牡丹山諏訪神社の古墳発掘調査の時のもので、埴輪片の数々 - にいがた東区ゲンキ魂
新潟市東区の牡丹山諏訪神社内に、5世紀頃に造られたと思われる古墳があったことが、新潟大人文学部の橋本博文教授(考古学)らの調査で明らかになりました。古墳からは大和政権とのつながりを示唆する須恵器の破片も見つかったと言います。橋本教授は「大和政権と密接な関係を持つ有力者がいた可能性を示しており、非常に重要な手がかりだ」と話しています。読売新聞が報じています。写真は牡丹山諏訪神社の古墳発掘調査の時のもので、埴輪片の数々(出典:にいがた東区ゲンキ魂

牡丹山諏訪神社は2013年8月、新潟初となる円筒埴輪片が発見され、古墳があることが確認されていました。牡丹山諏訪神社の発掘は9月1日から始められており、その模様はこちらで詳しく写真入りで紹介されています。7日には現地説明会が開催されました。

橋本教授のお話によれば、推定できる円墳の規模は直径30-36メートル、高さ2メートル以上、掘の幅は約8メートルになる。築造時期は円筒埴輪などの特徴から5世紀前半と断定した、とのこと。そして、須恵器の破片。当時は朝鮮半島から伝わったばかり。それがなぜこの地にあるのか、「須恵器が出始めの時代に、豪華な器台を持てた被葬者は誰か。大和政権からもらえるような位が高い人物と考えるのが自然」(橋本教授)と言います。

「日本書紀」に記述がある、大和政権の防衛・行政拠点「渟足柵(ぬたりのき)」は、7世紀ごろ、この古墳が見つかった東区に置かれていたという見方が強く、渟足柵の発見につながるかもしれない、ともされています。