玄賓庵(げんびあん)1 - ぶっちゃけ古事記
奈良県桜井市茅原373
北緯34度53分70.31秒 東経135度85分52.60秒

訪問日:2014年10月16日午後

謡曲「三輪」で有名な玄賓僧都が実際に結んだ玄賓庵です。

・「玄賓僧都」に関する商品をアマゾンで探す

玄賓庵の案内板。玄賓は弘仁九年(818年)、古事記成立約100年後にお亡くなりになっている高僧で、当時の帝らからも信頼の厚い清廉な僧だったと伝わっています。
玄賓庵(げんびあん)の案内板 - ぶっちゃけ古事記
謡曲「三輪」のストーリーは以下のようになっています。謡曲の原文テキスト版はこちら

大和国三輪山の麓に庵室をかまえている玄賓僧都(ワキ)のもとへ、毎日樒と閼伽の水を持って来る女(シテ)があります。一度素姓を尋ねてみようと玄賓が待っていると、やがて女は訪れ、秋の夜寒をしのぐ衣を賜り給えと請います。玄賓が快く衣を与え、その住居を問うと、女は「我が庵は三輪の山本恋しくは訪い来ませ杉立てる門」の古歌をひき、杉立てる門を目印においでなさいと言い残して姿を消します。

玄賓が女の言葉を頼りに草庵を出て、三輪明神の近くまで来ると、不思議なことに二本の杉に先程女に与えた衣が掛かっており、その裾に一首の歌が書いてあります。それを読んでいると、杉の木陰から御声がして、女姿の三輪明神(後シテ)が現れます。

そして和歌の徳を讃え、三輪山の杉にまつわる昔話を聞かせ、天照大神の岩戸隠れの神話を物語り、神楽を奏しますが、夜明けと共に消え行きます。(「宝生の能」平成9年10月号より。こちらを参考にさせていただきました)
玄賓庵(げんびあん)2 - ぶっちゃけ古事記
大神神社では大神祭の翌日に必ず毎年この「三輪」が奉納されているそうです。(こちらを参考。また中山和敬「大神神社」(学生社版))

この謡曲の中で、「それ神代の昔物語は末代の衆生のため。済度方便の事業。品々もつて世の為なり」というものが出てきます。まさに古事記のことを言っているようで身が引き締まります。「末代の衆生」である我々に、「神代の昔物語」である古事記をより分かりやすく、身近に。そうすることが、「世の為」になる、と。

「三輪山の杉にまつわる昔話」とは、古事記でいうところの、オオモノヌシとイクタマの説話で、三輪山の名前の由来となる、オオモノヌシの正体を知るためのイクタマとイクタマ両親の仕掛け、つまり糸のお話。謡曲で重要なアイテムとして登場する杉を活用して脚色されていますが、ほぼ古事記通り。

「天照大神の岩戸隠れの神話」は、まあ、天岩戸隠れそのままですが、古事記だけでは紐解けないかもしれない、謡曲の中に「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事」とあります。伊勢と三輪、つまりアマテラスオオモノヌシは一体、ということになります。

1.三輪明神はオオモノヌシであり、明らかに男神なのに女、あるいは女装している
2.アマテラスとオオモノヌシは一体とはどういうことか

などを中心に議論が分かれるところです。

ここではそこにはあまり踏み込まず、後者についてのみ少し。これは日本書紀に記されている、アマテラスと、オオモノヌシやオオクニヌシなど国津神を一緒に祀っていたが、うまくゆかなかくなったので、アマテラスを安住の地に移そうという動き、それ以前の一緒に宮中に祀られていた状態を指しているのでしょうか。

であるならば、次の目的地である元伊勢・桧原神社とも関連してきます。

また、ここでも女神のアマテラスと男神のオオモノヌシが一体、とされているのも興味を引きます。謡曲通り、オオモノヌシが女、あるいは女装している、のか、はたまた根強い指摘があるアマテラス男神説か。

とにかく、この山辺の道は本当に古事記一色、一度はじっくり歩いてみたい日本最古の道です。特にこの玄賓庵は、大神神社―桧原神社の間の通り道。謡曲に思いを馳せ、古事記や日本の神話を振り返るのもよいでしょう。
古事記紀行2014 > (4)景行・崇神天皇陵 > 玄賓庵

・「玄賓僧都」に関する商品をアマゾンで探す
古事記紀行prev     古事記紀行next
【関連記事】
【古事記紀行2014】(4)古事記に登場する景行天皇陵・崇神天皇陵は要チェック