開化天皇陵「春日率川坂上陵」、三条通の入口 - ぶっちゃけ古事記
春日大社から近鉄奈良駅に戻ってくると、本日のメーンテーマである大古事記展のプレス内覧が始まる10時まで、少しまだ時間があったので、大古事記展の取材が終わってからとも考えていた開化天皇陵に行きました。

行き当たりばったりなので、地図もろくに確認せずに。

近鉄奈良駅から直線距離で数百メートルに、街のど真ん中、巨大な古墳があります。それが開化天皇陵、古事記には「伊邪河の坂の上」とある春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)です。
開化天皇陵「春日率川坂上陵」、三条通の入口から少し入ったところからの遠景 - ぶっちゃけ古事記
開化天皇は第九代天皇、第十代崇神天皇の父となります。例の如く、古事記には詳しい事蹟は記載されていませんが、系譜だけはこれでもかというぐらい詳しく載せられています。

これには理由があります。まず、崇神天皇の御世に丹波征討に派遣されたヒコイマスが開化天皇の皇子であり、古事記ではヒコイマスの系統についてかなり詳しく系譜を記していることが挙げられます。

古事記において、天皇でもないのに、複数の妃とそれらの子どもを含めた系譜が詳述されているのは、このヒコイマスと、後のヤマトタケルぐらいでしょうか。

また、このヒコイマスの系統から、だいぶ後の世代になりますが、神功皇后が出ます。古事記は、ヒコイマスから神功皇后までの系譜をやはりこれでもか、というぐらい詳細に掲載しています。

このあたりにも古事記のヒミツが隠れていそうですが。。
開化天皇陵「春日率川坂上陵」正面 - ぶっちゃけ古事記
ともかく、第二代綏靖天皇から第九代のこの開化天皇まで、いわゆる欠史八代と言われ、その実在を疑われています。大学時代にこの欠史八代を習って、ふーんと思った記憶はありますが、古事記を改めて読んでみると、なんでこんな学説が出てくるんだ? と疑問に思います。

もう少し素直に考えればいいのに、というのが率直な気持ち。欠史八代についてはいずれまた触れる機会もあると思いますが、崇神天皇からが実在する、ということであれば、当然その父も存在する訳で、それが開化天皇であって悪いはずがなく(当然、開化天皇にも父がいて、祖父がいて、祖先に神武天皇がいてもおかしくない)、しかも、ヒコイマスや神功皇后などに連なる系譜を残されている、具体的な事績の記載がなくても、古事記でも極めて重要な天皇なのです。

さて、前置きが長くなりました。

先にろくに地図を見ずに出発した、と書きましたが、地図では、近鉄奈良駅がある県庁通りとほとんど隣接しているぐらいに描かれていたので、その通りを西進しました。

しかし県庁通りにはそれらしい目印もないので、ここだ、と思われるところを左折。

それを南進して、何か入口っぽい、というところを左折して進むと、宮内庁の「開化天皇陵へは三条通からお願いします」と。

仕方なく来た道を戻ると、住吉神社があったので参拝。
開化天皇陵「春日率川坂上陵」付近の住吉神社 - ぶっちゃけ古事記
来た道をまた左折して、三条通に到着。また左折して東進。間もなく行くと、ようやく開化天皇陵に到着。念仏寺山古墳、宮内庁により「春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)」として治定されています。
開化天皇陵「春日率川坂上陵」 - ぶっちゃけ古事記
つまり、何が言いたいかというと、開化天皇陵まで、開化天皇陵をぐるりと一周させられた、というか、私が勝手にしてしまったのですが。初めから三条通を目指していけばこうまで遠回りする必要もなかったのに。。上の図で、グーグルマップポイントが近鉄奈良駅、青い線を行ったのが私のルート、赤い線が正解のルート。
開化天皇陵「春日率川坂上陵」への正解ルート - ぶっちゃけ古事記
くどくど書いたのは、ここで大幅に時間を取ってしまったために、大古事記展のプレス内覧の時間に間に合わない恐れがでてきてしまいました。大した距離ではないのですが、ダッシュで会場の奈良県立美術館に向かう羽目に。

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