大長谷命(おおはつせのみこと)
大長谷若建命(おおはつせわかたけるのみこと)とも。オオハツセ。
『古事記』に記載のある男性皇族。
父は第19代允恭天皇、母はオオナカツヒメ。第七子。
同母兄にカルミコ、クロヒコ、第20代安康天皇、シロヒコ、同母姉にナガタノオオイラツメ、カルノ、同母妹にタチバナノオオイラツメ、サカミノイラツメがいる。
兄の安康天皇が、第16代仁徳天皇の皇女ワカクサカとの結婚を進めてくれる。
しかし、使者・根臣からの偽りの報告を真に受け、その兄のオオクサカを安康天皇が誅してしまうことで、この結婚話は一旦保留される。
オオクサカを誅したことの因果で、安康天皇は連れ子のマヨワに暗殺される。この未曽有の混乱のどさくさに際して、兄のクロヒコ、シロヒコを惨殺しつつ、マヨワを滅ぼして、皇位に就く。
第21代天皇(天皇家の系譜)。
皇居は長谷の朝倉の宮。伝承地は、奈良県桜井市黒崎。
即位前、カラフクロから話を聞いて、従兄のイチノベノオシハ(第17代履中天皇の皇子)を伴って狩りに出かけた。
現地ではお互い仮宮を設けたものの、翌朝、まだ日も出ていない頃、イチノベノオシハが馬に乗りながら、大長谷命の仮宮に立ち、その従者に「まだお目覚めではござらんか。早く起こすがよい。もう夜が明けた。狩場にお出でなさいませ」と告げ、馬を進めた。
この従者が大長谷命に、「ちょっと変だったので、身を気を付けた方がよろしいかと」と告げると、早速大長谷命は完全武装し、馬で進んで、イチノベノオシハに追いつき、問答無用で弓矢で射殺した。イチノベノオシハの二人の子、意祁王(後の第24代仁賢天皇)と袁祁王(後の第23代顕宗天皇)は逃走する。
ようやくワカクサカを嫁に取ろうと、河内に御幸すると、屋根の上に鰹木を上げて作った家を見かけ、「天皇の御殿のような造りだからダメ、燃やしちゃいな~」とお供の者に命じたところ、その家の持ち主であるシキノオオアガタヌシが慌てて飛び出してきて、平伏。犬などを贈り物にして、ようやく許される。
ワカクサカの家に着くと、シキノオオアガタヌシからせしめた犬をプレゼントしつつ、その帰り道、「早くいっぱいエッチしたいね~」的な歌をワカクサカに送り届ける。
ワカクサカを皇后とする。皇后との間に子はなさなかったが、天皇暗殺犯マヨワが逃げ込み、これを匿い、自身が滅ぼしたツブラオホミ、その娘であるカラヒメを妃の一人とし、シラガ(後の第22代清寧天皇)とワカタラシヒメをもうける。
シラガの名を記念し、白髪部を定める。また、長谷部の舎人を定め、河瀬の舎人を定める。この時、中国大陸から人(呉人)が渡って来て、その人々を定めた場所を呉原と言うようになった。
三輪川に御幸した時、麗しき童女が洗濯していた。「誰の子だ?」と聞いたところ、「引田部のアカイコ」と答えたので、「オマエ、嫁に行くな。大人のオンナになったら呼んでやる」と伝える。
しかし、そのことをすっかり忘れて数十年、アカイコは80歳を過ぎる老婆になっても声がかからなかったので、その当時の約束の品を持ち、都に上り、面会しにきた。数首の歌を送り、多くのものを下賜して帰す。
吉野に御幸した時、キレイなオネーチャンがいたので、ソッコー合体。また吉野に行った時、そのオネーチャンを侍らせて、「若けー女はいいな~」的な歌を歌う。
また、吉野に行った時、蜻蛉島(あきつしま)の歌を歌う。
葛城山に行った時は、おっことぬし様のような、イノシシな神を射殺そうとしたために逆鱗に触れ、命からがらハンノキの木に登って逃げおおせ、情けない歌を歌う。
また、やはり葛城山ではヒトコトヌシに遭遇。高名な神様に対して最敬礼して平伏。
新たな妃ヲドヒメを得た時、「早くひん剥きたーい」的な歌を歌う。
長谷での宴会で、粗相のあった三重の采女を有無言わさず殺そうとするが、その采女の命乞いの歌が素晴らしかったので、許す。ヲドヒメに手コキを強要する歌を歌う。
『古事記』の系譜にはないが、娘にカスガノオオイラツメがいる。第24代仁賢天皇と結婚する。「春日」なので、ヲドヒメとの子を連想させる。
127歳で崩御(己巳年八月九日)。御陵は河内の多治比の高鸇にあり。宮内庁により大阪府・羽曳野市にあり、隣接する島泉丸山古墳(円墳)、島泉平塚古墳(方墳)が「丹比高鷲原陵」として治定されている。
また別に、河内大塚山古墳(大阪府・松原市)が「大塚陵墓参考地」として治定されている。全国第5位の大きさの古墳(古墳ランキング)。
古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇
【主な登場場面】
・病弱な允恭天皇が半島最先端の薬で回復 日本古代史最大の悲哀劇の伏線とは?
