2014年10月17日7時。大古事記展のプレス内覧は10時から、開幕式は13時からだったので、まだ時間があります。宿泊先(近鉄奈良駅近く)のホテルの近くにあった看板を見ると、「春日大社まで2.5キロ」。
もちろん歩いて歩けない距離ではないですが、昨日の強行軍が祟って、足腰はボロボロ。しかし、昨日に比べれば2.5キロなど、世界遺産の魅惑の前ではゼロも同然。と、意気揚々に出発。
往復5キロなんだけどね。出発時、帰りのことは全く頭の中になかった。。
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町中にそこかしこに「平成27・28年 春日大社 第六十次 式年造替」を祝う弾幕が掲げられていたので、本ではもちろん、中門などの参観は無理か、とちょっと残念な気持ちを抱え、左手に興福寺・五重塔を見ながら進みます。 と、いきなり鹿が登場。普通に車道を横断していて、微笑ましい。 2.5キロが頭にこびりついていたためか、一の鳥居まではすぐでした。ここから長いともつゆ知らず、「楽勝じゃん」などと思いつつ。 ここからは鹿も多くなります。神使ですからね。 2.5キロは伊達じゃない。かなり歩いて、ようやく本殿近くまで到着。 「式年造替」一色ですね。編年表はイラスト入りで分かりやすかった。 どーん。 やはり中門には工事用の幕が下ろされていますね。朝早かったこともあり、そもそも近づけず。
重要文化財の回廊に、サルタヒコを祀る榎本神社が。サルタヒコはそもそも春日の地主神として尊崇されてきていたようですが、藤原氏とサルタヒコ、うーん興味深いですね。 兵主神社 若宮神社 金龍神社 春日大社は神護景雲二年(768年)創建とされているので、古事記成立から50年以上後になります。当然、古事記にはそれを匂わすもの含め、記載はありません。
しかし、春日大社、古事記と関係があるんです! もちろんご祭神が古事記ゆかりの神々である、ということにとどまらず。
これは、大古事記展のプレス内覧の時に知ったのですが、春日大社には古事記を知る上では非常に重要な手掛かりを残されていました。大古事記展に出品されています。
古事記の1300年を考えるうえで、本居宣長(1730年-1801年)で一線を画すのは当然。それ以降の古事記の位置づけは極めて明確に判明していますが、ではそれ以前はどうだったのだ、というのはまだまだ分かっていないことが多い。
また改めて詳述しますが、今回春日大社から大古事記展に出品された文献資料によれば、江戸幕府成立(1603年)前後、春日大社で古事記に関する勉強会が開催されていた、とのこと。水戸学が興るはるか前ですし、春日大社だけが特別とは思えませんので、当時から古事記は一部の人々の間では読み込まれ、研究されていた、と考えられるわけです。
ただし、このことは春日大社をめぐっていた時には知りませんでしたが。。
さて帰り。「そうか、もう2.5キロ歩いて戻らなければ。。」
境内から離れれば、バス停もあって、バスに乗ろうかと考えましたが、ふと見ると、右側に東大寺大仏殿が。
古事記とは少し離れてしまいますが、フラフラと外観だけ見てきました。 そうこうしているうちに、結局歩いて近鉄奈良駅まで戻ってきました。朝一から昨日に続くハードな旅路。メーンテーマ(大古事記展のプレス内覧と開幕式の取材)を前に早くも息切れ。 古事記紀行2014 > (7)春日大社 - 式年造替 | 春日大社 | 若宮神社 | 氷室神社
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往復5キロなんだけどね。出発時、帰りのことは全く頭の中になかった。。
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重要文化財の回廊に、サルタヒコを祀る榎本神社が。サルタヒコはそもそも春日の地主神として尊崇されてきていたようですが、藤原氏とサルタヒコ、うーん興味深いですね。 兵主神社 若宮神社 金龍神社 春日大社は神護景雲二年(768年)創建とされているので、古事記成立から50年以上後になります。当然、古事記にはそれを匂わすもの含め、記載はありません。
しかし、春日大社、古事記と関係があるんです! もちろんご祭神が古事記ゆかりの神々である、ということにとどまらず。
これは、大古事記展のプレス内覧の時に知ったのですが、春日大社には古事記を知る上では非常に重要な手掛かりを残されていました。大古事記展に出品されています。
古事記の1300年を考えるうえで、本居宣長(1730年-1801年)で一線を画すのは当然。それ以降の古事記の位置づけは極めて明確に判明していますが、ではそれ以前はどうだったのだ、というのはまだまだ分かっていないことが多い。
また改めて詳述しますが、今回春日大社から大古事記展に出品された文献資料によれば、江戸幕府成立(1603年)前後、春日大社で古事記に関する勉強会が開催されていた、とのこと。水戸学が興るはるか前ですし、春日大社だけが特別とは思えませんので、当時から古事記は一部の人々の間では読み込まれ、研究されていた、と考えられるわけです。
ただし、このことは春日大社をめぐっていた時には知りませんでしたが。。
さて帰り。「そうか、もう2.5キロ歩いて戻らなければ。。」
境内から離れれば、バス停もあって、バスに乗ろうかと考えましたが、ふと見ると、右側に東大寺大仏殿が。
古事記とは少し離れてしまいますが、フラフラと外観だけ見てきました。 そうこうしているうちに、結局歩いて近鉄奈良駅まで戻ってきました。朝一から昨日に続くハードな旅路。メーンテーマ(大古事記展のプレス内覧と開幕式の取材)を前に早くも息切れ。 古事記紀行2014 > (7)春日大社 - 式年造替 | 春日大社 | 若宮神社 | 氷室神社
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