Miyakozuka-kofun
明日香村教委などの調査で、極めて珍しい階段状墳丘を持つ方墳と分かった都塚古墳は、周囲には石舞台古墳などがあり、地元の住民は古くから「金鳥塚(きんちょうづか)」と呼んで親しんできたと言います。毎日新聞が報じています。写真は都塚古墳の全景(出典:Wikipedia)。

都塚古墳(みやこづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村にある方墳で、代表的な後期古墳であるとされます。今回の発掘調査の結果、日本では全国でも例を見ないピラミッド状の古墳であることが確認されました。

場所は、蘇我馬子が被葬者として有力視される石舞台古墳の南東約400メートル、尾根の先端の傾斜地に築かれています。一帯は吉野方面への街道が通る要衝で、馬子の邸宅跡とされる島庄遺跡や飛鳥の中心部を北西に望めると言います。

この古墳で特筆されるのは、墳丘の構造が階段状になっている点。普通の方墳は2段か3段築成であるが、都塚古墳の場合、幅6メートルほどのテラス(基壇)の上に幅1メートル・高さ0.6 - 0.3メートルの石積みの階段を重ねて墳丘を築いていて、元は7、8段もあったと考えられています。

被葬者の有力候補として蘇我稲目が挙げられています。古事記にもソガノイナメとして登場しています。

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