・佞臣の讒言を信じて忠臣を殺した安康天皇は、連れ子に仇討されて果てる
・いとこの無礼にキレてソッコー殺っちゃった雄略天皇 逃げる二人の御子
・雄略天皇「あの家、気に入らね、燃やせ」 嫁取りで早くエッチしたくて歌った歌
・「オマエ可愛いから大人になっても嫁行くな」と雄略天皇に言われた童女の顛末
・傍若無人の雄略天皇、さすがに神様には逆らえず最敬礼 鷹揚な神様もそれを赦す
・盃に葉っぱが入ってしまったので、その盃を献上した女を殺そうとする雄略天皇
【収録歌】
・雄略天皇、皇后ワカクサカとの結婚に際して露骨にシモな歌
・雄略天皇、70年も待ちぼうけをくらわしたアカイコに送った歌
・雄略天皇、老婆のアカイコに「若い頃抱けばよかった」の歌
・雄略天皇、アカイコに懲りたか吉野で見初めたオンナに送った歌
・雄略天皇、吉野への行幸の時に歌った、蜻蛉島に関する歌
・雄略天皇、おっことぬしに襲われた時に木の上に逃げた際の歌
・雄略天皇、新しい妃ヲドヒメを得ようと「露わにしたい」と歌った歌
・雄略天皇、酒宴の仕切り直し、オレ様のもとで楽しもうぜ!の歌
・雄略天皇、新しい妃ヲドヒメに「ナニを握れ」と直接的に求愛した歌
【関連記事】
・奈良桜井市の郵便局が、「超肉食系帝の、ムリヤリ縁結び」の雄略天皇ポストカードを作成
・世界遺産候補「百舌鳥・古市古墳群」から、被葬者が古代天皇のものを抽出して人物紹介した
・葛城一言主神社 - 一言の願いを聞き届けてくれるヒトコトヌシと雄略天皇を祀る
・比自岐神社 - 天皇の殯宮に奉仕した比自岐和気氏の祖神、7月第4日曜日に祇園祭
・『倭姫命世紀』 - “ただ”の伝説? ある皇女の数奇な一生、伊勢神宮の謎【目次】
・金錯銘鉄剣(複製品) - 雄略天皇と、オオビコの名が記された、かも?の鉄剣
・銀象嵌銘鉄刀(複製品) - やはり雄略天皇の名が記された銘文がある鉄の剣
・弾琴男子椅座像埴輪 - 仲哀天皇や雄略天皇も引いた琴、奏でるのは男子の仕事?
・大型家形埴輪 - 雄略天皇が激怒した鰹木のある家、格式高い特別な建築
【年】
・第21代雄略天皇元年 - 西暦457年。酉(とり)年、干支は丁酉
・第21代雄略天皇2年 - 西暦458年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
・第21代雄略天皇3年 - 西暦459年。亥(い)年、干支は己亥
・第21代雄略天皇4年 - 西暦460年。子(ね)年、干支は庚子
・第21代雄略天皇5年 - 西暦461年。丑(うし)年、干支は辛丑
・第21代雄略天皇6年 - 西暦462年。寅(とら)年、干支は壬寅
・第21代雄略天皇7年 - 西暦463年。卯(う)年、干支は癸卯
・第21代雄略天皇8年 - 西暦464年。辰(たつ)年、干支は甲辰
・第21代雄略天皇9年 - 西暦465年。巳(み)年、干支は乙巳
・第21代雄略天皇10年 - 西暦466年。午(うま)年、干支は丙午
・第21代雄略天皇11年 - 西暦467年。未(ひつじ)年、干支は丁未
・第21代雄略天皇12年 - 西暦468年。申(さる)年、干支は戊申
・第21代雄略天皇13年 - 西暦469年。酉(とり)年、干支は己酉
・第21代雄略天皇14年 - 西暦470年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
・第21代雄略天皇15年 - 西暦471年。亥(い)年、干支は辛亥
・第21代雄略天皇16年 - 西暦472年。子(ね)年、干支は壬子
・第21代雄略天皇17年 - 西暦473年。丑(うし)年、干支は癸丑
・第21代雄略天皇18年 - 西暦474年。寅(とら)年、干支は甲寅
・第21代雄略天皇19年 - 西暦475年。卯(う)年、干支は乙卯
・第21代雄略天皇20年 - 西暦476年。辰(たつ)年、干支は丙辰
・第21代雄略天皇21年 - 西暦477年。巳(み)年、干支は丁巳
・第21代雄略天皇22年 - 西暦478年。午(うま)年、干支は戊午
・第21代雄略天皇23年 - 西暦479年。未(ひつじ)年、干支は己未
【関連キャラ】
・雄略天皇 - 古事記後半の主役は、傍若無人な暴君
大長谷若建命(おおはつせわかたけるのみこと)とも。オオハツセ。
『古事記』に記載のある男性皇族。
父は第19代允恭天皇、母はオオナカツヒメ。第七子。
