男浅津間若子宿禰命(おあさづまわくごのすくねのみこと)
オアサヅマワクゴ。『古事記』に記載のある男性皇族。
父は第16代仁徳天皇、母はその皇后であるイワノヒメ。末子。
同母兄に第17代履中天皇、スミノエノナカツ、第18代反正天皇がいる。
第19代天皇(天皇家の系譜)。
皇居は遠飛鳥宮。伝承地は、奈良県高市郡明日香村飛鳥。
第15代応神天皇の孫娘に当たるオオナカツヒメと結婚し、カルミコ、ナガタノ、クロヒコ、第20代安康天皇、カルノ、シロヒコ、第21代雄略天皇、タチバナノオオイラツメ、サカミノイラツメをもうける。
初め、「長く病にかかっているので、即位できない」と帝位を辞退した。嫁はじめ、臣下一同が励ましたために即位。
この時、新羅の国王が貢物を船81艘を献上、その大使の名を金波鎮漢紀武といった。この人が、薬の処方を良く知っていたので、天皇に薬を献上、病状が回復した。
允恭天皇は天下の人々の氏姓が誤っているのを嘆き、これを正すのに尽力。カルミコの名を記念して軽部を定め、皇后オオナカツヒメの名を記念して刑部を定め、皇后の妹であるタイノナカツヒメの名を記念して河部を定めた。
皇太子はカルミコ。しかし、自身の崩御後、カルノと禁断の近親相姦に走り、皇太子を追われる。古事記最大のクライマックスの、二人の兄妹愛をめぐるストーリ、そのそれぞれの父親。
78歳で崩御(甲午年正月十五日)、御陵は河内の恵賀の長枝にあり。宮内庁では市ノ山古墳(大阪府・藤井寺市)を「惠我長野北陵」として治定している。全国第19位の大きさの古墳(古墳ランキング)。
別に、宮内庁では津堂城山古墳(大阪府・藤井寺市)を「藤井寺陵墓参考地」として治定している。同30位の古墳。
古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇
【主な登場場面】
・珍しく建国神話らしい逸話 - 「かまどの煙が見えないから3年間無税ね」の仁徳天皇
・病弱な允恭天皇が半島最先端の薬で回復 日本古代史最大の悲哀劇の伏線とは?
【関連記事】
・世界遺産候補「百舌鳥・古市古墳群」から、被葬者が古代天皇のものを抽出して人物紹介した
【年】
・第19代允恭天皇元年 - 西暦412年。子(ね)年、干支は壬子
・第19代允恭天皇2年 - 西暦413年。丑(うし)年、干支は癸丑
・第19代允恭天皇3年 - 西暦414年。寅(とら)年、干支は甲寅
・第19代允恭天皇4年 - 西暦415年。卯(う)年、干支は乙卯
・第19代允恭天皇5年 - 西暦416年。辰(たつ)年、干支は丙辰
・第19代允恭天皇6年 - 西暦417年。巳(み)年、干支は丁巳
・第19代允恭天皇7年 - 西暦418年。午(うま)年、干支は戊午
・第19代允恭天皇8年 - 西暦419年。未(ひつじ)年、干支は己未
・第19代允恭天皇9年 - 西暦420年。申(さる)年、干支は庚申
・第19代允恭天皇10年 - 西暦421年。酉(とり)年、干支は辛酉
・第19代允恭天皇11年 - 西暦422年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
・第19代允恭天皇12年 - 西暦423年。亥(い)年、干支は癸亥
・第19代允恭天皇13年 - 西暦424年。子(ね)年、干支は甲子
・第19代允恭天皇14年 - 西暦425年。丑(うし)年、干支は乙丑
・第19代允恭天皇15年 - 西暦426年。寅(とら)年、干支は丙寅
・第19代允恭天皇16年 - 西暦427年。卯(う)年、干支は丁卯
・第19代允恭天皇17年 - 西暦428年。辰(たつ)年、干支は戊辰
・第19代允恭天皇18年 - 西暦429年。巳(み)年、干支は己巳
・第19代允恭天皇19年 - 西暦430年。午(うま)年、干支は庚午
・第19代允恭天皇20年 - 西暦431年。未(ひつじ)年、干支は辛未
・第19代允恭天皇21年 - 西暦432年。申(さる)年、干支は壬申
・第19代允恭天皇22年 - 西暦433年。酉(とり)年、干支は癸酉
