奈良県天理市柳本町1531-11
北緯34度55分84.07秒 東経135度84分57.04秒
訪問日:2014年10月16日午後
景行天皇陵を後にし、国道169号を北上したら、反対側に鳥居が見えてきたので横断してみた。完全逆光ですが、何か神々しい。
・「伊射奈岐神社
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伊射奈岐神社です。ご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 古代政治、経済の中心であった大和平野の東部、天神山古墳を境内として鎮まる「伊弉諾命」「伊弉冉命」の由緒は、社記が天文年間に焼失したために創建年代、規模等は詳しくはないが崇神天皇の御世に御崇祭されたものであります。
(中略)
日本武尊が東国征伐の出陣に際し、弟橘比売命を妃に迎えて間もない命は我が身を案じ、当神社で戦勝祈願をして伊勢へ出立したことも当初から大和朝廷の崇敬が厚かったことを物語っています。
つまり、崇神天皇の御世には存在し、ヤマトタケルがオトタチバナを妃に迎えて間もないころ、東国遠征に先立ち、当神社に戦勝を祈願し、叔母ヤマトヒメがいる伊勢に出立した、ということ。
いやー、古事記そのまんま過ぎて感動した。まさかここがヤマトタケル&オトタチバナゆかりの地だったとは。
さて、天神山古墳とは、と思っていたら、隣に石碑がありました。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 1960年に後円部の中央にある竪穴式石室の発掘調査が行われ、石室内部には粘土で作られた台の上にコウヤマキ製の割竹形木棺が安置されており、銅鏡23面や鉄製品などの副葬品が出土した、とのこと。
その鏡には前期古墳に特有の三角縁神獣鏡が含まれないのが特徴、と言います。豊富な副葬品から見て、被葬者は初期ヤマト政権の有力な構成員と考えられていると言います。が、人を埋葬した形跡がない、問う指摘が有力です。
副葬品は2002年に国の重要文化財に、木棺は2008年に県の有形文化財に指定された、とのこと。大和天神山古墳(奈良県・天理市)。
さて、拝殿。ご祭神はイザナギです。 拝殿後ろ、本殿付近。 拝殿の正面から見て左手にあるお社。 天神様もお祀りされている、ということなので、そのお社(中央)でしょうか。 多分、天神様・菅原道真公。以前は、楊本天神、楊本天満宮と称していたとも。 稲荷社。 朱の連なる鳥居が木々の緑や茶色と、光り彩どられ、美しかった。 ご祭神はスサノヲの娘である、ウカノミタマ。 拝殿を正面に見て、境内の右側にある神武天皇遥拝所。 国道169号の方から入ったのですが、こちらが正面。鳥居。 正面の鳥居をくぐって、境内を望みます。 最初の計画時、崇神天皇陵のすぐ近くに、この神社があることは知っていましたが、詳細まで調べなかった。。実際に現地を歩いてみると、思った以上に崇神天皇陵から近かった(というか、国道169号を挟んで対面)ので、立ち寄ったところ、思わずヤマトタケルも参拝したという古社。
ヤマトタケルの東国遠征が、オトタチバナを妃に娶った直後だったとは、古事記にはそこまで記載されていませんが、新妻オトタチバナを伴って、東国へ出立。伊勢では叔母ヤマトヒメに手向けとして草薙の剣などをもらい、尾張ではもう一人の妻ミヤズと結婚の約束をする。
相模では、相模国造の策略に引っかかり、オトタチバナともども危機に陥るものの、これを脱す。海を渡ろうとしたところ、渡れなかったので、オトタチバナ、身を挺して入水、海を鎮め、ヤマトタケル一行の渡海を成功させます。ヤマトタケル、足柄峠において、オトタチバナを偲んで、「わが妻よ~」とさけび、あずまという地名になる。
こうした古事記ストーリーの出発点が、この伊射奈岐神社。 古事記紀行2014 > (4)景行・崇神天皇陵 > 伊射奈岐神社