同母兄にカルミコ、クロヒコ、第20代安康天皇、シロヒコ、同母姉にナガタノオオイラツメ、カルノ、同母妹にタチバナノオオイラツメ、サカミノイラツメがいる。
兄の安康天皇が、第16代仁徳天皇の皇女ワカクサカとの結婚を進めてくれる。
しかし、使者・根臣からの偽りの報告を真に受け、その兄のオオクサカを安康天皇が誅してしまうことで、この結婚話は一旦保留される。
オオクサカを誅したことの因果で、安康天皇は連れ子のマヨワに暗殺される。この未曽有の混乱のどさくさに際して、兄のクロヒコ、シロヒコを惨殺しつつ、マヨワを滅ぼして、皇位に就く。
第21代天皇(天皇家の系譜)。
皇居は長谷の朝倉の宮。伝承地は、奈良県桜井市黒崎。
即位前、カラフクロから話を聞いて、従兄のイチノベノオシハ(第17代履中天皇の皇子)を伴って狩りに出かけた。
現地ではお互い仮宮を設けたものの、翌朝、まだ日も出ていない頃、イチノベノオシハが馬に乗りながら、大長谷命の仮宮に立ち、その従者に「まだお目覚めではござらんか。早く起こすがよい。もう夜が明けた。狩場にお出でなさいませ」と告げ、馬を進めた。
この従者が大長谷命に、「ちょっと変だったので、身を気を付けた方がよろしいかと」と告げると、早速大長谷命は完全武装し、馬で進んで、イチノベノオシハに追いつき、問答無用で弓矢で射殺した。イチノベノオシハの二人の子、意祁王(後の第24代仁賢天皇)と袁祁王(後の第23代顕宗天皇)は逃走する。
ようやくワカクサカを嫁に取ろうと、河内に御幸すると、屋根の上に鰹木を上げて作った家を見かけ、「天皇の御殿のような造りだからダメ、燃やしちゃいな~」とお供の者に命じたところ、その家の持ち主であるシキノオオアガタヌシが慌てて飛び出してきて、平伏。犬などを贈り物にして、ようやく許される。
ワカクサカの家に着くと、シキノオオアガタヌシからせしめた犬をプレゼントしつつ、その帰り道、「早くいっぱいエッチしたいね~」的な歌をワカクサカに送り届ける。
ワカクサカを皇后とする。皇后との間に子はなさなかったが、天皇暗殺犯マヨワが逃げ込み、これを匿い、自身が滅ぼしたツブラオホミ、その娘であるカラヒメを妃の一人とし、シラガ(後の第22代清寧天皇)とワカタラシヒメをもうける。
シラガの名を記念し、白髪部を定める。また、長谷部の舎人を定め、河瀬の舎人を定める。この時、中国大陸から人(呉人)が渡って来て、その人々を定めた場所を呉原と言うようになった。
三輪川に御幸した時、麗しき童女が洗濯していた。「誰の子だ?」と聞いたところ、「引田部のアカイコ」と答えたので、「オマエ、嫁に行くな。大人のオンナになったら呼んでやる」と伝える。
しかし、そのことをすっかり忘れて数十年、アカイコは80歳を過ぎる老婆になっても声がかからなかったので、その当時の約束の品を持ち、都に上り、面会しにきた。数首の歌を送り、多くのものを下賜して帰す。
吉野に御幸した時、キレイなオネーチャンがいたので、ソッコー合体。また吉野に行った時、そのオネーチャンを侍らせて、「若けー女はいいな~」的な歌を歌う。
また、吉野に行った時、蜻蛉島(あきつしま)の歌を歌う。
葛城山に行った時は、おっことぬし様のような、イノシシな神を射殺そうとしたために逆鱗に触れ、命からがらハンノキの木に登って逃げおおせ、情けない歌を歌う。
また、やはり葛城山ではヒトコトヌシに遭遇。高名な神様に対して最敬礼して平伏。
新たな妃ヲドヒメを得た時、「早くひん剥きたーい」的な歌を歌う。
長谷での宴会で、粗相のあった三重の采女を有無言わさず殺そうとするが、その采女の命乞いの歌が素晴らしかったので、許す。ヲドヒメに手コキを強要する歌を歌う。
『古事記』の系譜にはないが、娘にカスガノオオイラツメがいる。第24代仁賢天皇と結婚する。「春日」なので、ヲドヒメとの子を連想させる。
127歳で崩御(己巳年八月九日)。御陵は河内の多治比の高鸇にあり。宮内庁により大阪府・羽曳野市にあり、隣接する島泉丸山古墳(円墳)、島泉平塚古墳(方墳)が「丹比高鷲原陵」として治定されている。
また別に、河内大塚山古墳(大阪府・松原市)が「大塚陵墓参考地」として治定されている。全国第5位の大きさの古墳(古墳ランキング)。
古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇
【主な登場場面】
・病弱な允恭天皇が半島最先端の薬で回復 日本古代史最大の悲哀劇の伏線とは?
