大雀命(おおさざきのみこと)
オオサザキ。『古事記』に記載のある男性皇族。
父は第15代応神天皇、母はその皇后であるナカツヒメ。第二子。
第16代天皇(天皇家の系譜)。
同母姉にキノアラタノイラツメ、同母弟にネトリがいる。
異母兄の大山守命とともに、父の応神天皇から、「兄弟の中で、長じた者と、幼き者、どちらを愛すべきか」と問われ、大山守命は「兄」と回答する。
しかし、大雀命は天皇の御心を察して「兄はすでに長じており心配はないが、弟は幼く、愛すべき」と回答。
これによって、大山守命は若干遠ざけられ、大雀命が重用され、同時に二人にとっては異母弟に当たる和紀郎子が皇太子に指名される。
大雀命の時代、吉野の有力者から、佩いている剣のかっこよさを褒められる歌を送られたりしている。
また、父の応神天皇が見つけてきた日向の国のウシモロの娘カミナガヒメという美女に一目惚れ、建内宿禰に仲介を頼んで、応神天皇からカミナガを譲られ、チョーハッピーな歌を残している。
応神天皇が崩御した後、大山守命が皇太子の和紀郎子の殺害計画を策定。実際、軍を起こす。大雀命がその動きを察知し、和紀郎子に知らせ、和紀郎子も策を練り、結果は和紀郎子の勝利、大山守命は死す。
異母弟で皇太子の和紀郎子から皇位を譲られるが、固辞。お互い譲り合って皇位が空位となったため、海人が困るなど、若干の混乱が見られたが、和紀郎子が早世したため、即位。なお、和紀郎子の死に不審な点があることから、暗殺説もある。
皇居は難波高津宮。伝承地は、大阪府大阪市中央区周辺。
カツラギソツヒコの娘であるイワノヒメを当初皇后とし、第17代履中天皇、スミノエノナカツ、第18代反正天皇、第19代允恭天皇をもうける。
カミナガヒメが妃の一人で、オオクサカとワカクサカをもうける。
異母妹のヤタノを妃の一人とし、イワノが亡くなった後立后。
また異母妹のウジノワカイラツメを妃の一人とする。
皇子5人、皇女1人。
この御世に、皇后のイワノヒメの名を記念して葛城部を定め、また皇太子のイザホワケの名を記念して壬生部を定め、ミズハワケの名を記念して蝮部(たぢひべ)を定め、オオクサカの名を記念して大日下部を定め、ワカクサカの名を記念して若日下部を定めた。
またこの御世に、大陸から渡って来た秦人(はたびと)を使って、茨田の堤、茨田の御倉を作り、丸邇の池、依網の池を作り、難波の堀江を掘って海に通わせ、小椅の江を掘り、墨江の船着きを定めた。
有名な聖天子伝説、かまどの煙の説話を持つ。食事時なのに高台から見ると、人家から煙が立っていないので、民衆の困窮を察知すると、三年間無税と使役の免除を公布。
嫉妬深い皇后イワノがおりながら、女好きの仁徳天皇が目をかけたのが、吉備出身の美女クロヒメ。しかし、イワノがいるため、思うように合体もできない。クロヒメもイワノが怖すぎて、ついには宮殿を辞し、吉備に帰ることに。
去りゆくクロヒメを高台から見送りながら「残念、もったいないな~」という歌を歌ったところ、その歌を聞きつけたイワノが激怒、クロヒメのところに使者を遣わし、船で帰ることを許さず、徒歩で帰郷させた。
クロヒメをあきらめきれないので、淡路島への御幸というアリバイ工作を用意して、吉備に向かう。吉備でクロヒメと再会し、二人だけの幸せな時間を送るが、いつまでも吉備にいるわけにもいかず、都に帰る。
イワノが旅行に出かけたすきに、前々から目を付けていた、異母妹のヤタノとそそくさ合体。この浮気を聞きつけたイワノが激怒、家出する。仰天して、何とかイワノの怒りを収めようと愛の歌を持たした使者(最初に舎人の鳥山、後に丸邇の臣のクチコ)を遣わして、ご機嫌を取る。
結局、皇后の家出先である山城の筒木在住の帰化人である奴理能美の邸まで迎えに行って、一応この家出騒動は終結。一方で、ヤタノにも愛の歌を送る。
ヤタノの実の妹で、自身の異母妹にもあたるメドリとも合体したくなり、異母弟のハヤブサに仲介を頼んで、召し上げることにしたが、ハヤブサが赴くと、メドリは、「姉のヤタノも、嫁のイワノが怖くて可愛がれない男のものなどになれるかっ! あんたのオンナになるっ!」と言い、ハヤブサとデキてしまう。知らぬこととはいえ、仁徳天皇にとっては、軽~い、NTRか。
仲介を頼まれた手前、ハヤブサはメドリとデキてしまったことを仁徳天皇に報告できないまま、仁徳天皇自身が、メドリと邂逅し、KY的に求愛のきっかけを作ろうとする歌を歌うが、メドリからの返しの歌は、もうハヤブサとデキていること、あんたに興味なしなし、というニュアンスのもの。
高じて、メドリはハヤブサと合体している最中に、仁徳天皇殺害をお願いする歌を送る。その歌の内容を漏れ聞いた仁徳天皇が二人の反逆に対して、山部大楯連を将軍とした討伐軍を送る。手に手を取り合った逃避行はあったものの、反逆者二人は、討伐軍に殺害される。
ここでまた聖天子伝説の説話で、雁の卵。姫島に行った時に、北方でしか産卵して育児をしない雁が、卵を産んでいるのを見て、建内宿禰にその前例を聞いたところ、建内宿禰も聞いたことのない、慶事であると喜ぶ。
また、この御世に、巨木があった。その木を切って船を作ったところ、チョー高速艇になった。その船を枯野の船という。淡路島から清水を運ぶ船として活躍したが、故障したので、焼いたところ、焼け残りの部分を使って琴を作る。その琴がまたすごい音を奏でた、というお話。
83歳で崩御(丁卯年八月十五日)、御陵は毛受(もず)の耳原にあり。宮内庁によって大仙陵古墳(大阪府・堺市)が「百舌鳥耳原中陵」として治定されている。日本最大の古墳(古墳ランキング)。
八幡若宮四所権現の1柱とされる。他の3柱は、和紀郎子(宇治皇子)と、二人の妹とされる宇礼姫、久礼姫。
古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇
【主な登場場面】
・応神天皇、都が不穏で棺の中に入って大和に帰国 反乱軍を騙し討ちで討伐
・自分の子の中で、兄を疎んじ、弟を愛でる応神天皇 理想の女をゲットして有頂天
・探し当てた美女を息子に懇願されて譲り渡す応神天皇 懐広い? ちょっと後悔?
・応神天皇の皇子が佩いている剣がかっこええ―、と吉野で評判になった歌
・応神天皇崩御、すぐ兄弟間で戦争へ あの手この手を講じて、勝利は誰の手に?
・ものを持っているとうれしいはずなのに、嘆く海人 応神天皇亡き後の混乱
・珍しく建国神話らしい逸話 - 「かまどの煙が見えないから3年間無税ね」の仁徳天皇
・皇后の嫉妬におびえて田舎に帰ってしまった愛人を追いかけていく仁徳天皇
・鬼の居ぬ間に何とやら 仁徳天皇、嫉妬深い皇后が旅行中に浮気三昧の日々
・皇后に浮気ばれて家出された仁徳天皇 嫁を追いかけるも、でも愛人も大事!
・ヨメ恐がりすぎて女に愛想つかれる仁徳天皇 それが反乱の引き金になろうとは…
・女に振り回される仁徳天皇、でも国内に瑞兆 聖天子逸話も伊達ではなかった?
