奈良県桜井市三輪1422
北緯34度52分94.13秒 東経135度85分24.08秒
訪問日:2014年10月16日午後
JR桜井線・三輪駅で降りると、「三輪明神」一色。「日本最古の神社」を売りにした看板が目立っていました。
綏靖天皇陵からさらに北上して、JR桜井線の畝傍駅へ。そこから桜井線に乗って三駅目が「三輪」。そこで降りると、一旦東進してすぐに北上。上の写真のように左手に大鳥居が望めました。下はズームで撮影。 そこから西進して、JR桜井線の線路を踏切で渡ると、すぐに歩行者用の参道が左側に見えてきました。 左手が歩行者用の参道。 歩行者用の参道を進みます。並木道が美しい。 境内に到着。 「大神神社」と大書された石碑と、二の鳥居。 二の鳥居、近撮。 二の鳥居をくぐると神々しく、気持ちの良い参道が伸びています。 途中参道の左手には末社の祓戸神社が。ここでまず汚れを祓い、心身ともに清浄になります。祓戸神社の隣には夫婦岩が。さらに進むと、正式にはここから境内。 ご由緒がありました。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 御祭神 大物主神(おおものぬしのおおかみ)
配 神 大己貴神(おおなむちのかみ) 少彦名神(すくなひこなのかみ)
当神社は、秀麗な三輪山を神体山とする我国最古の神社で、元官弊大社、延喜式内の明神大社二十二社の一社で、大和国一宮、全国各地に祭祀せられる大物主神の総本社であります。
ご祭神はオオモノヌシ。古事記では同体とは描かれていませんが、通常同体とされるオオクニヌシ(おおなむちのかみ)と、その国造りの相方スクナビコナが配神となっています。オオクニヌシとオオモノヌシが明確に別神とされています。
古事記には、オオモノヌシがオオクニヌシに三輪山を祀れ、と命じたとの記述があり、崇神天皇の御世、崇神天皇がオオモノヌシの子孫であるオオタタネコを探し出し、三輪山を祀るよう命じた、と明記されています。
確かに、それ以前にも神様はいらっしゃいましたが、神様を「祀る」という行為が明確に記述されてはいませんでした。上の古事記の記述はそこが明確になっており、こうしたことが、「日本最古の神社」の由来になっています。
境内を進みます。 拝殿を正面に見て。重要文化財であり、寛文4年(1664年)四代将軍の徳川家綱公による改建と言います。 拝殿を右側から見て。さすがに参拝される方の姿が多かったです。 南側の出口から手水舎を望みます。 拝殿の右手前にある巳の神杉。この杉の洞から「白い巳さん」が出入りすることから、巳の神杉として尊崇されています。オオモノヌシと言えばヘビ、「白い巳さん」と今でも親しみを込めて呼ばれているところに、神々との友好共存をうかがわせます。現在のこの杉は樹齢400年余りとのこと。 巳の神杉を含め、拝殿を望む。 北側から西に降りる階段を下りて、祈祷殿へ。 祈祷殿の北側にある久すりの道(くすりのみち)へ進んでいきます。山辺の道にも通じる、大神神社の摂社、末社への順路です。 オオクニヌシとスクナビコナ、さらに大神神社の末社にはクエビコも祀られており、古事記の国造りの登場人物のオンパレード。少し距離はありますが、この大神神社から東南東へ数キロ行けば、「奈良の出雲」、桜井市出雲もあります。
また、崇神天皇が都した「師木の水垣宮(みづかきのみや)」、伝承地は志貴御県坐神社であり、境内にその石碑もあるとのことですが、大神神社から数百メートルしか離れていません(時間の都合上、今回は行けず><)。また、崇神天皇陵は大神神社の北、少し距離はあるもののやはり数キロです。近くに祟りの根源があったとなると、崇神天皇もさぞかし肝を冷やしたことでしょう。
古事記にも描かれていますが、崇神天皇が夢でオオモノヌシのお告げを聞き、慌ててオオタタネコを探し出し、オオタタネコを見つけた時の喜びよう。そうした様子がこの地に来ると手に取るように分かります。 古事記紀行2014 > (3)大神神社 > 大神神社 【関連記事】
・[日本全国]初詣で人気の神社、その人出は? 参拝者数ランキングと、古事記の神々へのリンク
・[動画]「あの山は、神だ」いま、ふたたびの奈良へ。 - 美しすぎる大神神社のTV CM - 30秒バージョン
・子持勾玉 - 三輪山周辺から多く出土する「増殖」に関する呪術的アイテム
・内行花文鏡 - オオモノヌシを祀った日本最古のお社に伝わるホケノ山古墳出土の銅鏡
・大国主大神木像 - 大神神社に古くから伝わる大黒天と習合した憤怒のオオクニヌシ
