・刊行:2013/11/12
・著者:新谷尚紀
・出版:講談社
・『伊勢神宮と三種の神器 古代日本の祭祀と天皇 (講談社選書メチエ)
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卑弥呼の時代=“宗教王”から倭王の時代=“武力王”へ。そして“武力王にして宗教王”という二面性を持つ王は、律令国家で“世俗王にして祭祀王”という『天皇』となる。伊勢の神宮と三種の神器は、王、そして天皇を支える根源的な力、装置として働きながらも、その位置づけは変貌する…。徹底的な資料解読・分析で、天皇と神器の謎に迫る!
本書は古日本の祭祀と信仰と天皇のあり方を探り、それがどのように、変化・確立していったのかを検証していきます。
そのために伊勢神宮の創祀(五世紀か六世紀)の前の、倭王の時代へとさかのぼります。
倭王の時代とは、四世紀後半です。三輪山祭祀と、海の正倉院と呼ばれる宗像沖ノ島遺跡の開始時期がその時期です。このふたつの遺跡に共通するのが、(1)巨大な磐座遺跡、(2)その奉献品が「銅鏡・鉄剣・勾玉」=神話の三種の神器であったであろうということです。
その後、時代は下がり、七世紀には遣隋使体験によって、律令国家へ向けて動き出し、古代の三種の神器は、伊勢神宮の遷宮神宝に共通する紡績具や楽器などを中心とする新たな「律令神祇祭祀」の方式へと再編成されたと考えられます。そして天皇制が確立すると、神器の「勾玉」が「神璽」に取って代わられるようになるのです。
神器から消えてしまった勾玉は、呪術具・祭祀具・儀礼具・宝飾具、という意味をもつ多義的な宝器として古日本では重要な役割を果たしていたのです。
民俗的信仰から国家的信仰へ、地方の王から国の天皇への変遷にあわせて、神器の意味づけはどう変わったのか? その後、朝廷中心の平安時代が武家の時代へと変わっていく中で、神器の扱いはどうなったのか?
神器を通してみる、日本の歴史と民俗を記述する意欲作です。
管理人了
伊勢の神宮とは何か、という根源の何らかの示唆でも得られれば、と考えていたが、通説の羅列の域を出ていない。体系的な理解の参考にはなるが、それ以上のものはないか。

・著者:新谷尚紀
・出版:講談社
・『伊勢神宮と三種の神器 古代日本の祭祀と天皇 (講談社選書メチエ)
卑弥呼の時代=“宗教王”から倭王の時代=“武力王”へ。そして“武力王にして宗教王”という二面性を持つ王は、律令国家で“世俗王にして祭祀王”という『天皇』となる。伊勢の神宮と三種の神器は、王、そして天皇を支える根源的な力、装置として働きながらも、その位置づけは変貌する…。徹底的な資料解読・分析で、天皇と神器の謎に迫る!
本書は古日本の祭祀と信仰と天皇のあり方を探り、それがどのように、変化・確立していったのかを検証していきます。
そのために伊勢神宮の創祀(五世紀か六世紀)の前の、倭王の時代へとさかのぼります。
倭王の時代とは、四世紀後半です。三輪山祭祀と、海の正倉院と呼ばれる宗像沖ノ島遺跡の開始時期がその時期です。このふたつの遺跡に共通するのが、(1)巨大な磐座遺跡、(2)その奉献品が「銅鏡・鉄剣・勾玉」=神話の三種の神器であったであろうということです。
その後、時代は下がり、七世紀には遣隋使体験によって、律令国家へ向けて動き出し、古代の三種の神器は、伊勢神宮の遷宮神宝に共通する紡績具や楽器などを中心とする新たな「律令神祇祭祀」の方式へと再編成されたと考えられます。そして天皇制が確立すると、神器の「勾玉」が「神璽」に取って代わられるようになるのです。
神器から消えてしまった勾玉は、呪術具・祭祀具・儀礼具・宝飾具、という意味をもつ多義的な宝器として古日本では重要な役割を果たしていたのです。
民俗的信仰から国家的信仰へ、地方の王から国の天皇への変遷にあわせて、神器の意味づけはどう変わったのか? その後、朝廷中心の平安時代が武家の時代へと変わっていく中で、神器の扱いはどうなったのか?
神器を通してみる、日本の歴史と民俗を記述する意欲作です。
管理人了
伊勢の神宮とは何か、という根源の何らかの示唆でも得られれば、と考えていたが、通説の羅列の域を出ていない。体系的な理解の参考にはなるが、それ以上のものはないか。

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