【収録歌】
・仁徳天皇、応神天皇から美女を譲り受けた時に喜んで歌った歌
・仁徳天皇、新しく得た妃カミナガが従順であることを喜んだ歌
・仁徳天皇、皇后を恐れて故郷に帰った妃クロヒメを慕った歌
・仁徳天皇、故郷に帰った妃クロヒメを追い駆けていた時に歌った歌
・仁徳天皇、妃クロヒメと再会してイチャイチャした時に詠んだ歌
・仁徳天皇、家出した皇后イワノを追いかける使者を出した時の歌
・仁徳天皇、家出した皇后イワノを心配して歌った歌
・仁徳天皇、家出した皇后イワノに、許して~、と歌った歌
・仁徳天皇、家出した皇后イワノを迎えに行った時に歌った歌
・仁徳天皇、皇后イワノの家出の原因、愛人ヤタノへの愛の歌
・仁徳天皇、求愛していた異母妹メドリに迫ろうとする歌
・仁徳天皇、雁が卵を産んだことについて、建内宿禰に問うた歌
・吉野の有力者たち、仁徳天皇の佩いている剣がかっこえー
・吉野の有力者たち、即位前の仁徳天皇に新酒を贈呈する際の歌
・人々、仁徳天皇の頃に遭ったフシギな木、船、琴に関して歌った歌
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・宇治上神社 - 国宝「現存最古の神社建築」で応神皇太子・和紀郎子が祀られる
・川俣神社(東大阪市) - 仁徳天皇の歌に出てくる「川俣江」、近世は天神宮、椿の御神木
【仁徳天皇を祀る神社】
・平塚八幡宮 - 宇佐神宮より早い創祀の古式の八幡か? 国府祭の相模五社の1社
・氷室神社(奈良市) - 奈良時代から重視された製氷の神様、漫画『さんすくみ』ゆかり
・宇流冨志禰神社 - 神武建国以来の創祀、春日神ともゆかりの深い式内社で元伊勢
・富岡八幡宮 - 天皇皇后両陛下もご観覧された江戸三大祭・深川祭で有名な深川八幡
・氷室神社(神戸市) - 香坂王の伝承や仁徳期の氷室旧跡、現在「愛のポスト」で脚光
・藤森神社(京都市) - そもそもが戦勝記念の創祀、今や勝運と馬・競馬の代表的な神様
・亀山八幡宮(下関市) - 古来屈指の佳景、宇佐から石清水への途上で祀られた八幡
・二宮神社(船橋市) - 下総国二宮、創建1200年の古社は現在、嵐ファン聖地の一つ
・大野神社(新城市) - 最古の棟札は鎌倉時代、伊勢神宮ともゆかりのある古社
・若宮神社(日田市若宮町) - 旧竹田村、日田祇園の一社、911年に郷に勧請された若八幡
・御香宮神社 - 洛南随一の大祭「伏見祭」で知られ、「御香水」が名高い安産・治癒の神
・方違神社 - 堺市“方位のない地”に鎮座する方災除けの神、粽祭など方除けのちまき推し
・鞆淵八幡神社 - 天皇の寵姫が帰郷で使用した? 石清水八幡宮から贈られた国宝・神輿
・手向山八幡宮 - 宇佐神宮からの勧請第一号は東大寺の守護神、紅葉の名所の山麓に鎮座
・姉埼神社 - 妃を失ったヤマトタケルが奉斎した風の女神、「松」の伝承が残る式内古社
・五社神社・諏訪神社 - ともに徳川秀忠の産土神、将軍家の崇敬厚い子守り、子育ての神
・鳥出神社 - 「天下の勇祭」鯨船行事で有名な、ヤマトタケル白鳥伝説が残る式内古社
・大阪護國神社 - 大阪府最大の鳥居があり、大阪の靖国神社とも、2月15日には仁徳天皇祭
・若宮八幡社(名古屋市中区) - 武門の神、名古屋三大祭の若宮祭で知られる名古屋総鎮守
・高津宮 - 仁徳天皇の皇居跡、桜の名所も往古は梅に馴染み、古典落語の舞台としても有名
・平濱八幡宮 - 境内社である武内神社の延命長寿のご利益でも有名な出雲最古の八幡宮
・亀山八幡宮(佐世保市) - 天武朝に宇佐神宮から勧請、軍港佐世保の「西海鎮護」の神
・八幡朝見神社 - 別府温泉の総鎮守、「別府温泉まつり」の開催地で、ひょうたん石なども
・出雲神社(山口市) - 出雲族の佐波川流域への膨張発展で創祀、大内・毛利氏が崇敬
・朝田神社(山口市) - 周防国五宮、明治期に1郷社6村社が合祀、「村民の敬神深き」社
・波多岐神社 - 仁徳天皇を祀る伊賀国三宮の式内古社、境内社にも式内「宇都可神社」
・惣社八幡神社 - 国府に隣接して鎮座、平安期から八幡神を祀るようになった豊前国総社
・鶴谷八幡宮 - 安房国総社、鎌倉期に八幡信仰へ、現在も「やわたんまち」に総社の面影
・比売許曽神社(東成区) - 江戸期までは牛頭天王社とされた、近世比定の式内名神大社
・新屋坐天照御魂神社(西福井) - 崇神朝の創建、藤原鎌足も参詣した歴史ある名神大社
・健御名方富命彦神別神社(飯山市) - 江戸期から御柱が行われる大宮諏訪社、境内社は重文
・石清尾八幡宮 - 高松の氏神・総鎮守・護り神、10月の例祭や5月の市立祭は市内最大の祭典
・鶴嶺八幡宮 - 茅ヶ崎に鎮座する、源氏が関東進出で最初に創建した氏社、浜降祭で有名
・若宮八幡宮(常陸太田市) - 佐竹・水戸徳川家が崇敬した太田郷鎮守、巫女舞や大ケヤキ
・琴弾八幡宮 - 源氏の崇敬と378段の参道、大祭では9台の太鼓台が集結して勇壮さを競う
・宗佐厄神八幡神社 - 和気清麻呂の危機を救った猪を出した厄除大祭で知られる厄神さん
・湯神社(松山市) - 景行天皇が創建した道後温泉の守護神、喧嘩神輿と初子祭、湯祈祷祭
・八幡神社(徳島市伊賀町) - 富田浦八幡宮と称された市中五社の一つ、昭和復興の随神門
・放生津八幡宮 - 秋季大祭「曳山祭」では曳山神事と、全国的に珍しい築山神事が伝わる
・乙咩神社 - 宇佐神宮前史、方形周溝墓の上に創建、八幡大神が洗浴したと伝わる乙女水
・泉神社(宇佐市) - 飛鳥朝創建、霊泉・酒井泉、豊前国の女神が八幡神に酒を奉仕した地
・田染元宮八幡社 - 平安期に創建された宇佐神宮の荘園「田染荘」の神、田染三社の「一宮」
・田染二宮八幡社 - 南北朝期創建、湍津姫命を祀る宇佐神宮の荘園「田染荘」の鎮守二の宮
・田染三宮八幡社 - 市杵嶋姫命を祀る宇佐神宮荘園「田染荘」鎮守、「三の宮の景」が有名
・蒲生八幡神社(姶良市) - 和気清麻呂の杖が化した「日本一の大楠」、島津義弘による崇敬
・難波神社 - 反正天皇が柴籬宮を開いた時に父帝・仁徳天皇を奉斎して創建、文楽発祥の地
・小芝八幡宮 - 平安初期の創建、武田信玄の再興、紅白のサッカーボールを模した絵馬掛け
・塩屋八幡宮 - 細川忠興が創建、八代神社妙見祭の御旅所、その数日後に「しおやのまつり」
・木本八幡宮 - 神武東遷の際に創祀、江戸期に八幡宮を合祀、木ノ本の獅子舞が有名な古社
・沙沙貴神社 - 全国佐々木さんの守護神、10月に近江源氏祭、4月は沙沙貴まつりの大松明
・若宮八幡社(大分市) - 鎌倉期の創建、大友氏館の裏鬼門、7月大祭でチキリン巡行など
