長田大郎女(ながたのおおいらつめ)
『古事記』に記載のある女性皇族。
父は第19代允恭天皇、母はオオナカツヒメ。第二子。
同母兄にカルミコ、同母弟妹にクロヒコ、第20代安康天皇、カルノ、シロヒコ、第21代雄略天皇、タチバナノオオイラツメ、サカミノイラツメがいる。
第16代仁徳天皇の皇子であるオオクサカと結婚して、マヨワをもうける。
夫のオオクサカが、根臣の讒言によって安康天皇に誅された後、安康天皇の後宮に容れられ、皇后となる。天皇家の系譜も参照。ただし、これでは同母姉弟による、当時でもタブーだった近親相姦となる。
オオクサカの妻で、後に安康天皇の皇后になるナガタノは、第17代履中天皇の皇女(母は第15代応神天皇の皇女であるハタビノワカイラツメ、とされる)である中蒂姫命(なかしのひめみこ。中磯皇女とも)とされるが、『古事記』には履中天皇が結婚した中に、応神皇女ハタビノワカイラツメの名はなく、したがって、その間に生まれた皇女としての中蒂姫命の名もない。
逆に、『古事記』において、「長田大郎女」は、允恭天皇皇女の名として、また安康天皇が奪ったオオクサカの妻の名として、双方同じ名前で登場してきており、同一人物としか思えない。
古事記を素直に読めば、オオクサカとの結婚は問題ないとしても、やはり安康天皇が強奪して皇后に据えたのは同母姉だった、ということになる。
通説として、同母姉を皇后にするということはあり得ず、古事記のこの記述は誤りであって、安康天皇の皇后であるナガタノは日本書紀などによる履中天皇の皇女であるのが正しく、允恭天皇の同名の皇女とは別人、とされる。
この部分は確かに日本書紀の記述の方がしっくりとくる面は多々あるものの、古事記の記述通りに考えるのであれば、『古事記』においては安康天皇は唯一暗殺された天皇(日本史上でも初であり、その後も公式記録としては一例しかない)であることは銘記されたい。
また、同母兄のカルミコが、やはり同母妹(安康天皇にとっては同母姉の一人)であるカルノと近親相姦を行っており、皇太子だったカルミコを追放した張本人こそ安康天皇。
カルノは、古事記史上、つまり古代日本史上、最高の美女とされるのは間違いなく、その同母姉のナガタノがカルノには及ばないまでも著しく見劣る、とは考えづらく、相当の美女だった可能性は高い。長兄のカルミコと同じ過ちを安康天皇が起こさなかったとは言い切れない。
しかもカルミコと違い、追放されるという懲罰を受けずに、同母姉を皇后にしてしまったので、最終的には暗殺されるという最悪の事態が用意された、とは考えられないか。
いろいろ問題を残しながらも、安康天皇は結局、オオクサカを誅したのは自分と告白したことをマヨワに盗み聞きされ(マヨワは故意ではない)、わずか七歳の童子マヨワに実父の仇として寝首をかかれ、殺されることになる。
ナガタノの登場は、安康天皇のこの告白の聞き手としてまで。日本書紀などでは、安康天皇がナガタノの膝枕で寝ている時に、マヨワに殺されることになっているので、ナガタノも共犯の疑いがあり、これも安康天皇―ナガタノの実の姉弟同士による結婚疑惑を間接的ながら裏付けていると言える。
【主な登場場面】
・病弱な允恭天皇が半島最先端の薬で回復 日本古代史最大の悲哀劇の伏線とは?
・佞臣の讒言を信じて忠臣を殺した安康天皇は、連れ子に仇討されて果てる
【関連キャラ】
・ナガタノ - 復讐鬼マヨワ(7歳)の母は穏やかな姫【ぶっちゃけ古事記のキャラ図鑑】
『古事記』に記載のある女性皇族。
父は第19代允恭天皇、母はオオナカツヒメ。第二子。
同母兄にカルミコ、同母弟妹にクロヒコ、第20代安康天皇、カルノ、シロヒコ、第21代雄略天皇、タチバナノオオイラツメ、サカミノイラツメがいる。
第16代仁徳天皇の皇子であるオオクサカと結婚して、マヨワをもうける。
夫のオオクサカが、根臣の讒言によって安康天皇に誅された後、安康天皇の後宮に容れられ、皇后となる。天皇家の系譜も参照。ただし、これでは同母姉弟による、当時でもタブーだった近親相姦となる。
オオクサカの妻で、後に安康天皇の皇后になるナガタノは、第17代履中天皇の皇女(母は第15代応神天皇の皇女であるハタビノワカイラツメ、とされる)である中蒂姫命(なかしのひめみこ。中磯皇女とも)とされるが、『古事記』には履中天皇が結婚した中に、応神皇女ハタビノワカイラツメの名はなく、したがって、その間に生まれた皇女としての中蒂姫命の名もない。
逆に、『古事記』において、「長田大郎女」は、允恭天皇皇女の名として、また安康天皇が奪ったオオクサカの妻の名として、双方同じ名前で登場してきており、同一人物としか思えない。
古事記を素直に読めば、オオクサカとの結婚は問題ないとしても、やはり安康天皇が強奪して皇后に据えたのは同母姉だった、ということになる。
通説として、同母姉を皇后にするということはあり得ず、古事記のこの記述は誤りであって、安康天皇の皇后であるナガタノは日本書紀などによる履中天皇の皇女であるのが正しく、允恭天皇の同名の皇女とは別人、とされる。
この部分は確かに日本書紀の記述の方がしっくりとくる面は多々あるものの、古事記の記述通りに考えるのであれば、『古事記』においては安康天皇は唯一暗殺された天皇(日本史上でも初であり、その後も公式記録としては一例しかない)であることは銘記されたい。
また、同母兄のカルミコが、やはり同母妹(安康天皇にとっては同母姉の一人)であるカルノと近親相姦を行っており、皇太子だったカルミコを追放した張本人こそ安康天皇。
カルノは、古事記史上、つまり古代日本史上、最高の美女とされるのは間違いなく、その同母姉のナガタノがカルノには及ばないまでも著しく見劣る、とは考えづらく、相当の美女だった可能性は高い。長兄のカルミコと同じ過ちを安康天皇が起こさなかったとは言い切れない。
しかもカルミコと違い、追放されるという懲罰を受けずに、同母姉を皇后にしてしまったので、最終的には暗殺されるという最悪の事態が用意された、とは考えられないか。
いろいろ問題を残しながらも、安康天皇は結局、オオクサカを誅したのは自分と告白したことをマヨワに盗み聞きされ(マヨワは故意ではない)、わずか七歳の童子マヨワに実父の仇として寝首をかかれ、殺されることになる。
ナガタノの登場は、安康天皇のこの告白の聞き手としてまで。日本書紀などでは、安康天皇がナガタノの膝枕で寝ている時に、マヨワに殺されることになっているので、ナガタノも共犯の疑いがあり、これも安康天皇―ナガタノの実の姉弟同士による結婚疑惑を間接的ながら裏付けていると言える。
【主な登場場面】
・病弱な允恭天皇が半島最先端の薬で回復 日本古代史最大の悲哀劇の伏線とは?
・佞臣の讒言を信じて忠臣を殺した安康天皇は、連れ子に仇討されて果てる
【関連キャラ】
・ナガタノ - 復讐鬼マヨワ(7歳)の母は穏やかな姫【ぶっちゃけ古事記のキャラ図鑑】
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