・第19代允恭天皇23年 - 西暦434年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・第19代允恭天皇24年 - 西暦435年。亥(い)年、干支は乙亥
・第19代允恭天皇25年 - 西暦436年。子(ね)年、干支は丙子
・第19代允恭天皇26年 - 西暦437年。丑(うし)年、干支は丁丑
・第19代允恭天皇27年 - 西暦438年。寅(とら)年、干支は戊寅
・第19代允恭天皇28年 - 西暦439年。卯(う)年、干支は己卯
・第19代允恭天皇29年 - 西暦440年。辰(たつ)年、干支は庚辰
・第19代允恭天皇30年 - 西暦441年。巳(み)年、干支は辛巳
・第19代允恭天皇31年 - 西暦442年。午(うま)年、干支は壬午
・第19代允恭天皇32年 - 西暦443年。未(ひつじ)年、干支は癸未
・第19代允恭天皇33年 - 西暦444年。申(さる)年、干支は甲申
・第19代允恭天皇34年 - 西暦445年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第19代允恭天皇35年 - 西暦446年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第19代允恭天皇36年 - 西暦447年。亥(い)年、干支は丁亥
・第19代允恭天皇37年 - 西暦448年。子(ね)年、干支は戊子
・第19代允恭天皇38年 - 西暦449年。丑(うし)年、干支は己丑
・第19代允恭天皇39年 - 西暦450年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第19代允恭天皇40年 - 西暦451年。卯(う)年、干支は辛卯
・第19代允恭天皇41年 - 西暦452年。辰(たつ)年、干支は壬辰
・第19代允恭天皇42年 - 西暦453年。巳(み)年、干支は癸巳
オアサヅマワクゴ。『古事記』に記載のある男性皇族。
父は第16代仁徳天皇、母はその皇后であるイワノヒメ。末子。
同母兄に第17代履中天皇、スミノエノナカツ、第18代反正天皇がいる。
第19代天皇(天皇家の系譜)。
皇居は遠飛鳥宮。伝承地は、奈良県高市郡明日香村飛鳥。
第15代応神天皇の孫娘に当たるオオナカツヒメと結婚し、カルミコ、ナガタノ、クロヒコ、第20代安康天皇、カルノ、シロヒコ、第21代雄略天皇、タチバナノオオイラツメ、サカミノイラツメをもうける。
初め、「長く病にかかっているので、即位できない」と帝位を辞退した。嫁はじめ、臣下一同が励ましたために即位。
この時、新羅の国王が貢物を船81艘を献上、その大使の名を金波鎮漢紀武といった。この人が、薬の処方を良く知っていたので、天皇に薬を献上、病状が回復した。
允恭天皇は天下の人々の氏姓が誤っているのを嘆き、これを正すのに尽力。カルミコの名を記念して軽部を定め、皇后オオナカツヒメの名を記念して刑部を定め、皇后の妹であるタイノナカツヒメの名を記念して河部を定めた。
皇太子はカルミコ。しかし、自身の崩御後、カルノと禁断の近親相姦に走り、皇太子を追われる。古事記最大のクライマックスの、二人の兄妹愛をめぐるストーリ、そのそれぞれの父親。
78歳で崩御(甲午年正月十五日)、御陵は河内の恵賀の長枝にあり。宮内庁では市ノ山古墳(大阪府・藤井寺市)を「惠我長野北陵」として治定している。全国第19位の大きさの古墳(古墳ランキング)。
別に、宮内庁では津堂城山古墳(大阪府・藤井寺市)を「藤井寺陵墓参考地」として治定している。同30位の古墳。
古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇
【主な登場場面】
・珍しく建国神話らしい逸話 - 「かまどの煙が見えないから3年間無税ね」の仁徳天皇
・病弱な允恭天皇が半島最先端の薬で回復 日本古代史最大の悲哀劇の伏線とは?