・【古事記紀行2014】(3)日本最古の神社、大神神社には行かねば 大和国一宮だし
北緯34度52分94.13秒 東経135度85分24.08秒
訪問日:2014年10月16日午後
JR桜井線・三輪駅で降りると、「三輪明神」一色。「日本最古の神社」を売りにした看板が目立っていました。
綏靖天皇陵からさらに北上して、JR桜井線の畝傍駅へ。そこから桜井線に乗って三駅目が「三輪」。そこで降りると、一旦東進してすぐに北上。上の写真のように左手に大鳥居が望めました。下はズームで撮影。 そこから西進して、JR桜井線の線路を踏切で渡ると、すぐに歩行者用の参道が左側に見えてきました。 左手が歩行者用の参道。 歩行者用の参道を進みます。並木道が美しい。 境内に到着。 「大神神社」と大書された石碑と、二の鳥居。 二の鳥居、近撮。 二の鳥居をくぐると神々しく、気持ちの良い参道が伸びています。 途中参道の左手には末社の祓戸神社が。ここでまず汚れを祓い、心身ともに清浄になります。祓戸神社の隣には夫婦岩が。さらに進むと、正式にはここから境内。 ご由緒がありました。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 御祭神 大物主神(おおものぬしのおおかみ)
配 神 大己貴神(おおなむちのかみ) 少彦名神(すくなひこなのかみ)
当神社は、秀麗な三輪山を神体山とする我国最古の神社で、元官弊大社、延喜式内の明神大社二十二社の一社で、大和国一宮、全国各地に祭祀せられる大物主神の総本社であります。
ご祭神はオオモノヌシ。古事記では同体とは描かれていませんが、通常同体とされるオオクニヌシ(おおなむちのかみ)と、その国造りの相方スクナビコナが配神となっています。オオクニヌシとオオモノヌシが明確に別神とされています。
古事記には、オオモノヌシがオオクニヌシに三輪山を祀れ、と命じたとの記述があり、崇神天皇の御世、崇神天皇がオオモノヌシの子孫であるオオタタネコを探し出し、三輪山を祀るよう命じた、と明記されています。
確かに、それ以前にも神様はいらっしゃいましたが、神様を「祀る」という行為が明確に記述されてはいませんでした。上の古事記の記述はそこが明確になっており、こうしたことが、「日本最古の神社」の由来になっています。
境内を進みます。 拝殿を正面に見て。重要文化財であり、寛文4年(1664年)四代将軍の徳川家綱公による改建と言います。 拝殿を右側から見て。さすがに参拝される方の姿が多かったです。 南側の出口から手水舎を望みます。 拝殿の右手前にある巳の神杉。この杉の洞から「白い巳さん」が出入りすることから、巳の神杉として尊崇されています。オオモノヌシと言えばヘビ、「白い巳さん」と今でも親しみを込めて呼ばれているところに、神々との友好共存をうかがわせます。現在のこの杉は樹齢400年余りとのこと。 巳の神杉を含め、拝殿を望む。 北側から西に降りる階段を下りて、祈祷殿へ。 祈祷殿の北側にある久すりの道(くすりのみち)へ進んでいきます。山辺の道にも通じる、大神神社の摂社、末社への順路です。 オオクニヌシとスクナビコナ、さらに大神神社の末社にはクエビコも祀られており、古事記の国造りの登場人物のオンパレード。少し距離はありますが、この大神神社から東南東へ数キロ行けば、「奈良の出雲」、桜井市出雲もあります。
また、崇神天皇が都した「師木の水垣宮(みづかきのみや)」、伝承地は志貴御県坐神社であり、境内にその石碑もあるとのことですが、大神神社から数百メートルしか離れていません(時間の都合上、今回は行けず><)。また、崇神天皇陵は大神神社の北、少し距離はあるもののやはり数キロです。近くに祟りの根源があったとなると、崇神天皇もさぞかし肝を冷やしたことでしょう。
古事記にも描かれていますが、崇神天皇が夢でオオモノヌシのお告げを聞き、慌ててオオタタネコを探し出し、オオタタネコを見つけた時の喜びよう。そうした様子がこの地に来ると手に取るように分かります。 古事記紀行2014 > (3)大神神社 > 大神神社 【関連記事】
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・子持勾玉 - 三輪山周辺から多く出土する「増殖」に関する呪術的アイテム
・内行花文鏡 - オオモノヌシを祀った日本最古のお社に伝わるホケノ山古墳出土の銅鏡
・大国主大神木像 - 大神神社に古くから伝わる大黒天と習合した憤怒のオオクニヌシ
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