さて、今度は前回取り上げた第十六代仁徳天皇の、最初の皇后であるイワノのお墓参りです。
大山守命のお墓からイワノのお墓までは、奈良バイパスを横断する必要があります。横断できるところまで行くのに、右に行き、左に行き。地図上の直線距離こそ1キロ未満のはずですが、実際に歩くと、50分ぐらいかかります。
ここが、この日午後の一番の難所。
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途中、不退寺の前を通り、バイパスまで出て、ひたすら北上。バイパスを渡れるところに出ると、そこが宇和奈辺・小奈辺古墳、いわゆるウワナベ古墳です。極めて立派な前方後円墳であり、宮内庁によって、やはり仁徳天皇の、イワノ没後の皇后であるヤタノの陵墓と推定される、陵墓参考地です。
そのすぐ隣にあるのが、小奈辺陵墓参考地。いわゆるコナベ古墳です。これもやはりウワナベ古墳と同様、立派な前方後円墳。奇妙なのは、ここは宮内庁によって、イワノの陵墓と推定される、陵墓参考地となっていることです。
正式には、このコナベ古墳から北上してたどり着く磐之媛命陵、つまりヒシアゲ古墳がイワノの陵墓と治定されているのにもかかわらず、です。
何が何だか分かりませんっ!
ともかく、佐紀盾列古墳群に属する、ウワナベ古墳(ヤタノの陵墓と推定)、コナベ古墳(宮内庁曰く、もしかしたらこっちがイワノの陵墓かも)を経て、ヒシアゲ古墳(宮内庁が認定するイワノの陵墓)に到着。
平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)という名称が与えられているものです。
さすがに正式に認定されているだけに、拝所もしっかり整備はされています。しかし、堀の中には蓮でしょうか、密生していました。これはウワナベ古墳にも、コナベ古墳にもなかったこと。あえてそうしているのかもしれませんが、見ているだけでは、正式に認定されている磐之媛命陵が、一番荒れている、とも思えばそう思える、というほど。
前方部に珍しいとされる二重濠がありました。
こうして実際に歩くと、話しでは聞いていた治定陵の問題さがよく分かります。
確かに現在まで続く天皇家ゆかりの陵墓であることはほぼ間違いないので、今に生きる人々の祖先に対する尊崇、そのお気持ちを汲んで、調査と言えども陵墓の発掘に慎重になる気持ちも分からないではありませんが、違う人をそうと思い込んでお参りしているかもしれず、そうであれば、それはそれでご先祖に対する不敬ではないでしょうか。
段階的にでも、こうした治定陵や、少なくとも陵墓参考地に対する学術調査は行われるべきかと。徐々には行われているようですが、あまりに遅いですね、はい。
ともかく、イワノは古代日本史上おそらく“最強”の女性。なんせ、夫の仁徳天皇がイワノの旅行中に、鬼の居ぬ間に、さながら、前から目を付けていた美女ヤタノと浮気したことが原因で家出するぐらい。
日本史上、皇后の家出は空前絶後ではないでしょうか。
とにかく焼き餅焼きで癇癪持ちのような、それをストレートに夫の仁徳天皇にぶつける。一夫多妻が常識の当時において、この行動はおそらく当時でも、というか、当時だからこそ、常軌を逸している、と考えられたかもしれません。
しかし、それぐらい仁徳天皇を愛していらっしゃったということで考えると、日本初のツンデレ。そのような方の陵墓が、治定されているのに、陵墓参考地もある、というのはいかがなものでしょう。祟ればホントに怖そうです。
イワノの家出に対して、平謝りで、結局は家出先まで迎えに行くことでこの騒動を解決した仁徳天皇。現代の夫とあまり変わらない(浮気は絶対許さない女性ももちろん多いですが)そのお姿が微笑ましい。
それはともかく、その原因となったヤタノとの愛も(性懲りなく?)順調に育み、イワノが亡くなると、ヤタノを皇后に立てます。そのイワノとヤタノ(こちらは陵墓参考地)のお墓がほとんど隣り合っている、というのも何か妙な感じです。 古事記紀行2014 > (11)イワノ陵 - ウワナベ古墳 | コナベ古墳 | ヒシアゲ古墳
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ここが、この日午後の一番の難所。
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途中、不退寺の前を通り、バイパスまで出て、ひたすら北上。バイパスを渡れるところに出ると、そこが宇和奈辺・小奈辺古墳、いわゆるウワナベ古墳です。極めて立派な前方後円墳であり、宮内庁によって、やはり仁徳天皇の、イワノ没後の皇后であるヤタノの陵墓と推定される、陵墓参考地です。
そのすぐ隣にあるのが、小奈辺陵墓参考地。いわゆるコナベ古墳です。これもやはりウワナベ古墳と同様、立派な前方後円墳。奇妙なのは、ここは宮内庁によって、イワノの陵墓と推定される、陵墓参考地となっていることです。
正式には、このコナベ古墳から北上してたどり着く磐之媛命陵、つまりヒシアゲ古墳がイワノの陵墓と治定されているのにもかかわらず、です。
何が何だか分かりませんっ!