・若宮八幡社(杵築市) - 敦実親王お手製の若宮四柱尊像を京から遷座、御田植祭や若宮楽
・若宮八幡神社(豊後高田市) - 日本三大裸祭り「川渡し神事」と大松明、ホーランエンヤ
・薦神社 - 大分中津に鎮座する大貞八幡宮、宇佐神宮の祖宮、三角池と細川忠興再建の神門
・鴻八幡宮 - 甲山に鎮座する、鴻と大蛇が死闘を繰り広げた「鴻の宮」、南北朝期の木製狛犬
・菊池神社(福岡市) - 南北朝時に敗死した菊池武時の胴塚に江戸後期から奉斎した旧県社
・日出若宮八幡神社 - キリシタンの弾圧を受けても村民が祭祀を継続、江戸期の社殿が現存
・往馬坐伊古麻都比古神社 - 大嘗祭の火燧木を献上する奈良生駒山の火の神、10月に火祭り
・若宮神社(鹿児島市) - 島津氏の代替わりに報告された神社、境内には縄文後期の遺跡も
・賀集八幡神社 - 淡路最古の八幡、江戸初期の社殿群と花見スポット、だんじり12台の春祭り
・彦島八幡宮 - 仲哀天皇が駐屯、平安末期に河野氏が創祀、800年の歴史ある「サイ上リ神事」
・高木八幡宮(佐賀市) - 平安期創建、巨木がある佐賀藩主の崇敬社、11月に「ねじり浮立」
・梁川八幡宮 - 伊達政宗が初陣で戦勝祈願、愛姫との婚姻ゆかり、中世の景観を今に残す
・大汝牟遅神社 - ニニギが創建、鎌倉期に鶴岡八幡を勧請、戦国期から伝わる流鏑馬神事
・心清水八幡神社 - 源頼義が勧請、長大な日誌『塔寺八幡宮長帳』と南北朝期の鰐口が重文
・高部屋神社 - 糟谷住吉の大神「大住大明神」、中世には八幡、9月に「汐汲みの神事」
・涼ケ岡八幡神社 - 元禄期の社殿が多数残る重要文化財の宝庫、特殊料理「いもずいも」
・新北神社 - 川副三郷の崇廟神、佐賀鍋島藩主家の崇敬、10月秋祭に「三重の獅子舞」
・佐々久神社 - 龍神・天候を象徴する佐々久山、仁徳天皇の崩御に際して徳を慕い創建
・姫宮神社(河津町) - 弥生期の祭祀遺物など、江戸期に村民により復興された伊豆式内
・造田神社(さぬき市) - 平安期に京石清水を勧請した八幡、1000年以上続く釜鳴り神事
・五所八幡宮(中井町) - 4月29日に「鷺の舞」、宇佐・石清水・鶴岡・壷井に次ぐ八幡
・多和神社(志度) - 神代の創祀、後に八幡神を合祀、志度寺と再建、9月に志度の祭り
・天野神社(三木町) - 丹生都比売命と八幡を奉斎、10月には28メートルもの大獅子が舞う
・若宮八幡宮(川崎市) - 境内に「かなまら祭」金山神社がある、恵方巻行事や酒合戦
・高見神社 - 北九州市、神功皇后が創祀、明治の官営八幡製鐵所ゆかり「ものづくりの神」
・富田八幡宮 - 少彦名命が去った後に大国主命が神と対面した地、式内・勝日神社
・祝園神社(精華町) - 『古事記』記載の討伐された武埴安彦の悪霊、1月に「いごもり祭」
・八剱神社(桑原町) - 石門・石刀から岩神・八神に転化か? 境内に稲荷・若宮が遷座
・阿為神社 - 藤原鎌足が乙巳の変の謀議を巡らした地、重要美術品の後漢期銅鏡
・田光神社 - 田光八幡社、平安期の創建、熱田神宮の旧殿拝領、和合の木と老楠
・雙栗神社 - 椏本八幡宮、大クスノキと室町期の本殿、お粥炊の神事や八朔祭り
・伊居太神社(池田市) - 呉の機織・縫製技術を持つ穴織媛を奉斎、秀頼が社殿再建
・呉服神社(池田市) - 呉服の語源、1月の池田えびすと歳旦祭、正月初詣は市内屈指
・大久佐八幡宮 - 貞観年間に神輿や流鏑馬の記録、10月に棒術「大草棒の手」の神事
・久麻久神社(八ツ面町) - 崇神朝の創祀、大宝年間に牛頭天王勧請、室町期社殿が重文
・八幡神社(東九条町) - 石清水八幡宮の元宮ともされる、大安寺・辰市・子安八幡宮
・墨坂神社(八幡) - 飛鳥朝創建、平安期に八幡を合祀、武田信玄や藩主堀家の崇敬
・天祖若宮八幡宮 - 奈良朝創祀の若宮八幡宮と、「番神さま」が昭和に合併
・葦神社(伊賀市) - 孝霊朝に顕現、三社が分離・習合、別府明神と称された式内社
・白沙八幡神社 - タマヨリを御祭神とする式内社「海神社」、宇佐神宮からの勧請
・飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社 - 綱掛祭「カンジョウナワ」が有名な日本一長い社名
・笠屋神社(南アルプス市) - 御所庭「御所天神」小笠原長清の館跡付近、的場の地名
・多太神社 - 大田々根子命の一族、源満仲が平野神社を勧請とも、10月にだんじり
・天目一神社(西脇市) - 『播磨国風土記』女神の子の父だと判明したタタラの神
・両神社(下田市) - 須崎半島南部に鎮座する夫婦の宮、三島明神、薬師堂、式内論社
・国玉神社(岬町) - 称徳天皇の深日行宮跡、古代はスズ、10月やぐらの宮入り
・湊口神社 - 当初は港寄りに鎮座、純友の反乱、義経の祈願、湊口祭だんじり
・櫻宮 - 大坂城の守護社、淀川東岸の市内屈指の花見名所、7月だんじり
・亀山神社(亀山市) - 亀山城址、真澂神社とも、式内「真木尾神社」を合祀、心形刀流
・射山神社 - 伊勢内宮の「七栗御園」と温泉、長命水「榊の井」と湯立神事
・多比鹿神社 - 社名も地名の田光も「たびか」、当地開拓の祖神、大国主神の五世孫
・鎌田神明宮 - 豊受大神が船で渡御してきた地、神宮御厨、遠州の大社、虫封じ
・八阪神社(下の宮) - 下之宮、江戸初期に地区内最古として勧請、ライオンの石像
・和田八幡宮(浜田市) - 鎌倉期の勧請、境内に式内論社、『天然コケッコー』
・有玉神社 - 田村麻呂の創建伝承、徳川家康の愛馬寄進以来の400年続く流鏑馬神事
・穴石神社 - 穴師の神か、風神か、もとは天津社、1月に川に綱を渡す神事
・須智荒木神社 - 安寧皇子を祖神とする一族が開拓し奉斎、伊賀五大社、芭蕉も一句
・射手神社 - 義経が祈願、西行が詠んだ弓・武の神、室町初期の十三重塔
・東高津宮 - 仁徳天皇の皇居跡ともされる平野社、元高津とも、7月に夏祭り
・白澤神社(静岡市) - 牛妻の開村とともに白澤口に奉斎された地主神・産土神
・御幸森天神宮 - 猪飼野・百済野、仁徳帝の休息地、昭和社殿、地車とえべっさん
・大宮神社(大阪市) - 源義経が創建、秀吉が大坂城鬼門守護に、1月大宮えびす祭
・若宮八幡大神宮 - 蒲生の若宮さん、大坂冬の陣で佐竹義宣が本陣、10月にだんじり
・高神社(井出町) - もとの多賀神社、日本初の猿楽の記録、桃山期の本殿、社叢
・北沢八幡宮 - 室町期に世田谷城鬼門鎮護に勧請、勇壮な9月例祭の町内御輿宮入り
・室城神社 - 聖武天皇の時代に創建、その際からの矢形餅、根強い火除けの信仰
・佐々尾神社 - 平安後期の仏像は宝林寺で安置、境内に乳と砥石の神、愛宕信仰も
