なんということでしょう、JR桜井線の柳本駅に着いた時、次の電車まで5分。柳本駅発着の電車は1時間に2本程度なので、かなりの幸運。山辺の道(山の辺の道)を当初予定より大幅に歩いた甲斐があった、というもの。
柳本駅に到着したJR桜井線に乗って、天理駅で降ります。目指すは石上神宮(いそのかみじんぐう)。
徒歩で行こうかと思いましたが、約3キロ。山辺の道を予想以上に歩いてきた後とあっては、気力、体力、時間を総合して考えて、かなりの距離と判断。タクシーで移動。
この神社、何がスゴイって、古事記でほとんど唯一バッチリ名前が記載されている神社。古事記において、大神神社が日本最古の社と考えられますが、大神神社という名前が記載されているわけではありません。
石上神宮はそのまま、1300年前の日本最古の書物に「石上神宮」と記載されているのです。これは伊勢の神宮、出雲大社にもないことです。
しかも三か所に出てきます。初めに初代神武天皇の東征の時、次いで第十一代垂仁天皇の御世に、さらに第十七代履中天皇が泥酔して難波で弟に反逆されて殺されそうになった時、命からがらで逃げ帰ったのがこの石上神宮。しばらくの間、履中天皇は石上神宮で政を行ったことが、古事記からでもわかります。
つまり、古事記記載の年数が正しければ、古事記世界において1000年近く、差し引いて少なく見積もっても数百年単位で重きをなし、以後現在まで1300年の長きにわたって存在し続けてきた社ということになります。
もうかなり日も落ちた夕方だったためか、参拝客も帰る人が多く、境内に残っている人は多くありませんでした。それでも熱心にお参りしている方々の姿が印象的でした。
それと鶏。かなりの数、放し飼いにされており、鳴き声も大きく。
さて、帰り。バスがあるとのことでしたが、バス停がよく分からず、とりあえず徒歩で戻っていくと。見つけたバス停の時刻表をちらっと見た感じ、16時ぐらいが終バスだった。。どちらにしろあったとしても1時間に1本程度、あきらめて徒歩で駅まで行くことに。
天理教本部を右手に見ながら、またまたてくてく歩いて帰って行く。地元の青少年が自転車や原付ですいすい移動していますが、こうした移動手段がないと、ホント辛い。
しかし、このあたりは天理市の中心街、本当に宗教都市という感じで、天理教関連の巨大な建物が多く立ち並んで目を引きます。
途中、神明神社というお社があったのでお参り。
さて、やはり疲労困憊で天理駅に到着。今度は近鉄です。近鉄の方はおおむね5-10分に一本は電車があるので、時間もあまり気にせずにすみます。つまり、ここでJR桜井線の本数の少なさに対する悩みから解放された瞬間でもあります。
目指すは尼ヶ辻駅、近鉄橿原線直通の近鉄天理線に乗って移動です。 古事記紀行2014 > (5)石上神宮 - 石上神宮 | 出雲建雄神社 | 鶏、牛の像、ワカタ、そして柿本人麻呂
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柳本駅に到着したJR桜井線に乗って、天理駅で降ります。目指すは石上神宮(いそのかみじんぐう)。
徒歩で行こうかと思いましたが、約3キロ。山辺の道を予想以上に歩いてきた後とあっては、気力、体力、時間を総合して考えて、かなりの距離と判断。タクシーで移動。
この神社、何がスゴイって、古事記でほとんど唯一バッチリ名前が記載されている神社。古事記において、大神神社が日本最古の社と考えられますが、大神神社という名前が記載されているわけではありません。
石上神宮はそのまま、1300年前の日本最古の書物に「石上神宮」と記載されているのです。これは伊勢の神宮、出雲大社にもないことです。
しかも三か所に出てきます。初めに初代神武天皇の東征の時、次いで第十一代垂仁天皇の御世に、さらに第十七代履中天皇が泥酔して難波で弟に反逆されて殺されそうになった時、命からがらで逃げ帰ったのがこの石上神宮。しばらくの間、履中天皇は石上神宮で政を行ったことが、古事記からでもわかります。
つまり、古事記記載の年数が正しければ、古事記世界において1000年近く、差し引いて少なく見積もっても数百年単位で重きをなし、以後現在まで1300年の長きにわたって存在し続けてきた社ということになります。
もうかなり日も落ちた夕方だったためか、参拝客も帰る人が多く、境内に残っている人は多くありませんでした。それでも熱心にお参りしている方々の姿が印象的でした。
それと鶏。かなりの数、放し飼いにされており、鳴き声も大きく。
さて、帰り。バスがあるとのことでしたが、バス停がよく分からず、とりあえず徒歩で戻っていくと。見つけたバス停の時刻表をちらっと見た感じ、16時ぐらいが終バスだった。。どちらにしろあったとしても1時間に1本程度、あきらめて徒歩で駅まで行くことに。
天理教本部を右手に見ながら、またまたてくてく歩いて帰って行く。地元の青少年が自転車や原付ですいすい移動していますが、こうした移動手段がないと、ホント辛い。
しかし、このあたりは天理市の中心街、本当に宗教都市という感じで、天理教関連の巨大な建物が多く立ち並んで目を引きます。
途中、神明神社というお社があったのでお参り。
さて、やはり疲労困憊で天理駅に到着。今度は近鉄です。近鉄の方はおおむね5-10分に一本は電車があるので、時間もあまり気にせずにすみます。つまり、ここでJR桜井線の本数の少なさに対する悩みから解放された瞬間でもあります。
目指すは尼ヶ辻駅、近鉄橿原線直通の近鉄天理線に乗って移動です。 古事記紀行2014 > (5)石上神宮 - 石上神宮 | 出雲建雄神社 | 鶏、牛の像、ワカタ、そして柿本人麻呂
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