・佞臣の讒言を信じて忠臣を殺した安康天皇は、連れ子に仇討されて果てる
・いとこの無礼にキレてソッコー殺っちゃった雄略天皇 逃げる二人の御子
・雄略天皇「あの家、気に入らね、燃やせ」 嫁取りで早くエッチしたくて歌った歌
・「オマエ可愛いから大人になっても嫁行くな」と雄略天皇に言われた童女の顛末
・傍若無人の雄略天皇、さすがに神様には逆らえず最敬礼 鷹揚な神様もそれを赦す
・盃に葉っぱが入ってしまったので、その盃を献上した女を殺そうとする雄略天皇
【収録歌】
・雄略天皇、皇后ワカクサカとの結婚に際して露骨にシモな歌
・雄略天皇、70年も待ちぼうけをくらわしたアカイコに送った歌
・雄略天皇、老婆のアカイコに「若い頃抱けばよかった」の歌
・雄略天皇、アカイコに懲りたか吉野で見初めたオンナに送った歌
・雄略天皇、吉野への行幸の時に歌った、蜻蛉島に関する歌
・雄略天皇、おっことぬしに襲われた時に木の上に逃げた際の歌
・雄略天皇、新しい妃ヲドヒメを得ようと「露わにしたい」と歌った歌
・雄略天皇、酒宴の仕切り直し、オレ様のもとで楽しもうぜ!の歌
・雄略天皇、新しい妃ヲドヒメに「ナニを握れ」と直接的に求愛した歌
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・金錯銘鉄剣(複製品) - 雄略天皇と、オオビコの名が記された、かも?の鉄剣
・銀象嵌銘鉄刀(複製品) - やはり雄略天皇の名が記された銘文がある鉄の剣
・弾琴男子椅座像埴輪 - 仲哀天皇や雄略天皇も引いた琴、奏でるのは男子の仕事?
・大型家形埴輪 - 雄略天皇が激怒した鰹木のある家、格式高い特別な建築
【年】
・第21代雄略天皇元年 - 西暦457年。酉(とり)年、干支は丁酉
・第21代雄略天皇2年 - 西暦458年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
・第21代雄略天皇3年 - 西暦459年。亥(い)年、干支は己亥
・第21代雄略天皇4年 - 西暦460年。子(ね)年、干支は庚子
・第21代雄略天皇5年 - 西暦461年。丑(うし)年、干支は辛丑
・第21代雄略天皇6年 - 西暦462年。寅(とら)年、干支は壬寅
・第21代雄略天皇7年 - 西暦463年。卯(う)年、干支は癸卯
・第21代雄略天皇8年 - 西暦464年。辰(たつ)年、干支は甲辰
・第21代雄略天皇9年 - 西暦465年。巳(み)年、干支は乙巳
・第21代雄略天皇10年 - 西暦466年。午(うま)年、干支は丙午
・第21代雄略天皇11年 - 西暦467年。未(ひつじ)年、干支は丁未
・第21代雄略天皇12年 - 西暦468年。申(さる)年、干支は戊申
・第21代雄略天皇13年 - 西暦469年。酉(とり)年、干支は己酉
・第21代雄略天皇14年 - 西暦470年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
・第21代雄略天皇15年 - 西暦471年。亥(い)年、干支は辛亥
・第21代雄略天皇16年 - 西暦472年。子(ね)年、干支は壬子
・第21代雄略天皇17年 - 西暦473年。丑(うし)年、干支は癸丑
・第21代雄略天皇18年 - 西暦474年。寅(とら)年、干支は甲寅
・第21代雄略天皇19年 - 西暦475年。卯(う)年、干支は乙卯
・第21代雄略天皇20年 - 西暦476年。辰(たつ)年、干支は丙辰
・第21代雄略天皇21年 - 西暦477年。巳(み)年、干支は丁巳
・第21代雄略天皇22年 - 西暦478年。午(うま)年、干支は戊午
・第21代雄略天皇23年 - 西暦479年。未(ひつじ)年、干支は己未
【関連キャラ】
・雄略天皇 - 古事記後半の主役は、傍若無人な暴君
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