・下祖師谷神明社 - 南北朝期には存在、稲荷・八幡と三社宮、熊野社合祀、古風な例祭
・蟹井神社 - 神武帝の祭祀跡、平安期の創建、もとの甲斐神社、10月に提灯祭
・星田神社 - 交野大明神、江戸中期から住吉神、本殿は春日移し、平成の世に復興
・常磐樹神社 - 報恩寺と常楽院の境内5社が合社、社名は境内地にあった御神木から
・下山八幡神社 - 平安期創建、江戸中期の珍しい三間社流造り本殿、10月に例大祭
・上石原若宮八幡神社 - 江戸前期以前に創建、上石原宿の鎮守、江戸後期の本殿
・八幡大神(寒川町) - 平安期の和名抄に記載、8月例祭で明治初期の屋台3台宮入り
・舞岡八幡宮 - 鎌倉後期、白幡が空に舞って創建、室町期以降の改築、4月湯花神楽
・大宮五十鈴神社 - 応神朝に熱田・伊勢・諏訪を勧請、9月秋分の日に圧巻の三国花火
・中井御霊神社 - 1月13日に備射祭、多くの関連文化財伝わる、江戸から近代の社殿
・月見岡八幡神社 - 義家植樹伝承、もとは月読命などを奉斎、昭和に合祀した落合富士
・神楽坂若宮八幡神社 - 頼朝が勧請、太田道灌が再興、江戸期神楽坂の中心、銀杏伝承
・敷島神社(吉野川市) - もとは西宮八幡、式内を合祀した河辺八幡などを合祀
・大井神社(鈴鹿市) - 牛頭天王社・若宮八幡社と呼ばれた式内論社、21枚の棟札
・三宅神社(三宅町) - 式内論社の正一位手力明神、明治までは加和良神社とも
・川神社(鈴鹿市) - 江戸初期の棟札が現存、甘雨を降らし、長雨を止める神
・高座神社(山南町) - 丹波国造家の祖神、江戸中期の見事な社殿とフジキ、石鳥居
・若宮神社(薭田野町) - 奈良期の創建、義経の腰掛岩、8月佐伯郷灯籠祭、御香水
・大山祇神社(村上市指合3926) - 旧神林村、明治期に式内論社・多岐神社を合祀
・宮内神社(西条市) - 大三島を勧請した周敷宮内・津宮周敷大明神、雨乞いに霊験
・角上神社 - 式内社「つのかみ」の「とかみ」、ト神・塗神とも、イチョウの大木
・金丸八幡神社(東みよし町) - 往古は建石神社、10月宵宮神事、多くの立石群
・大木神社(鈴鹿市) - 青木明神とも、天王祭の天王社同殿、末社に石薬師の蒲桜
・巨椋神社 - 巨椋池のほとりで巨椋氏の祖神奉斎、後に春日明神、境内に子守神社
・宇志比古神社 - 八幡・八坂の牛ノ宮とも呼ばれた古社、県内最古の神社建築が重文
・若宮八幡宮(瀬戸内市) - 江戸中期の特徴的な石燈籠、境内に神田稲荷と広高神社
・能登神社 - 能登臣の祖を祀る、もとは八幡、4月15日に王の舞と獅子舞
・六所神社(上垂木) - もと尾崎宮、今川氏から雨櫻神社とともに上下宮、祇園祭
・松尾八王子神社 - 西ノ宮、10月例祭で屋台曳き回し、境内でも行事、式内論社とも
・守山八幡宮(伊豆の国市) - 源頼朝挙兵の地、四條郷の総社、10月に三番叟、紅葉
・物部神社(津市) - 新家の地、ムクノキの巨樹の天王森に鎮座する山辺の宮
・土肥神社 - 豊御玉命を祀る式内、鎌倉初期に鶴岡を勧請、10月に土肥太鼓奉納
・肥田神社 - もとは若宮八幡のひたの王子、式内論社、明治期に皇后神社と合併
・大平神社(伊豆市) - 全長105メートルの旭滝の近く、もと高根神社、式内論社?
・矢津八幡宮 - 坂上田村麻呂が創祀、源義家が祈願、式内・長瀬神社の論社とも
・佐良志奈神社 - 「さらしな」、宗良親王の歌と逆修塚、佐久間象山の書、カタクリ
・阿比多神社 - 飛鳥朝に幣帛、源頼義が祈願、順徳上皇が参拝、7月上旬に神輿渡御
・置染神社 - もと長谷置染連の氏神、伊勢平氏ゆかりの地かつ氏神、清盛祖父の墓
・須賀神社(松阪市嬉野権現前町) - 倭姫命が創建、もと須加権現、初瀬街道の導きの神
・鬼太神社 - 「おにた」「しこた」とも、鬼田神社とも、北の御厨、木田の氏神
・夜夫多神社 - もとの地名は藪田村・矢太村、藪田神社とも、2月御鍬祭・馬の砂かけ
・小許曽神社 - 後に神明が勧請された西宮三座・東宮二座の五社神明、粥試の神事
・弥牟居神社 - もとは水深(みぶけ)? 安楽郷の総社、長らく尾崎天王、明治合祀
・江田神社(四日市市) - 日本武尊の弟で当地開拓者を祀る、天武朝以来の御館獅子舞
・川俣神社(亀山市) - 大比古命の味酒伝承、2月に平安期以来の神事、川俣社の祖か
・水嶋礒部神社(糸魚川市) - 上杉謙信が七尾城攻めで祈願、4月春大祭で「鯛釣り舞」
・松尾神社(松阪市) - 400段の石段、立野郷の立野神社・立野明神・立野連、亀の井
・庄内神社(鈴鹿市) - 式内・天一鍬田神社、八島明神とも、明治期に合祀で改称
・神田神社(東白川村) - 奈良初期の創建、南北朝期来の再建、平成に「絆山車」復活
【年】
・第16代仁徳天皇元年 - 西暦313年。酉(とり)年、干支は癸酉
・第16代仁徳天皇2年 - 西暦314年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・第16代仁徳天皇3年 - 西暦315年。亥(い)年、干支は乙亥
・第16代仁徳天皇4年 - 西暦316年。子(ね)年、干支は丙子
・第16代仁徳天皇5年 - 西暦317年。丑(うし)年、干支は丁丑
・第16代仁徳天皇6年 - 西暦318年。寅(とら)年、干支は戊寅
・第16代仁徳天皇7年 - 西暦319年。卯(う)年、干支は己卯
・第16代仁徳天皇8年 - 西暦320年。辰(たつ)年、干支は庚辰
・第16代仁徳天皇9年 - 西暦321年。巳(み)年、干支は辛巳
・第16代仁徳天皇10年 - 西暦322年。午(うま)年、干支は壬午
・第16代仁徳天皇11年 - 西暦323年。未(ひつじ)年、干支は癸未
・第16代仁徳天皇12年 - 西暦324年。申(さる)年、干支は甲申
・第16代仁徳天皇13年 - 西暦325年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第16代仁徳天皇14年 - 西暦326年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第16代仁徳天皇15年 - 西暦327年。亥(い)年、干支は丁亥
・第16代仁徳天皇16年 - 西暦328年。子(ね)年、干支は戊子
・第16代仁徳天皇17年 - 西暦329年。丑(うし)年、干支は己丑
・第16代仁徳天皇18年 - 西暦330年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第16代仁徳天皇19年 - 西暦331年。卯(う)年、干支は辛卯
