ヤリカンナ
三重県多気郡明和町の国史跡・斎宮跡で2014年10月25日、斎宮跡復元建物工事の特別見学会が開かれました。工事を統率する大工棟梁の高原伸輔さんらが古代工具のヤリガンナを使ってスギの木を削る実演をし、来場者が興味深そうに見ていたといいます。産経新聞が報じています。写真は「ヤリカンナ」によるGoogle画像検索結果のキャプチャー。

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斎宮跡は、正式には斎宮寮跡というべきもので、斎宮寮は、日本の律令制において、伊勢に置かれた令外官。伊勢神宮に奉仕していた未婚の皇女斎宮(伊勢斎王)一般の世話を職掌とします。斎宮が不便をしないよう、京の朝廷を模した長官の頭以下120名以上に及ぶ大規模な官司で配下にある十三の役所が出納・清掃・医療などの事務を分掌したといいます。最奥部の内院に斎宮が、中院に頭以下の幹部が、そして外院に下級職員が暮らし、そして事務を行っていたと言います。

この斎宮寮跡が、1979年(昭和54年)に斎宮跡として国の史跡に指定(国史跡)されたものです。

斎宮はもともと伊勢神宮に奉仕した斎王の御所のことでしたが、斎王そのものを指すようになり、伊勢斎王、伊勢斎宮とも呼ばれるようになりました。その始まりは、制度として、天武天皇の皇女である大来皇女が天武天皇2年(673年)、12歳で就任、翌年伊勢に赴いた、というもののようです。

しかしその起源は古事記の中に見えます。

最初のものは、第十代崇神天皇の御世に、天皇の皇女であるトヨスキイリビメによるものです。

ただ、この際はアマテラスを大和国の笠縫邑に祀らせた、とのみのようです。笠縫邑(かさぬいむら、かさぬいのむら)とは、いわゆる元伊勢、現在では大神神社の摂社である檜原神社などが考えられています。

その後、第十一代垂仁天皇の皇女であるヤマトヒメが伊勢を祀る、とあります。実際、ヤマトヒメは各地を巡行し、伊勢国にたどり着いたようです。そのため、ヤマトヒメが初代斎宮、と言われる場合があります。

ヤマトヒメの兄である第十二代景行天皇の皇子・ヤマトタケルは、叔母に当たるヤマトヒメを訪ねて伊勢に来ています。そこで草薙の剣などを賜る、古事記の重要な場面になります。

時代は下って、第二十六代継体天皇の皇女であるササゲノイラツメも伊勢を祀るとあり、やはり斎宮の制度化の中で重要な位置づけをされた方のようです。

古事記には以上の皇女の方々のみですが、その他にも制度化に先立ち、制度化に役した皇女の方は数多くいらしたようです。

さて、今回の復元、斎宮の当時のようすがより分かりやすく体感できるように計画され、平安時代前期の9世紀にあった役所としての斎宮寮の3棟を2014年4月から建設中で、2015年7月の完成を目指していると言います。

平成18年から20年にかけ斎宮跡内で発掘された掘っ立て柱建物跡の柱穴を元に設計され、当時の様式や工法に可能な限り忠実に、かつ復元の意義を損なわずに建物内部を見学できるよう、木の柱の中に鉄柱を仕込む鉄骨造と木造の複合構造になっている、といいます。かなり本格的ですね。

ヤリガンナは古代から中世にかけて用いられた木を削って平板にするための道具のようです。こうした工具まで、当時に合わせて復元される斎宮寮の建物、公開が大変楽しみです。

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