【関連記事】
・世界遺産候補「百舌鳥・古市古墳群」から、被葬者が古代天皇のものを抽出して人物紹介した
【年】
・第19代允恭天皇元年 - 西暦412年。子(ね)年、干支は壬子
・第19代允恭天皇2年 - 西暦413年。丑(うし)年、干支は癸丑
・第19代允恭天皇3年 - 西暦414年。寅(とら)年、干支は甲寅
・第19代允恭天皇4年 - 西暦415年。卯(う)年、干支は乙卯
・第19代允恭天皇5年 - 西暦416年。辰(たつ)年、干支は丙辰
・第19代允恭天皇6年 - 西暦417年。巳(み)年、干支は丁巳
・第19代允恭天皇7年 - 西暦418年。午(うま)年、干支は戊午
・第19代允恭天皇8年 - 西暦419年。未(ひつじ)年、干支は己未
・第19代允恭天皇9年 - 西暦420年。申(さる)年、干支は庚申
・第19代允恭天皇10年 - 西暦421年。酉(とり)年、干支は辛酉
・第19代允恭天皇11年 - 西暦422年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
・第19代允恭天皇12年 - 西暦423年。亥(い)年、干支は癸亥
・第19代允恭天皇13年 - 西暦424年。子(ね)年、干支は甲子
・第19代允恭天皇14年 - 西暦425年。丑(うし)年、干支は乙丑
・第19代允恭天皇15年 - 西暦426年。寅(とら)年、干支は丙寅
・第19代允恭天皇16年 - 西暦427年。卯(う)年、干支は丁卯
・第19代允恭天皇17年 - 西暦428年。辰(たつ)年、干支は戊辰
・第19代允恭天皇18年 - 西暦429年。巳(み)年、干支は己巳
・第19代允恭天皇19年 - 西暦430年。午(うま)年、干支は庚午
・第19代允恭天皇20年 - 西暦431年。未(ひつじ)年、干支は辛未
・第19代允恭天皇21年 - 西暦432年。申(さる)年、干支は壬申
・第19代允恭天皇22年 - 西暦433年。酉(とり)年、干支は癸酉
・第19代允恭天皇23年 - 西暦434年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・第19代允恭天皇24年 - 西暦435年。亥(い)年、干支は乙亥
・第19代允恭天皇25年 - 西暦436年。子(ね)年、干支は丙子
・第19代允恭天皇26年 - 西暦437年。丑(うし)年、干支は丁丑
・第19代允恭天皇27年 - 西暦438年。寅(とら)年、干支は戊寅
・第19代允恭天皇28年 - 西暦439年。卯(う)年、干支は己卯
・第19代允恭天皇29年 - 西暦440年。辰(たつ)年、干支は庚辰
・第19代允恭天皇30年 - 西暦441年。巳(み)年、干支は辛巳
・第19代允恭天皇31年 - 西暦442年。午(うま)年、干支は壬午
・第19代允恭天皇32年 - 西暦443年。未(ひつじ)年、干支は癸未
・第19代允恭天皇33年 - 西暦444年。申(さる)年、干支は甲申
・第19代允恭天皇34年 - 西暦445年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第19代允恭天皇35年 - 西暦446年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第19代允恭天皇36年 - 西暦447年。亥(い)年、干支は丁亥
・第19代允恭天皇37年 - 西暦448年。子(ね)年、干支は戊子
・第19代允恭天皇38年 - 西暦449年。丑(うし)年、干支は己丑
・第19代允恭天皇39年 - 西暦450年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第19代允恭天皇40年 - 西暦451年。卯(う)年、干支は辛卯
・第19代允恭天皇41年 - 西暦452年。辰(たつ)年、干支は壬辰
・第19代允恭天皇42年 - 西暦453年。巳(み)年、干支は癸巳
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