山辺の道(山の辺の道) 大神神社から檜原神社までの石畳部分の一角2 - ぶっちゃけ古事記
山辺の道(山の辺の道)は古事記にも記載のある、その意味では日本最古の幹線道路とも言えるかもしれません。古事記には第十代崇神天皇の陵が「御陵は山辺の道の勾の岡の上に在り」、第十二代景行天皇の陵が「御陵は山辺の道上に在り」としています。

今では天理市の石上神宮から、この大神神社までの15キロほどの道が絶好のハイキングコースとなっているようで、この日も天候に恵まれたことも手伝って、多くの方々が歩いておられました。

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私のように、大神神社→石上神宮(さすがにこの日、15キロ先の石上神宮まで歩いて行こうとは考えませんでしたが)方面というルートで進む方は少ないようで、9割以上は石上神宮方面から大神神社方面に向かっていました。

そのため、行き合う人々が極めて多くなり、「こんにちはー」と声を掛け合って進むことになります。それはそれでまた旅情気分を掻き立てます。

途中には玄賓庵(げんびあん)がありました。謡曲「三輪」で有名な玄賓僧都が隠棲した庵で、重要文化財の木造不動明王座像が伝わっています。玄賓は弘仁九年(818年)、古事記成立約100年後にお亡くなりになっています。
玄賓庵(げんびあん) - ぶっちゃけ古事記
大神神社付近から歩くこと20分ほどで檜原神社に到着しました。
檜原神社の全景 - ぶっちゃけ古事記
古事記にはありませんが、第十代崇神天皇の頃、アマテラスが宮中から祀られるべき地を探して旅を始める説話があります。この檜原神社はその旅路の途中に立ち寄った場所の一つ。アマテラスは結局、現在の伊勢に落ち着くので、この檜原神社は「元伊勢」の一つとされます。

檜原神社からさらに山辺の道を歩くと、「大和の青垣」の看板に出会いました。
「大和の青垣」の看板 - ぶっちゃけ古事記
ヤマトタケルほぼ辞世の和歌の一句。旅先での客死を間近に、ヤマトタケルが故郷を思って歌ったものと思われます。今回は初秋で少し紅葉が始まっているので青々という感じではなかったですが、確かに美しい光景でした。

さらに進むと分岐点に差し掛かりました。
山辺の道 分岐点 - ぶっちゃけ古事記
景行天皇陵まで1.5キロ、しかし逆方向には相撲神社、大兵主神社が最大で0.5キロ。近くの標識には大兵主神社まで0.7キロと出ていました。

正直、ここまでアップダウンの道を徒歩でてくてくやって来て、疲労困憊。往復1.4キロの逆方向は荷が重かったのですが、せっかくですので、奮起して相撲神社の方向へ向かいます。

そして邂逅したのが、景行天皇の纒向日代宮跡の碑。
景行天皇の纒向日代宮跡の碑
古事記にも登場してくる纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)です。このあたりにこの碑があることは事前調査で分かっていましたが、行って探してみようということではなく、たまたま出会えた僥倖。奮起してみるものです。

もうしばらく行くと、景行天皇の都の名前が由来となっている纒向遺跡を一望できる高台もありました。まさに絶景。
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さらに進んでいくと、相撲神社、大兵主神社(穴師坐兵主神社)に到着、それぞれ参拝します。

相撲神社
相撲神社 お社全景 - ぶっちゃけ古事記
大兵主神社
大兵主神社 - ぶっちゃけ古事記
大兵主神社のキロ表示が二通りだったのは、大兵主神社の入口と、拝殿まで、比較的長い参道があったためのようです。さて、来た道をたどり、元の分岐点まで戻ります。そこから改めて景行天皇陵を目指します。
山辺の道(山の辺の道) 檜原神社から景行天皇陵までの途上 - ぶっちゃけ古事記
ここからもアップダウンがきつかったのですが、何とか到着。先に紹介した「御陵は山辺の道上に在り」、山邊道上陵です。渋谷向山古墳(奈良県・天理市)。
景行天皇陵「山邊道上陵」 - ぶっちゃけ古事記
景行天皇も一般にはあまり馴染みのない方かもしれません。古事記において押さえておきたいのは、80人もの子だくさんであり精力家でありながら、息子の一人ヤマトタケルを恐れて西へ東へ派遣して、まつろわぬ神や人を征討させるという名目のもと、「生きて帰ってくるなっ」と追い出した方。

だからこそ、ヤマトタケルの辞世の和歌とも言うべき、先に紹介した、「まほろば」の歌が残され、「大和の青垣」とたたえられる礎にもつながった、とも言えます。

さて、次いで崇神天皇陵。景行天皇陵から崇神天皇陵は目と鼻の先ですが、山辺の道を戻ると大幅な遠回りになるので、さすがに山辺の道はここで終了し、国道169号を北上することにしました。

その途中にあったのが伊射奈岐神社。大和天神山古墳(奈良県・天理市)に鎮座する神社。
伊射奈岐神社 - ぶっちゃけ古事記
ここも参拝させていただき、その後崇神天皇陵へ。先に紹介した通り、「御陵は山辺の道の勾の岡の上に在り」、山邊道勾岡上陵です。行燈山古墳(奈良県・天理市)。
崇神天皇陵「山邊道勾岡上陵」 - ぶっちゃけ古事記
古事記において、崇神天皇はオオタタネコを探し出して、三輪山オオモノヌシを祀り、叔父に当たるオオビコや、異母弟に当たるヒコイマスらを各地に派遣して領土を拡張、別の伯父タケハニヤスに反逆されるも、オオビコの活躍で平定、などの事績が語られています。

参拝後、崇神天皇陵を後にして、途中、33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名な黒塚古墳(柳本公園)を右手に見ながら、JR桜井線の柳本駅を目指します。
黒塚古墳(柳本公園) - ぶっちゃけ古事記
JR桜井線の運行時間を気にしながら。。ともかく、3時間強の山辺の道を中心とした散策がここで終了したわけです。
古事記紀行2014 > (4)景行・崇神天皇陵 - 玄賓庵 | 檜原神社 | 山辺の道 | 相撲神社 | 大兵主神社 | 景行天皇陵 | 伊射奈岐神社 | 崇神天皇陵 | 黒塚古墳

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