奈良県桜井市三輪1330
訪問日:2014年10月16日午後
玄賓庵(げんびあん)を後にして、さらに山辺の道を進むと、檜原神社の南側に到着。
檜原神社の境内の様子です。 檜原神社のご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 一部抜粋すると、下記のようになっています。
大神神社の摂社「桧原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。
第十代崇神天皇の御世まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきんでん)」でお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。
その神蹟は実にこの桧原の地であり、大御神の伊勢御遷幸の後もその御蹟を尊崇し、桧原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。
そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。
さて、檜原神社の全景です。 檜原神社の近接撮影。本殿も拝殿もなく、三輪鳥居があります。その奥にはご由緒にも記載されている神籬(ひもろぎ。神霊が降臨する時の臨時の宿り場所。小さめの樹木や岩石が選ばれる)が再建されていると言います。 すぐ左手にある豊鍬入姫宮のご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 豊鍬入姫宮です。古事記にも豊鉏入日売命(とよすきいりびめのみこと=トヨスキイリビメ)として登場します。 しかし、トヨスキイリビメが伊勢大神の宮を祀る、とだけあり、トヨスキイリビメが伊勢、アマテラスを祀った、その意味で斎宮の起源の一人、ということは読み取れますが、それ以上の詳細なことは古事記にはなく、上記のご由緒は主に日本書紀によるものとなります。
いわゆる、アマテラスと、オオモノヌシやオオクニヌシなど国津神を一緒に祀っていたが、うまくゆかなかくなったので、アマテラスを安住の地に移そうという動きの中の話となります。
このトヨスキイリビメによる檜原への移動を経て、第十一代垂仁天皇の御世になり、その皇女ヤマトヒメが最終的に伊勢の地にアマテラスをご遷幸し、現在の伊勢の神宮の形が整えられたと思われます。 明治天皇の第七皇女で神宮祭主である北白川房子さん(成久王妃房子内親王)もこの地を訪れ、感銘を受けて歌を残したことが案内板や石碑からわかります。
伊勢の神宮が形作られる、その原点となるところ。それが「元伊勢」。古事記に詳述はありませんが、やはり古事記の世界の一幕を飾る舞台の一つです。 古事記紀行2014 > (4)景行・崇神天皇陵 > 檜原神社 【関連記事】
・【古事記紀行2014】(4)古事記に登場する景行天皇陵・崇神天皇陵は要チェック
訪問日:2014年10月16日午後
玄賓庵(げんびあん)を後にして、さらに山辺の道を進むと、檜原神社の南側に到着。
檜原神社の境内の様子です。 檜原神社のご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 一部抜粋すると、下記のようになっています。
大神神社の摂社「桧原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。
第十代崇神天皇の御世まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきんでん)」でお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。
その神蹟は実にこの桧原の地であり、大御神の伊勢御遷幸の後もその御蹟を尊崇し、桧原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。
そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。
さて、檜原神社の全景です。 檜原神社の近接撮影。本殿も拝殿もなく、三輪鳥居があります。その奥にはご由緒にも記載されている神籬(ひもろぎ。神霊が降臨する時の臨時の宿り場所。小さめの樹木や岩石が選ばれる)が再建されていると言います。 すぐ左手にある豊鍬入姫宮のご由緒。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 豊鍬入姫宮です。古事記にも豊鉏入日売命(とよすきいりびめのみこと=トヨスキイリビメ)として登場します。 しかし、トヨスキイリビメが伊勢大神の宮を祀る、とだけあり、トヨスキイリビメが伊勢、アマテラスを祀った、その意味で斎宮の起源の一人、ということは読み取れますが、それ以上の詳細なことは古事記にはなく、上記のご由緒は主に日本書紀によるものとなります。
いわゆる、アマテラスと、オオモノヌシやオオクニヌシなど国津神を一緒に祀っていたが、うまくゆかなかくなったので、アマテラスを安住の地に移そうという動きの中の話となります。
このトヨスキイリビメによる檜原への移動を経て、第十一代垂仁天皇の御世になり、その皇女ヤマトヒメが最終的に伊勢の地にアマテラスをご遷幸し、現在の伊勢の神宮の形が整えられたと思われます。 明治天皇の第七皇女で神宮祭主である北白川房子さん(成久王妃房子内親王)もこの地を訪れ、感銘を受けて歌を残したことが案内板や石碑からわかります。
伊勢の神宮が形作られる、その原点となるところ。それが「元伊勢」。古事記に詳述はありませんが、やはり古事記の世界の一幕を飾る舞台の一つです。 古事記紀行2014 > (4)景行・崇神天皇陵 > 檜原神社 【関連記事】
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