飯豊郎女(いいとよのいらつめ)

青海郎女(あおみのいらつめ)のまたの名。

『古事記』に記載のある女性皇族。

父は第17代履中天皇、母はその妃の一人であるクロヒメ。第三子。

同母兄にイチノベノオシハミマがいる。

甥っ子(兄のイチノベノオシハの子ら)に意祁王(後の第24代仁賢天皇)と袁祁王(後の第23代顕宗天皇)がおり、二人が播磨で発見される以前、第22代清寧天皇崩御後、一時期天下を統べる。

宮は葛城忍海之高木角刺宮(かつらぎのおしぬみのつのさしのみや)。伝承地は、奈良県葛城市忍海の角刺神社。

播磨の国の長官・山部連小楯からの報告で、二人の甥っ子が見つかり、大喜びで、大政の奉還を進める。

陵墓について、日本書紀では「墓」ではなく、天皇と同じ扱いの「陵」として表記している。飯豊天皇とも呼ばれる所以。宮内庁により北花内大塚古墳(奈良県・葛城市)が「葛城埴口丘陵」として治定されている。

『古事記』には宮が記載され、上述のように墓は「陵」と呼ばれ、天皇に準じる扱いを受けていることが分かる(天皇家の系譜)。

【主な登場場面】
酔いつぶれて寝ていた御殿を放火された履中天皇 家臣に寝たまま担がれて逃走~

【イイトヨノイラツメを祀る神社】
青海神社(高浜町) - 北西に若狭富士を仰ぐ、飯豊青皇女の創祀とも、柴の実入れ