ともかく、佐紀盾列古墳群に属する、ウワナベ古墳(ヤタノの陵墓と推定)、コナベ古墳(宮内庁曰く、もしかしたらこっちがイワノの陵墓かも)を経て、ヒシアゲ古墳(宮内庁が認定するイワノの陵墓)に到着。
平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)という名称が与えられているものです。
さすがに正式に認定されているだけに、拝所もしっかり整備はされています。しかし、堀の中には蓮でしょうか、密生していました。これはウワナベ古墳にも、コナベ古墳にもなかったこと。あえてそうしているのかもしれませんが、見ているだけでは、正式に認定されている磐之媛命陵が、一番荒れている、とも思えばそう思える、というほど。
前方部に珍しいとされる二重濠がありました。
こうして実際に歩くと、話しでは聞いていた治定陵の問題さがよく分かります。
確かに現在まで続く天皇家ゆかりの陵墓であることはほぼ間違いないので、今に生きる人々の祖先に対する尊崇、そのお気持ちを汲んで、調査と言えども陵墓の発掘に慎重になる気持ちも分からないではありませんが、違う人をそうと思い込んでお参りしているかもしれず、そうであれば、それはそれでご先祖に対する不敬ではないでしょうか。
段階的にでも、こうした治定陵や、少なくとも陵墓参考地に対する学術調査は行われるべきかと。徐々には行われているようですが、あまりに遅いですね、はい。
ともかく、イワノは古代日本史上おそらく“最強”の女性。なんせ、夫の仁徳天皇がイワノの旅行中に、鬼の居ぬ間に、さながら、前から目を付けていた美女ヤタノと浮気したことが原因で家出するぐらい。
日本史上、皇后の家出は空前絶後ではないでしょうか。
とにかく焼き餅焼きで癇癪持ちのような、それをストレートに夫の仁徳天皇にぶつける。一夫多妻が常識の当時において、この行動はおそらく当時でも、というか、当時だからこそ、常軌を逸している、と考えられたかもしれません。
しかし、それぐらい仁徳天皇を愛していらっしゃったということで考えると、日本初のツンデレ。そのような方の陵墓が、治定されているのに、陵墓参考地もある、というのはいかがなものでしょう。祟ればホントに怖そうです。
イワノの家出に対して、平謝りで、結局は家出先まで迎えに行くことでこの騒動を解決した仁徳天皇。現代の夫とあまり変わらない(浮気は絶対許さない女性ももちろん多いですが)そのお姿が微笑ましい。
それはともかく、その原因となったヤタノとの愛も(性懲りなく?)順調に育み、イワノが亡くなると、ヤタノを皇后に立てます。そのイワノとヤタノ(こちらは陵墓参考地)のお墓がほとんど隣り合っている、というのも何か妙な感じです。 古事記紀行2014 > (11)イワノ陵 - ウワナベ古墳 | コナベ古墳 | ヒシアゲ古墳
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