ぐらいに奉納されたようで、特別のゆかりがあるわけでは。。。

ただし、今では石上神宮一番の人気者、ということです。最初はビックリしましたが、近寄って見てみると確かに愛くるしかった。

鶏と古事記というこで言えば、天岩戸隠れの際、オモイカネが準備したものの一つに、「常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた」というところで見られます。

朝を告げる、新しい偉大な神の到来を告げる(そう、引き籠ったアマテラスに誤認させる)役割を担ったとか。やはり古くからの神使なのでしょう。

さて、牛の像。
石上神宮の境内にある神牛像 - ぶっちゃけ古事記
。。。なぜ、ここに? 牛と言えば天神・菅原道真公。???菅原道真公と石上神宮は特に深い関係にはありませんが、やはり奉納されたもののようです。おそらく、ですが、摂社に天神社があるから、天神と言えば牛、と考えられた方が奉納されたのでしょうか。

天神は天神でも、石上神宮の天神社は、古風を残す、珍しい高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)。古事記において、二番目(タカミムスヒノカミ)と三番目(カミムスヒノカミ)にお生まれになった神の、いわば神の中の神の二柱であり、文字通りの天神、の方でした。こちらの天神、特に牛に関するお話はありません。

しかし、この牛の像、造形があまりにも立派だったので、おそらく石上神宮さんの方も(苦笑い、しつつ?)お受け取りになったのでしょう。

さて、鏡池。江戸期には石上池とも呼ばれていたようです。
石上神宮の境内にある鏡池 - ぶっちゃけ古事記
この池に生息する天然記念物ワカタという魚の説明板。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。
石上神宮鏡池のワカタ(天然記念物)の説明板 - ぶっちゃけ古事記
ワカタ、別名を馬魚と言います。後醍醐天皇の御世(在位:文保2(1318年)-延元4年/暦応2年(1339年)、都落ちし、吉野に向かっていた天皇は、当時あった内山永久寺にたどりつきます。後醍醐天皇もそのご乗馬も、ほっとしたのもつかの間、天皇のご乗馬は疲れが出て力が尽きたのでしょうか、寺にあった本堂池のほとりで倒れてしまいました。天皇は、倒れた馬を介抱して、一生懸命助けようとなさいました。

しかしご乗馬は、「天皇さま、私は吉野までお供しとうございました。しかし、私にはもうその力がございません。吉野まで行けないのが残念で、死んでも死にきれません。私はこの池に入って魚になり、天皇さまのお側については参れませんが、道中のご無事を祈り続けております。先立つ罪をお許しください」と残し、息絶えてしまいました。

馬の亡霊が、その池の魚にのりうつったのでしょうか。魚の顔は馬の顔になっていました。そして、草を食べる魚と珍しがられるようになりました。その魚が天皇のご無事を祈り続け、お守りしたのでしょう。寂しくご出発になられた天皇は、つつがなく旅を続けられ、無事に吉野にお着きになった、ということです。

あるいは、落ち延びる後醍醐天皇の元へ、追手として赤松円心などの軍勢が近づき、やはりご乗馬がそれら軍馬のいななきに応じて、いななこうとしていたために、敵に居場所を知れてはまずいと首を跳ねられ、内山永久寺の本堂池に首が転がった、という話も伝わっているようです。

その本堂池の馬魚、改めワカタが大正3年に東大寺中門前の鏡池と、ここ石上神宮の鏡池に移された、といいます。

さて、改めて石上神宮の境内の様子。
石上神宮の境内の様子 - ぶっちゃけ古事記
天理駅に戻るための帰路。
石上神宮からの帰途、参道を進む - ぶっちゃけ古事記
参道途中で振り返る。
石上神宮からの帰途、参道から振り返り境内を望む - ぶっちゃけ古事記
柿本人麻呂歌碑です。来る時に気づいていましたが、紹介は都合上、ここで。
石上神宮の柿本人麻呂歌碑 - ぶっちゃけ古事記
柿本人麻呂は奈良時代の伝説的な歌人。斉明天皇6年(660年)頃から養老4年(720年)の人とされるので、まさに古事記編纂中、そして完成(712年)と同時代の人。実際、古事記編纂と柿本人麻呂を関連付ける説も。歌聖には、古事記収録の歌はどのように映ったか、ぜり知りたいところです。

また、2020年が編纂1300年になる日本書紀の成立の年(720年)頃に没している、となると、2020年は日本書紀編纂1300年ばかりではなく、柿本人麻呂没後1300年にもなるわけです。さて、石碑の歌。

未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者
おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは

布留山(石上神宮の背後の神山、転じて石上神宮境内)に瑞垣(同神宮の禁足地の垣)が出来た昔から あなたのことを思っていました

つまり、「1000年と200年前から、愛してる」という、人気アニソンのサビ(だいたい)そのままの内容。今に通じる大変情熱的な歌で、それが石上神宮と掛けられている点が、武・剣だけではない、石上神宮という神社の特性を象徴しているようでもあります。
石上神宮からの帰途、石上神宮の石碑 - ぶっちゃけ古事記
山辺の道を歩いてきて、ここまでは電車とタクシーを乗り継いだとはいえ、心身ともにもうくたくただったのですが、三回に分けてお送りしてきたこの石上神宮のレポート(第一回第二回、第三回<今回>)、そこで展開してきた内容をおぼろげながら、疑問点を考えながら歩いて行くと、天理駅までの2キロ程度(?)はあっという間でした。

その後に乗った近鉄線では座った途端に足の筋肉がパンパンになりましたが。

ともかく、色々と考えさせられた石上神宮行でした。
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