・第16代仁徳天皇20年 - 西暦332年。辰(たつ)年、干支は壬辰
・第16代仁徳天皇21年 - 西暦333年。巳(み)年、干支は癸巳
・第16代仁徳天皇22年 - 西暦334年。午(うま)年、干支は甲午
・第16代仁徳天皇23年 - 西暦335年。未(ひつじ)年、干支は乙未
・第16代仁徳天皇24年 - 西暦336年。申(さる)年、干支は丙申
・第16代仁徳天皇25年 - 西暦337年。酉(とり)年、干支は丁酉
・第16代仁徳天皇26年 - 西暦338年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
・第16代仁徳天皇27年 - 西暦339年。亥(い)年、干支は己亥
・第16代仁徳天皇28年 - 西暦340年。子(ね)年、干支は庚子
・第16代仁徳天皇29年 - 西暦341年。丑(うし)年、干支は辛丑
・第16代仁徳天皇30年 - 西暦342年。寅(とら)年、干支は壬寅
・第16代仁徳天皇31年 - 西暦343年。卯(う)年、干支は癸卯
・第16代仁徳天皇32年 - 西暦344年。辰(たつ)年、干支は甲辰
・第16代仁徳天皇33年 - 西暦345年。巳(み)年、干支は乙巳
・第16代仁徳天皇34年 - 西暦346年。午(うま)年、干支は丙午
・第16代仁徳天皇35年 - 西暦347年。未(ひつじ)年、干支は丁未
・第16代仁徳天皇36年 - 西暦348年。申(さる)年、干支は戊申
・第16代仁徳天皇37年 - 西暦349年。酉(とり)年、干支は己酉
・第16代仁徳天皇38年 - 西暦350年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
・第16代仁徳天皇39年 - 西暦351年。亥(い)年、干支は辛亥
・第16代仁徳天皇40年 - 西暦352年。子(ね)年、干支は壬子
・第16代仁徳天皇41年 - 西暦353年。丑(うし)年、干支は癸丑
・第16代仁徳天皇42年 - 西暦354年。寅(とら)年、干支は甲寅
・第16代仁徳天皇43年 - 西暦355年。卯(う)年、干支は乙卯
・第16代仁徳天皇44年 - 西暦356年。辰(たつ)年、干支は丙辰
・第16代仁徳天皇45年 - 西暦357年。巳(み)年、干支は丁巳
・第16代仁徳天皇46年 - 西暦358年。午(うま)年、干支は戊午
・第16代仁徳天皇47年 - 西暦359年。未(ひつじ)年、干支は己未
・第16代仁徳天皇48年 - 西暦360年。申(さる)年、干支は庚申
・第16代仁徳天皇49年 - 西暦361年。酉(とり)年、干支は辛酉
・第16代仁徳天皇50年 - 西暦362年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
・第16代仁徳天皇51年 - 西暦363年。亥(い)年、干支は癸亥
・第16代仁徳天皇52年 - 西暦364年。子(ね)年、干支は甲子
・第16代仁徳天皇53年 - 西暦365年。丑(うし)年、干支は乙丑
・第16代仁徳天皇54年 - 西暦366年。寅(とら)年、干支は丙寅
・第16代仁徳天皇55年 - 西暦367年。卯(う)年、干支は丁卯
・第16代仁徳天皇56年 - 西暦368年。辰(たつ)年、干支は戊辰
・第16代仁徳天皇57年 - 西暦369年。巳(み)年、干支は己巳
・第16代仁徳天皇58年 - 西暦370年。午(うま)年、干支は庚午
・第16代仁徳天皇59年 - 西暦371年。未(ひつじ)年、干支は辛未
・第16代仁徳天皇60年 - 西暦372年。申(さる)年、干支は壬申
・第16代仁徳天皇61年 - 西暦373年。酉(とり)年、干支は癸酉
・第16代仁徳天皇62年 - 西暦374年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・第16代仁徳天皇63年 - 西暦375年。亥(い)年、干支は乙亥
・第16代仁徳天皇64年 - 西暦376年。子(ね)年、干支は丙子
・第16代仁徳天皇65年 - 西暦377年。丑(うし)年、干支は丁丑
・第16代仁徳天皇66年 - 西暦378年。寅(とら)年、干支は戊寅
・第16代仁徳天皇67年 - 西暦379年。卯(う)年、干支は己卯
・第16代仁徳天皇68年 - 西暦380年。辰(たつ)年、干支は庚辰
・第16代仁徳天皇69年 - 西暦381年。巳(み)年、干支は辛巳
・第16代仁徳天皇70年 - 西暦382年。午(うま)年、干支は壬午
・第16代仁徳天皇71年 - 西暦383年。未(ひつじ)年、干支は癸未
・第16代仁徳天皇72年 - 西暦384年。申(さる)年、干支は甲申
・第16代仁徳天皇73年 - 西暦385年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第16代仁徳天皇74年 - 西暦386年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第16代仁徳天皇75年 - 西暦387年。亥(い)年、干支は丁亥
・第16代仁徳天皇76年 - 西暦388年。子(ね)年、干支は戊子
・第16代仁徳天皇77年 - 西暦389年。丑(うし)年、干支は己丑
・第16代仁徳天皇78年 - 西暦390年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第16代仁徳天皇79年 - 西暦391年。卯(う)年、干支は辛卯
・第16代仁徳天皇80年 - 西暦392年。辰(たつ)年、干支は壬辰
・第16代仁徳天皇81年 - 西暦393年。巳(み)年、干支は癸巳
・第16代仁徳天皇82年 - 西暦394年。午(うま)年、干支は甲午
・第16代仁徳天皇83年 - 西暦395年。未(ひつじ)年、干支は乙未
・第16代仁徳天皇84年 - 西暦396年。申(さる)年、干支は丙申
・第16代仁徳天皇85年 - 西暦397年。酉(とり)年、干支は丁酉
・第16代仁徳天皇86年 - 西暦398年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
・第16代仁徳天皇87年 - 西暦399年。亥(い)年、干支は己亥
【関連キャラ】
・仁徳天皇 - 古事記中盤の主役はやはり女好きの御仁

オオサザキ。『古事記』に記載のある男性皇族。
父は第15代応神天皇、母はその皇后であるナカツヒメ。第二子。
第16代天皇(天皇家の系譜)。
同母姉にキノアラタノイラツメ、同母弟にネトリがいる。
