黒塚古墳(柳本公園)近くにある周辺地図板 - ぶっちゃけ古事記
奈良県天理市柳本町719
北緯34度56分3.36秒 東経135度84分40.29秒

訪問日:2014年10月16日午後

崇神天皇陵からJR柳本駅に向かう途中にあった周辺地図の案内板「卑弥呼の里 探訪」です。さすが箸墓古墳の近くの土地柄。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。

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光の関係で少し見えにくいですが、おおよその位置関係が把握できると思います。特に先に行った伊射奈岐神社の境内にある大和天神山古墳(奈良県・天理市)が、国道の敷設に伴って半分削られているところがリアルに描かれていて興味深かったです。

そうこうしているうちに、左手に黒塚古墳(奈良県・天理市)が見えてきました。
黒塚古墳(柳本公園) - ぶっちゃけ古事記
近くにあった黒塚古墳の案内板。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。
黒塚古墳(柳本公園)近くにある説明板 - ぶっちゃけ古事記
かすれていて読めない。。

今回時間の関係で、立ち寄っては参観できなかったのですが、有名な古墳を遠めからでもきれいに眺められたので、ここに記しておきます。

黒塚古墳(くろつかこふん、くろづかこふん)は、奈良県天理市柳本町にある古墳時代前期(3世紀末頃)の前方後円墳。ここから近い箸墓古墳(奈良県・桜井市)より少し新しい感じです。

この古墳は、奈良盆地の東南部に位置する大和古墳群に属し、台地の縁辺部に立地しています。最初に発掘調査が行われたのは1961年(昭和36年)の事前調査で、後世に城郭として利用されたことがこの時分かったといいます。その後の調査で、戦国時代には古墳に柳本城を築城、江戸時代には織田家が城跡に柳本陣屋を構築し柳本藩藩庁としたことが明らかになっています。

また、1989年(平成元年)、周囲の池の護岸工事の際に事前調査が行われ、1997年(平成9年)から翌年にかけて学術調査が奈良県立橿原考古学研究所によって行われ、規模と墳形が明らかになりました。

全長約130メートルの前方後円墳で、後円部径約72メートル、高さ約11メートル、前方部長さ約48メートル、高さや6メートル、後円部3段、前方部2段で前方部と後円部の落差が大きいのが特徴。前方部正面にわずかな弧状のふくらみが見られ撥形。これらは、前期古墳の特徴でもあります。周濠はありますが、葺石や埴輪は確認されていません。

130メートルと聞くと比較的大規模という感じもしますが、古墳大きさランキングでは圏外となります。しかし、この古墳からは33面もの三角縁神獣鏡が出土しています。現在までに日本で出土している三角縁神獣鏡は400枚程度とされるので、およそ10分の1がここから、と言えばざっくりとしすぎ?

三角縁神獣鏡はいろいろと議論の分かれるところで、この古墳でも棺内に大量に、若干無造作に配置されていたために、葬送用に作成されたもので特別重要なものではない、という指摘も生まれているようです。

ただ、葬送用のものが重要なものではない、というのは、銅鏡の制作の難しさや、当時の葬送に対する宗教観念から考えても、少し違うような気もします。

被葬者の特定は難しそうですが、何らかの証拠で、古事記の登場人物のものと分かると、コーフンできるのですが。。
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