畝傍駅の貴賓室 - ぶっちゃけ古事記
畝傍駅からJR桜井線に乗ろうとしたら電車が来るまであと30分ほど。ちょうど昼食時だったので、軽食でも、と思ったら、お店があまりない。。結局、近鉄の大和八木駅まで歩いて行き、その近くのコンビニで買い物。そうこうしているうちに、間もなく電車到着。これを乗り損なうと、もう1時間待ち。

さて、この畝傍駅には貴賓室があります。かつては、橿原神宮や神武天皇陵への最寄り駅だったため、とのこと。1940年(昭和15年)には皇紀2600年大祭が営まれて昭和天皇が、1959年(昭和34年)には成婚から間もない皇太子夫妻(今上天皇・皇后)が、この貴賓室を利用されたとのこと。

・「大神神社」に関する商品をアマゾンで探す

今ではロートル感が漂ったものに感じられる駅の造りが、よく見てみるとローカル線に似つかわしくない(失礼!)ほど立派なものになっているのは、このためのようです。
畝傍駅 - ぶっちゃけ古事記
電車に乗り桜井方面へ、途中車窓で右側に香具山を望みながら、三輪駅で降ります。ここから大神神社までは徒歩五分ほど。

この駅で降りると、大鳥居まではだいぶ遠回りになるため、今回は保留。遠景だけでも。
大神神社の大鳥居(遠景) - ぶっちゃけ古事記
大物神社は大和国一ノ宮(一宮)、オオモノヌシを祀る、日本最古のお社とされます。古事記のオオクニヌシ編において、一緒に国造りを頑張っていたスクナビコナが突然どこかに行ってしまい、困り果てていたオオクニヌシの前に現れたのがオオモノヌシ。
resize0740
オオモノヌシがオオクニヌシに「わたしを大和の国の青々と取り囲んでいる東の山の上に祀りなさい」と命じ、古事記にはそこが「御諸山」、つまり三輪山だとしています。

時が流れて、第十代崇神天皇の御世、疫病が発生して困り果てていた崇神天皇の夢枕にまたオオモノヌシが現れ、「子孫のオオタタネコに自分を祀らせなさい」と命じます。

すぐにオオタタネコを探し出した崇神天皇は、オオタタネコを神主にして「御諸山」、つまり三輪山を祀らせました。オオタタネコが神主の祖であり、ここでもプチ起源。

これらが大神神社の起源になっており、だからこそ日本最古の神社となります。
大神神社の拝殿 - ぶっちゃけ古事記
イザナギが隠居した跡にできたと思われる伊弉諾神宮(淡路島)の方が先のように思われますが、イザナギは隠居したとは書いてあっても、人々が祀った、神として祀られたという記述は古事記にはありません。もちろん、オオクニヌシが隠居した、後の出雲大社よりも大神神社は先んじています。

磐座神社
磐座神社 - ぶっちゃけ古事記
久延彦神社
久延彦神社 - ぶっちゃけ古事記
狭井神社(拝殿はお屋根檜皮葺替工事中でした)
狭井神社(拝殿はお屋根檜皮葺替工事中でした)
大神神社の摂社・末社をいくつか参拝しながら、ふと看板を見ると「檜原神社まで徒歩20分」とあることに気が付きました。元伊勢の一つで、行ってみたいとは思っていましたが、当初予定のルートからは微妙に外れているかな、と思って候補落ち寸前だった社。

当初はここからまたJR桜井線に戻り、電車を乗り継いで、景行天皇陵などを見て回る予定でしたが、檜原神社から景行天皇陵まで徒歩50分の表示も目に入ったので、1時間に1-2本しかないJR桜井線を当てにするよりは、歩いて回った方が、結局は時間の節約と思い直し、徒歩で進むことにしました。
山辺の道(山の辺の道) 大神神社から檜原神社までの石畳の一角1 - ぶっちゃけ古事記
こうして、山辺の道(山の辺の道)を進むことになります。
古事記紀行2014 > (3)大神神社 - 大神神社 | 祓戸神社・夫婦岩 | 磐座神社 | 久延彦神社 | 狭井神社

・「大神神社」に関する商品をアマゾンで探す
古事記紀行prev     古事記紀行next
【関連記事】
狭井神社 - 大神神社の由緒正しき摂社は、オオモノヌシ娘イスケヨリ、神武帝ゆかり
久延彦神社 - 大神神社末社、案山子なのに知識の神の正体、実はスゴイ人?
磐座神社 - 三輪山数多くの磐座でも特別?国造りのスクナビコナを祀る社殿のない神社
祓戸神社と夫婦岩 - 大神神社の参道にある、ご祭神より先にお参りしてもいい社
大神神社 - 崇神天皇の都のすぐ近く、その祟りへの怯えが実感できる日本最古の社
大神神社 - 日本最古の神社、神武天皇ゆかりで皇室から一貫して尊崇される