異母兄の大山守命とともに、父の応神天皇から、「兄弟の中で、長じた者と、幼き者、どちらを愛すべきか」と問われ、大山守命は「兄」と回答する。
しかし、大雀命は天皇の御心を察して「兄はすでに長じており心配はないが、弟は幼く、愛すべき」と回答。
これによって、大山守命は若干遠ざけられ、大雀命が重用され、同時に二人にとっては異母弟に当たる和紀郎子が皇太子に指名される。
大雀命の時代、吉野の有力者から、佩いている剣のかっこよさを褒められる歌を送られたりしている。
また、父の応神天皇が見つけてきた日向の国のウシモロの娘カミナガヒメという美女に一目惚れ、建内宿禰に仲介を頼んで、応神天皇からカミナガを譲られ、チョーハッピーな歌を残している。
応神天皇が崩御した後、大山守命が皇太子の和紀郎子の殺害計画を策定。実際、軍を起こす。大雀命がその動きを察知し、和紀郎子に知らせ、和紀郎子も策を練り、結果は和紀郎子の勝利、大山守命は死す。
異母弟で皇太子の和紀郎子から皇位を譲られるが、固辞。お互い譲り合って皇位が空位となったため、海人が困るなど、若干の混乱が見られたが、和紀郎子が早世したため、即位。なお、和紀郎子の死に不審な点があることから、暗殺説もある。
皇居は難波高津宮。伝承地は、大阪府大阪市中央区周辺。
カツラギソツヒコの娘であるイワノヒメを当初皇后とし、第17代履中天皇、スミノエノナカツ、第18代反正天皇、第19代允恭天皇をもうける。
カミナガヒメが妃の一人で、オオクサカとワカクサカをもうける。
異母妹のヤタノを妃の一人とし、イワノが亡くなった後立后。
また異母妹のウジノワカイラツメを妃の一人とする。
皇子5人、皇女1人。
この御世に、皇后のイワノヒメの名を記念して葛城部を定め、また皇太子のイザホワケの名を記念して壬生部を定め、ミズハワケの名を記念して蝮部(たぢひべ)を定め、オオクサカの名を記念して大日下部を定め、ワカクサカの名を記念して若日下部を定めた。
またこの御世に、大陸から渡って来た秦人(はたびと)を使って、茨田の堤、茨田の御倉を作り、丸邇の池、依網の池を作り、難波の堀江を掘って海に通わせ、小椅の江を掘り、墨江の船着きを定めた。
有名な聖天子伝説、かまどの煙の説話を持つ。食事時なのに高台から見ると、人家から煙が立っていないので、民衆の困窮を察知すると、三年間無税と使役の免除を公布。
嫉妬深い皇后イワノがおりながら、女好きの仁徳天皇が目をかけたのが、吉備出身の美女クロヒメ。しかし、イワノがいるため、思うように合体もできない。クロヒメもイワノが怖すぎて、ついには宮殿を辞し、吉備に帰ることに。
去りゆくクロヒメを高台から見送りながら「残念、もったいないな~」という歌を歌ったところ、その歌を聞きつけたイワノが激怒、クロヒメのところに使者を遣わし、船で帰ることを許さず、徒歩で帰郷させた。
クロヒメをあきらめきれないので、淡路島への御幸というアリバイ工作を用意して、吉備に向かう。吉備でクロヒメと再会し、二人だけの幸せな時間を送るが、いつまでも吉備にいるわけにもいかず、都に帰る。
イワノが旅行に出かけたすきに、前々から目を付けていた、異母妹のヤタノとそそくさ合体。この浮気を聞きつけたイワノが激怒、家出する。仰天して、何とかイワノの怒りを収めようと愛の歌を持たした使者(最初に舎人の鳥山、後に丸邇の臣のクチコ)を遣わして、ご機嫌を取る。
結局、皇后の家出先である山城の筒木在住の帰化人である奴理能美の邸まで迎えに行って、一応この家出騒動は終結。一方で、ヤタノにも愛の歌を送る。
ヤタノの実の妹で、自身の異母妹にもあたるメドリとも合体したくなり、異母弟のハヤブサに仲介を頼んで、召し上げることにしたが、ハヤブサが赴くと、メドリは、「姉のヤタノも、嫁のイワノが怖くて可愛がれない男のものなどになれるかっ! あんたのオンナになるっ!」と言い、ハヤブサとデキてしまう。知らぬこととはいえ、仁徳天皇にとっては、軽~い、NTRか。
仲介を頼まれた手前、ハヤブサはメドリとデキてしまったことを仁徳天皇に報告できないまま、仁徳天皇自身が、メドリと邂逅し、KY的に求愛のきっかけを作ろうとする歌を歌うが、メドリからの返しの歌は、もうハヤブサとデキていること、あんたに興味なしなし、というニュアンスのもの。
高じて、メドリはハヤブサと合体している最中に、仁徳天皇殺害をお願いする歌を送る。その歌の内容を漏れ聞いた仁徳天皇が二人の反逆に対して、山部大楯連を将軍とした討伐軍を送る。手に手を取り合った逃避行はあったものの、反逆者二人は、討伐軍に殺害される。
ここでまた聖天子伝説の説話で、雁の卵。姫島に行った時に、北方でしか産卵して育児をしない雁が、卵を産んでいるのを見て、建内宿禰にその前例を聞いたところ、建内宿禰も聞いたことのない、慶事であると喜ぶ。
また、この御世に、巨木があった。その木を切って船を作ったところ、チョー高速艇になった。その船を枯野の船という。淡路島から清水を運ぶ船として活躍したが、故障したので、焼いたところ、焼け残りの部分を使って琴を作る。その琴がまたすごい音を奏でた、というお話。
83歳で崩御(丁卯年八月十五日)、御陵は毛受(もず)の耳原にあり。宮内庁によって大仙陵古墳(大阪府・堺市)が「百舌鳥耳原中陵」として治定されている。日本最大の古墳(古墳ランキング)。
八幡若宮四所権現の1柱とされる。他の3柱は、和紀郎子(宇治皇子)と、二人の妹とされる宇礼姫、久礼姫。
古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇
【主な登場場面】
・応神天皇、都が不穏で棺の中に入って大和に帰国 反乱軍を騙し討ちで討伐
・自分の子の中で、兄を疎んじ、弟を愛でる応神天皇 理想の女をゲットして有頂天
・探し当てた美女を息子に懇願されて譲り渡す応神天皇 懐広い? ちょっと後悔?
・応神天皇の皇子が佩いている剣がかっこええ―、と吉野で評判になった歌
・応神天皇崩御、すぐ兄弟間で戦争へ あの手この手を講じて、勝利は誰の手に?
・ものを持っているとうれしいはずなのに、嘆く海人 応神天皇亡き後の混乱
・珍しく建国神話らしい逸話 - 「かまどの煙が見えないから3年間無税ね」の仁徳天皇
・皇后の嫉妬におびえて田舎に帰ってしまった愛人を追いかけていく仁徳天皇
・鬼の居ぬ間に何とやら 仁徳天皇、嫉妬深い皇后が旅行中に浮気三昧の日々
・皇后に浮気ばれて家出された仁徳天皇 嫁を追いかけるも、でも愛人も大事!
・ヨメ恐がりすぎて女に愛想つかれる仁徳天皇 それが反乱の引き金になろうとは…
・女に振り回される仁徳天皇、でも国内に瑞兆 聖天子逸話も伊達ではなかった?
