阿蘇神社の拝殿 - Wikipedia
阿蘇市一の宮町の阿蘇神社で2014年9月25日、秋の収穫に感謝する「田実祭」があり、楼門前の横参道で勇壮な流鏑馬が奉納されたようです。熊本日日新聞が報じています。写真は阿蘇神社の拝殿(出典:Wikipedia)。

それによれば、旧阿蘇清峰高の馬術部OBでつくる同神社流鏑馬射手会の9人が、烏帽子に直垂、シカ革製の行縢姿で馬にまたがり登場、全国の神社の中でも珍しい同社の特徴である横参道を、140メートルさっそうと馬を走らせ、三つの的を目がけて次々と矢を放ったと言います。

阿蘇神社のご祭神は、初代神武天皇が、大和への東遷完了後皇后に迎えたイスケヨリとの子らと、その子孫が中心です。第二代綏靖天皇は十二宮に金凝神として祀られていますが、他の二人の子とその子孫たちを主としています。

神武天皇と皇后イスケヨリの子のうち、綏靖天皇(三男)に皇位を譲った兄(次男)のカムヤイミミ、古事記には記載のないカムヤイミミの子の健磐龍命(たけいわたつのみこと)が一宮に祀られています。

健磐龍命には阿蘇の国造りに関する有名な神話があり、それが当社にも受け継がれていると考えてよいでしょう。阿蘇の国造りに関する神話に関してはこちらから。

古事記には名前の記載しかない、神武天皇と皇后イスケヨリの長男ヒコヤイが國龍神として三宮に祀られています。

つまり、主に長男ヒコヤイ、次男カムヤイミミとそれらの子孫がご祭神の中心となっており、全部で十二宮あります。これらの阿蘇神社ご祭神の系譜はこちらから。

阿蘇にも非常にたくさんの神話が残されており、それが今も深く息づいている興味深い土地柄です。こちらに極めて詳細な情報が記載されていますが、いずれおりを見て本サイトでも考察してみたいと考えています。

ともかく、今回は一点のみ。特に流鏑馬とは関係ないのですが。

神武天皇には、東遷前に日向で娶ったアヒラヒメがいます。このアヒラヒメとの間に、タギシミミキスミミという二人の子をもうけます。

タギシミミは、神武天皇の死後、未亡人となった皇后イスケヨリと結婚し、ヒコヤイ、カムヤイミミ、綏靖天皇という神武天皇とイスケヨリの子らの殺害を企てます(タギシミミの反逆)が、母イスケヨリのサポートを得て先手を打って立ち上がったカムヤイミミと綏靖天皇に滅ぼされます(この時、タギシミミをカムヤイミミは殺せず、綏靖天皇が殺したため、皇位が三男に引き継がれていきます)。

アヒラヒメと、もう一人の子キスミミについては、その後、古事記では記述がありません。キスミミに関しては東遷に随行したかもしれませんが、アヒラヒメが同行したとは考えづらく、日向に残った可能性があります。そうすると、阿蘇とは極めて近い位置に、神武天皇にとっては前妻(つまり一定の集団)がいたということになります。

神話によれば、阿蘇への派遣は祖父である神武天皇が健磐龍命に命じたとされていますが、アヒラヒメ系列ではなく、イスケヨリ系列に命を下した点に、何やら政治的な思惑が見え隠れしているのかもしれません。

【関連記事】
阿蘇神社 - 初代神武天皇の孫とそのファミリーによる構成、当地一大勢力・阿蘇氏
寮美千子氏「八咫烏」エッセイで、天皇家と古事記編纂者の家系の分岐点を見極める
実子に後妻寝取られ反逆される故・神武天皇 直系が奮起して乱を平定