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北緯34度55分84.07秒 東経135度84分57.04秒
訪問日:2014年10月16日午後
景行天皇陵を後にし、国道169号を北上したら、反対側に鳥居が見えてきたので横断してみた。完全逆光ですが、何か神々しい。
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伊射奈岐神社です。ご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 古代政治、経済の中心であった大和平野の東部、天神山古墳を境内として鎮まる「伊弉諾命」「伊弉冉命」の由緒は、社記が天文年間に焼失したために創建年代、規模等は詳しくはないが崇神天皇の御世に御崇祭されたものであります。
(中略)
日本武尊が東国征伐の出陣に際し、弟橘比売命を妃に迎えて間もない命は我が身を案じ、当神社で戦勝祈願をして伊勢へ出立したことも当初から大和朝廷の崇敬が厚かったことを物語っています。
つまり、崇神天皇の御世には存在し、ヤマトタケルがオトタチバナを妃に迎えて間もないころ、東国遠征に先立ち、当神社に戦勝を祈願し、叔母ヤマトヒメがいる伊勢に出立した、ということ。
いやー、古事記そのまんま過ぎて感動した。まさかここがヤマトタケル&オトタチバナゆかりの地だったとは。
さて、天神山古墳とは、と思っていたら、隣に石碑がありました。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 1960年に後円部の中央にある竪穴式石室の発掘調査が行われ、石室内部には粘土で作られた台の上にコウヤマキ製の割竹形木棺が安置されており、銅鏡23面や鉄製品などの副葬品が出土した、とのこと。
その鏡には前期古墳に特有の三角縁神獣鏡が含まれないのが特徴、と言います。豊富な副葬品から見て、被葬者は初期ヤマト政権の有力な構成員と考えられていると言います。が、人を埋葬した形跡がない、問う指摘が有力です。
副葬品は2002年に国の重要文化財に、木棺は2008年に県の有形文化財に指定された、とのこと。大和天神山古墳(奈良県・天理市)。
さて、拝殿。ご祭神はイザナギです。 拝殿後ろ、本殿付近。 拝殿の正面から見て左手にあるお社。 天神様もお祀りされている、ということなので、そのお社(中央)でしょうか。 多分、天神様・菅原道真公。以前は、楊本天神、楊本天満宮と称していたとも。 稲荷社。 朱の連なる鳥居が木々の緑や茶色と、光り彩どられ、美しかった。 ご祭神はスサノヲの娘である、ウカノミタマ。 拝殿を正面に見て、境内の右側にある神武天皇遥拝所。 国道169号の方から入ったのですが、こちらが正面。鳥居。 正面の鳥居をくぐって、境内を望みます。 最初の計画時、崇神天皇陵のすぐ近くに、この神社があることは知っていましたが、詳細まで調べなかった。。実際に現地を歩いてみると、思った以上に崇神天皇陵から近かった(というか、国道169号を挟んで対面)ので、立ち寄ったところ、思わずヤマトタケルも参拝したという古社。
ヤマトタケルの東国遠征が、オトタチバナを妃に娶った直後だったとは、古事記にはそこまで記載されていませんが、新妻オトタチバナを伴って、東国へ出立。伊勢では叔母ヤマトヒメに手向けとして草薙の剣などをもらい、尾張ではもう一人の妻ミヤズと結婚の約束をする。
相模では、相模国造の策略に引っかかり、オトタチバナともども危機に陥るものの、これを脱す。海を渡ろうとしたところ、渡れなかったので、オトタチバナ、身を挺して入水、海を鎮め、ヤマトタケル一行の渡海を成功させます。ヤマトタケル、足柄峠において、オトタチバナを偲んで、「わが妻よ~」とさけび、あずまという地名になる。
こうした古事記ストーリーの出発点が、この伊射奈岐神社。 古事記紀行2014 > (4)景行・崇神天皇陵 > 伊射奈岐神社
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