【収録歌】
・仁徳天皇、応神天皇から美女を譲り受けた時に喜んで歌った歌
・仁徳天皇、新しく得た妃カミナガが従順であることを喜んだ歌
・仁徳天皇、皇后を恐れて故郷に帰った妃クロヒメを慕った歌
・仁徳天皇、故郷に帰った妃クロヒメを追い駆けていた時に歌った歌
・仁徳天皇、妃クロヒメと再会してイチャイチャした時に詠んだ歌
・仁徳天皇、家出した皇后イワノを追いかける使者を出した時の歌
・仁徳天皇、家出した皇后イワノを心配して歌った歌
・仁徳天皇、家出した皇后イワノに、許して~、と歌った歌
・仁徳天皇、家出した皇后イワノを迎えに行った時に歌った歌
・仁徳天皇、皇后イワノの家出の原因、愛人ヤタノへの愛の歌
・仁徳天皇、求愛していた異母妹メドリに迫ろうとする歌
・仁徳天皇、雁が卵を産んだことについて、建内宿禰に問うた歌
・吉野の有力者たち、仁徳天皇の佩いている剣がかっこえー
・吉野の有力者たち、即位前の仁徳天皇に新酒を贈呈する際の歌
・人々、仁徳天皇の頃に遭ったフシギな木、船、琴に関して歌った歌
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・川俣神社(東大阪市) - 仁徳天皇の歌に出てくる「川俣江」、近世は天神宮、椿の御神木
【仁徳天皇を祀る神社】
・平塚八幡宮 - 宇佐神宮より早い創祀の古式の八幡か? 国府祭の相模五社の1社
・氷室神社(奈良市) - 奈良時代から重視された製氷の神様、漫画『さんすくみ』ゆかり
・宇流冨志禰神社 - 神武建国以来の創祀、春日神ともゆかりの深い式内社で元伊勢
・富岡八幡宮 - 天皇皇后両陛下もご観覧された江戸三大祭・深川祭で有名な深川八幡
・氷室神社(神戸市) - 香坂王の伝承や仁徳期の氷室旧跡、現在「愛のポスト」で脚光
・藤森神社(京都市) - そもそもが戦勝記念の創祀、今や勝運と馬・競馬の代表的な神様
・亀山八幡宮(下関市) - 古来屈指の佳景、宇佐から石清水への途上で祀られた八幡
・二宮神社(船橋市) - 下総国二宮、創建1200年の古社は現在、嵐ファン聖地の一つ
・大野神社(新城市) - 最古の棟札は鎌倉時代、伊勢神宮ともゆかりのある古社
・若宮神社(日田市若宮町) - 旧竹田村、日田祇園の一社、911年に郷に勧請された若八幡
・御香宮神社 - 洛南随一の大祭「伏見祭」で知られ、「御香水」が名高い安産・治癒の神
・方違神社 - 堺市“方位のない地”に鎮座する方災除けの神、粽祭など方除けのちまき推し
・鞆淵八幡神社 - 天皇の寵姫が帰郷で使用した? 石清水八幡宮から贈られた国宝・神輿
・手向山八幡宮 - 宇佐神宮からの勧請第一号は東大寺の守護神、紅葉の名所の山麓に鎮座
・姉埼神社 - 妃を失ったヤマトタケルが奉斎した風の女神、「松」の伝承が残る式内古社
・五社神社・諏訪神社 - ともに徳川秀忠の産土神、将軍家の崇敬厚い子守り、子育ての神
・鳥出神社 - 「天下の勇祭」鯨船行事で有名な、ヤマトタケル白鳥伝説が残る式内古社
・大阪護國神社 - 大阪府最大の鳥居があり、大阪の靖国神社とも、2月15日には仁徳天皇祭
・若宮八幡社(名古屋市中区) - 武門の神、名古屋三大祭の若宮祭で知られる名古屋総鎮守
・高津宮 - 仁徳天皇の皇居跡、桜の名所も往古は梅に馴染み、古典落語の舞台としても有名
・平濱八幡宮 - 境内社である武内神社の延命長寿のご利益でも有名な出雲最古の八幡宮
・亀山八幡宮(佐世保市) - 天武朝に宇佐神宮から勧請、軍港佐世保の「西海鎮護」の神
・八幡朝見神社 - 別府温泉の総鎮守、「別府温泉まつり」の開催地で、ひょうたん石なども
・出雲神社(山口市) - 出雲族の佐波川流域への膨張発展で創祀、大内・毛利氏が崇敬
・朝田神社(山口市) - 周防国五宮、明治期に1郷社6村社が合祀、「村民の敬神深き」社
・波多岐神社 - 仁徳天皇を祀る伊賀国三宮の式内古社、境内社にも式内「宇都可神社」
・惣社八幡神社 - 国府に隣接して鎮座、平安期から八幡神を祀るようになった豊前国総社
・鶴谷八幡宮 - 安房国総社、鎌倉期に八幡信仰へ、現在も「やわたんまち」に総社の面影
・比売許曽神社(東成区) - 江戸期までは牛頭天王社とされた、近世比定の式内名神大社
・新屋坐天照御魂神社(西福井) - 崇神朝の創建、藤原鎌足も参詣した歴史ある名神大社
・健御名方富命彦神別神社(飯山市) - 江戸期から御柱が行われる大宮諏訪社、境内社は重文
・石清尾八幡宮 - 高松の氏神・総鎮守・護り神、10月の例祭や5月の市立祭は市内最大の祭典
・鶴嶺八幡宮 - 茅ヶ崎に鎮座する、源氏が関東進出で最初に創建した氏社、浜降祭で有名
・若宮八幡宮(常陸太田市) - 佐竹・水戸徳川家が崇敬した太田郷鎮守、巫女舞や大ケヤキ
・琴弾八幡宮 - 源氏の崇敬と378段の参道、大祭では9台の太鼓台が集結して勇壮さを競う
・宗佐厄神八幡神社 - 和気清麻呂の危機を救った猪を出した厄除大祭で知られる厄神さん
・湯神社(松山市) - 景行天皇が創建した道後温泉の守護神、喧嘩神輿と初子祭、湯祈祷祭
・八幡神社(徳島市伊賀町) - 富田浦八幡宮と称された市中五社の一つ、昭和復興の随神門
・放生津八幡宮 - 秋季大祭「曳山祭」では曳山神事と、全国的に珍しい築山神事が伝わる
・乙咩神社 - 宇佐神宮前史、方形周溝墓の上に創建、八幡大神が洗浴したと伝わる乙女水
・泉神社(宇佐市) - 飛鳥朝創建、霊泉・酒井泉、豊前国の女神が八幡神に酒を奉仕した地
・田染元宮八幡社 - 平安期に創建された宇佐神宮の荘園「田染荘」の神、田染三社の「一宮」
・田染二宮八幡社 - 南北朝期創建、湍津姫命を祀る宇佐神宮の荘園「田染荘」の鎮守二の宮
・田染三宮八幡社 - 市杵嶋姫命を祀る宇佐神宮荘園「田染荘」鎮守、「三の宮の景」が有名
・蒲生八幡神社(姶良市) - 和気清麻呂の杖が化した「日本一の大楠」、島津義弘による崇敬
・難波神社 - 反正天皇が柴籬宮を開いた時に父帝・仁徳天皇を奉斎して創建、文楽発祥の地
・小芝八幡宮 - 平安初期の創建、武田信玄の再興、紅白のサッカーボールを模した絵馬掛け
・塩屋八幡宮 - 細川忠興が創建、八代神社妙見祭の御旅所、その数日後に「しおやのまつり」
・木本八幡宮 - 神武東遷の際に創祀、江戸期に八幡宮を合祀、木ノ本の獅子舞が有名な古社
・沙沙貴神社 - 全国佐々木さんの守護神、10月に近江源氏祭、4月は沙沙貴まつりの大松明
・若宮八幡社(大分市) - 鎌倉期の創建、大友氏館の裏鬼門、7月大祭でチキリン巡行など
・若宮八幡社(杵築市) - 敦実親王お手製の若宮四柱尊像を京から遷座、御田植祭や若宮楽
・若宮八幡神社(豊後高田市) - 日本三大裸祭り「川渡し神事」と大松明、ホーランエンヤ
・薦神社 - 大分中津に鎮座する大貞八幡宮、宇佐神宮の祖宮、三角池と細川忠興再建の神門
・鴻八幡宮 - 甲山に鎮座する、鴻と大蛇が死闘を繰り広げた「鴻の宮」、南北朝期の木製狛犬
・菊池神社(福岡市) - 南北朝時に敗死した菊池武時の胴塚に江戸後期から奉斎した旧県社
・日出若宮八幡神社 - キリシタンの弾圧を受けても村民が祭祀を継続、江戸期の社殿が現存
・往馬坐伊古麻都比古神社 - 大嘗祭の火燧木を献上する奈良生駒山の火の神、10月に火祭り
・若宮神社(鹿児島市) - 島津氏の代替わりに報告された神社、境内には縄文後期の遺跡も
