大神神社→景行天皇陵
訪問日:2014年10月16日午後
アップダウンが思いのほか激しく、好天時のウォーキングには最適です。
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山辺の道(やまのべのみち)は大和の古代道路のひとつで、奈良盆地の東南にある三輪山の麓から東北部の春日山の麓まで、盆地の東縁、春日断層崖下を山々の裾を縫うように南北に通ずる古道。山の辺の道とも表記されます。 古事記に、崇神天皇の条に「御陵は山辺の道の勾の岡の上に在り」、同じく景行天皇の条に「御陵は山辺の道上に在り」と登場してくる幹線道路です。現在、まさに大神神社方向から、その景行天皇陵に向かっている最中です。 この道は奈良から石上・布留(天理市)を経て三輪(桜井市)に通じていたと考えられ、弥生時代後期には、布留遺跡と纒向遺跡を結ぶ道であったとも推測されています。 ヤマトタケルが歌った大和の青垣の歌。大和の青垣の看板の近くから、リアル大和の青垣を満喫。 現在一般的にハイキングコースとして親しまれるのは天理市の石上神宮から桜井市の大神神社付近までの約15キロの行程で、その多くは東海自然歩道となっており、今回の旅でもこの一部を、大神神社から石上神宮に向かって歩きました。 さて、景行天皇陵が見えてきました。中央後方、木々でこんもりしたのが、その陵墓。 周囲にはみかん畑などが点在し、第十一代垂仁天皇がタジマモリに命じて常世の国に行かせ、橘を取って来させた、という古事記の説話の一つも頭に浮かびます。
歩く準備をしっかりしていれば、本当に絶好のウォーキングコースです。今回、取材が先行してしまって、思い荷物をしょったままの道中となり、死にそうになりましたが><
山辺の道の踏破、準備万端で臨まれることをお勧めいたします。
古事記紀行2014 > (4)景行・崇神天皇陵 > 山辺の道
・「山辺の道」に関する商品をアマゾンで探す 【関連記事】
・近江俊秀『日本の古代道路 道路は社会をどう変えたのか』 - 八幡神も通った道なども
・【古事記紀行2014】(4)古事記に登場する景行天皇陵・崇神天皇陵は要チェック
訪問日:2014年10月16日午後
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山辺の道(やまのべのみち)は大和の古代道路のひとつで、奈良盆地の東南にある三輪山の麓から東北部の春日山の麓まで、盆地の東縁、春日断層崖下を山々の裾を縫うように南北に通ずる古道。山の辺の道とも表記されます。 古事記に、崇神天皇の条に「御陵は山辺の道の勾の岡の上に在り」、同じく景行天皇の条に「御陵は山辺の道上に在り」と登場してくる幹線道路です。現在、まさに大神神社方向から、その景行天皇陵に向かっている最中です。 この道は奈良から石上・布留(天理市)を経て三輪(桜井市)に通じていたと考えられ、弥生時代後期には、布留遺跡と纒向遺跡を結ぶ道であったとも推測されています。 ヤマトタケルが歌った大和の青垣の歌。大和の青垣の看板の近くから、リアル大和の青垣を満喫。 現在一般的にハイキングコースとして親しまれるのは天理市の石上神宮から桜井市の大神神社付近までの約15キロの行程で、その多くは東海自然歩道となっており、今回の旅でもこの一部を、大神神社から石上神宮に向かって歩きました。 さて、景行天皇陵が見えてきました。中央後方、木々でこんもりしたのが、その陵墓。 周囲にはみかん畑などが点在し、第十一代垂仁天皇がタジマモリに命じて常世の国に行かせ、橘を取って来させた、という古事記の説話の一つも頭に浮かびます。
歩く準備をしっかりしていれば、本当に絶好のウォーキングコースです。今回、取材が先行してしまって、思い荷物をしょったままの道中となり、死にそうになりましたが><
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古事記紀行2014 > (4)景行・崇神天皇陵 > 山辺の道
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