Miyakozuka-kofun_sekikan
蘇我稲目の墓の可能性が高く、国内に類例のない階段ピラミッド状の古墳であることが明らかになった奈良県の明日香村の都塚古墳(6世紀後半=古墳時代後期)。現地説明会など発掘調査成果の公表から1カ月以上過ぎた今も、現地を訪れる見学者は後をたたず、関心の高さが続いており、村では古墳の史跡指定を受け、整備する計画だといいます。MSN産経ニュースが報じています。写真は都塚古墳の石棺(出典:Wikipedia)。

西に飛鳥稲淵宮殿跡(約500メートル)、北西に石舞台古墳(約400メートル)、北東に春日神社、南東に葛神社、南方に金剛寺、西南に坂田寺跡、これらのほぼ中央に位置する都塚古墳。8月16日の現地説明会には約4100人が殺到したことで話題になりました。

東西41メートル、南北42メートル、高さは山に面した東側が4.5メートル以上、谷に面した西側が7メートル以上という規模の方墳。今は浸食されて、高さなどもだいぶ失われてしまいましたが、改めての調査を経て、史跡指定され、これらの一部あるいは全部が復元されれば、極めて価値の高い観光資源になることでしょう。

埋葬施設は横穴式石室で、全長12.2メートル、内部に大型の家形石棺(長さ2.2メートル、幅1.5メートル、高さ1.7メートル)が安置されています。石室は盗掘されていましたが、須恵器、刀子、鉄鏃が出土しています。

古墳時代の終焉とともにその記述を終える古事記においても、ソガノイナメの登場(とはいっても、系譜での記述における名前のみ)も、やはり最後尾。古事記の記述終了を連想させるソガノイナメの陵墓の整備と、さらなる研究発展は、古事記の世界に触れる上でも、非常に有意義なものとなりそうです。

是非今後の進展に期待したいと思います。

【関連記事】
日本のピラミッド、明日香村の都塚古墳で発掘調査の成果を紹介するパネル展 - 村埋文展示室
階段ピラミッドとされる都塚古墳で新たは発掘調査成果、写真パネル展が15年3月-4月開催
都塚古墳 - 本当に何の変哲もない畑に囲まれた小山のようなものなのだが
【古事記紀行2014】(1)今話題の“日本のピラミッド”都塚古墳を一度は見てみたい!
古事記から読み解く蘇我稲目と、都塚古墳―その祖・建内宿禰と半島とのかかわり
都塚古墳、7、8段の石積みのピラミッド型墳丘 被葬者は蘇我稲目? - 奈良・明日香