福岡県嘉穂郡の桂川町教委は2014年9月18日、同町寿命の金比羅山古墳の全体像を確認した、と発表しました。全長80メートルに及ぶ前方後円墳で、形態から3~4世紀の古墳時代前期に造られたとみられ、遠賀川流域で最大・最古級といいます。朝日新聞が報じています。写真は同町にある別の古墳・王塚古墳(出典:Wikipedia)
21日には現地説明会が開催されます。資料はこちらから。
調査に当たっている、九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室の案内ページはこちらにあります。
桂川町(けいせんまち)には6世紀に造られた前方後円墳で、全長86メートルの王塚古墳があります。金比羅山古墳と王塚古墳は築造年代に大きな開きがあると考えられていますが、地理的には極めて隣接しているようで、二つの古墳の距離は1キロ程度とのこと。
なぜこのように年代に開きがあるかというと、今回の金比羅山古墳の発掘調査で、この古墳が、後円部と前方部の高さの差が大きく、後円の頂部の平らな面が広いといった構造的な特徴を有し、埴輪はにわや斜面の葺ふき石が見つからない状況だったためと言われています。
古事記において、九州は極めて重要な舞台であり続けました。3世紀から6世紀にかけて、桂川町において、80メートル級の前方後円墳である金比羅山古墳と王塚古墳が断続的に築造されてきたところにも、それが表れていると言えそうです。
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21日には現地説明会が開催されます。資料はこちらから。
調査に当たっている、九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室の案内ページはこちらにあります。
桂川町(けいせんまち)には6世紀に造られた前方後円墳で、全長86メートルの王塚古墳があります。金比羅山古墳と王塚古墳は築造年代に大きな開きがあると考えられていますが、地理的には極めて隣接しているようで、二つの古墳の距離は1キロ程度とのこと。
なぜこのように年代に開きがあるかというと、今回の金比羅山古墳の発掘調査で、この古墳が、後円部と前方部の高さの差が大きく、後円の頂部の平らな面が広いといった構造的な特徴を有し、埴輪はにわや斜面の葺ふき石が見つからない状況だったためと言われています。
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