・賀集八幡神社 - 淡路最古の八幡、江戸初期の社殿群と花見スポット、だんじり12台の春祭り
・彦島八幡宮 - 仲哀天皇が駐屯、平安末期に河野氏が創祀、800年の歴史ある「サイ上リ神事」
・高木八幡宮(佐賀市) - 平安期創建、巨木がある佐賀藩主の崇敬社、11月に「ねじり浮立」
・梁川八幡宮 - 伊達政宗が初陣で戦勝祈願、愛姫との婚姻ゆかり、中世の景観を今に残す
・大汝牟遅神社 - ニニギが創建、鎌倉期に鶴岡八幡を勧請、戦国期から伝わる流鏑馬神事
・心清水八幡神社 - 源頼義が勧請、長大な日誌『塔寺八幡宮長帳』と南北朝期の鰐口が重文
・高部屋神社 - 糟谷住吉の大神「大住大明神」、中世には八幡、9月に「汐汲みの神事」
・涼ケ岡八幡神社 - 元禄期の社殿が多数残る重要文化財の宝庫、特殊料理「いもずいも」
・新北神社 - 川副三郷の崇廟神、佐賀鍋島藩主家の崇敬、10月秋祭に「三重の獅子舞」
・佐々久神社 - 龍神・天候を象徴する佐々久山、仁徳天皇の崩御に際して徳を慕い創建
・姫宮神社(河津町) - 弥生期の祭祀遺物など、江戸期に村民により復興された伊豆式内
・造田神社(さぬき市) - 平安期に京石清水を勧請した八幡、1000年以上続く釜鳴り神事
・五所八幡宮(中井町) - 4月29日に「鷺の舞」、宇佐・石清水・鶴岡・壷井に次ぐ八幡
・多和神社(志度) - 神代の創祀、後に八幡神を合祀、志度寺と再建、9月に志度の祭り
・天野神社(三木町) - 丹生都比売命と八幡を奉斎、10月には28メートルもの大獅子が舞う
・若宮八幡宮(川崎市) - 境内に「かなまら祭」金山神社がある、恵方巻行事や酒合戦
・高見神社 - 北九州市、神功皇后が創祀、明治の官営八幡製鐵所ゆかり「ものづくりの神」
・富田八幡宮 - 少彦名命が去った後に大国主命が神と対面した地、式内・勝日神社
・祝園神社(精華町) - 『古事記』記載の討伐された武埴安彦の悪霊、1月に「いごもり祭」
・八剱神社(桑原町) - 石門・石刀から岩神・八神に転化か? 境内に稲荷・若宮が遷座
・阿為神社 - 藤原鎌足が乙巳の変の謀議を巡らした地、重要美術品の後漢期銅鏡
・田光神社 - 田光八幡社、平安期の創建、熱田神宮の旧殿拝領、和合の木と老楠
・雙栗神社 - 椏本八幡宮、大クスノキと室町期の本殿、お粥炊の神事や八朔祭り
・伊居太神社(池田市) - 呉の機織・縫製技術を持つ穴織媛を奉斎、秀頼が社殿再建
・呉服神社(池田市) - 呉服の語源、1月の池田えびすと歳旦祭、正月初詣は市内屈指
・大久佐八幡宮 - 貞観年間に神輿や流鏑馬の記録、10月に棒術「大草棒の手」の神事
・久麻久神社(八ツ面町) - 崇神朝の創祀、大宝年間に牛頭天王勧請、室町期社殿が重文
・八幡神社(東九条町) - 石清水八幡宮の元宮ともされる、大安寺・辰市・子安八幡宮
・墨坂神社(八幡) - 飛鳥朝創建、平安期に八幡を合祀、武田信玄や藩主堀家の崇敬
・天祖若宮八幡宮 - 奈良朝創祀の若宮八幡宮と、「番神さま」が昭和に合併
・葦神社(伊賀市) - 孝霊朝に顕現、三社が分離・習合、別府明神と称された式内社
・白沙八幡神社 - タマヨリを御祭神とする式内社「海神社」、宇佐神宮からの勧請
・飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社 - 綱掛祭「カンジョウナワ」が有名な日本一長い社名
・笠屋神社(南アルプス市) - 御所庭「御所天神」小笠原長清の館跡付近、的場の地名
・多太神社 - 大田々根子命の一族、源満仲が平野神社を勧請とも、10月にだんじり
・天目一神社(西脇市) - 『播磨国風土記』女神の子の父だと判明したタタラの神
・両神社(下田市) - 須崎半島南部に鎮座する夫婦の宮、三島明神、薬師堂、式内論社
・国玉神社(岬町) - 称徳天皇の深日行宮跡、古代はスズ、10月やぐらの宮入り
・湊口神社 - 当初は港寄りに鎮座、純友の反乱、義経の祈願、湊口祭だんじり
・櫻宮 - 大坂城の守護社、淀川東岸の市内屈指の花見名所、7月だんじり
・亀山神社(亀山市) - 亀山城址、真澂神社とも、式内「真木尾神社」を合祀、心形刀流
・射山神社 - 伊勢内宮の「七栗御園」と温泉、長命水「榊の井」と湯立神事
・多比鹿神社 - 社名も地名の田光も「たびか」、当地開拓の祖神、大国主神の五世孫
・鎌田神明宮 - 豊受大神が船で渡御してきた地、神宮御厨、遠州の大社、虫封じ
・八阪神社(下の宮) - 下之宮、江戸初期に地区内最古として勧請、ライオンの石像
・和田八幡宮(浜田市) - 鎌倉期の勧請、境内に式内論社、『天然コケッコー』
・有玉神社 - 田村麻呂の創建伝承、徳川家康の愛馬寄進以来の400年続く流鏑馬神事
・穴石神社 - 穴師の神か、風神か、もとは天津社、1月に川に綱を渡す神事
・須智荒木神社 - 安寧皇子を祖神とする一族が開拓し奉斎、伊賀五大社、芭蕉も一句
・射手神社 - 義経が祈願、西行が詠んだ弓・武の神、室町初期の十三重塔
・東高津宮 - 仁徳天皇の皇居跡ともされる平野社、元高津とも、7月に夏祭り
・白澤神社(静岡市) - 牛妻の開村とともに白澤口に奉斎された地主神・産土神
・御幸森天神宮 - 猪飼野・百済野、仁徳帝の休息地、昭和社殿、地車とえべっさん
・大宮神社(大阪市) - 源義経が創建、秀吉が大坂城鬼門守護に、1月大宮えびす祭
・若宮八幡大神宮 - 蒲生の若宮さん、大坂冬の陣で佐竹義宣が本陣、10月にだんじり
・高神社(井出町) - もとの多賀神社、日本初の猿楽の記録、桃山期の本殿、社叢
・北沢八幡宮 - 室町期に世田谷城鬼門鎮護に勧請、勇壮な9月例祭の町内御輿宮入り
・室城神社 - 聖武天皇の時代に創建、その際からの矢形餅、根強い火除けの信仰
・佐々尾神社 - 平安後期の仏像は宝林寺で安置、境内に乳と砥石の神、愛宕信仰も
・下祖師谷神明社 - 南北朝期には存在、稲荷・八幡と三社宮、熊野社合祀、古風な例祭
・蟹井神社 - 神武帝の祭祀跡、平安期の創建、もとの甲斐神社、10月に提灯祭
・星田神社 - 交野大明神、江戸中期から住吉神、本殿は春日移し、平成の世に復興
・常磐樹神社 - 報恩寺と常楽院の境内5社が合社、社名は境内地にあった御神木から
・下山八幡神社 - 平安期創建、江戸中期の珍しい三間社流造り本殿、10月に例大祭
・上石原若宮八幡神社 - 江戸前期以前に創建、上石原宿の鎮守、江戸後期の本殿
・八幡大神(寒川町) - 平安期の和名抄に記載、8月例祭で明治初期の屋台3台宮入り
・舞岡八幡宮 - 鎌倉後期、白幡が空に舞って創建、室町期以降の改築、4月湯花神楽
・大宮五十鈴神社 - 応神朝に熱田・伊勢・諏訪を勧請、9月秋分の日に圧巻の三国花火
・中井御霊神社 - 1月13日に備射祭、多くの関連文化財伝わる、江戸から近代の社殿
・月見岡八幡神社 - 義家植樹伝承、もとは月読命などを奉斎、昭和に合祀した落合富士
・神楽坂若宮八幡神社 - 頼朝が勧請、太田道灌が再興、江戸期神楽坂の中心、銀杏伝承
・敷島神社(吉野川市) - もとは西宮八幡、式内を合祀した河辺八幡などを合祀
・大井神社(鈴鹿市) - 牛頭天王社・若宮八幡社と呼ばれた式内論社、21枚の棟札
・三宅神社(三宅町) - 式内論社の正一位手力明神、明治までは加和良神社とも
・川神社(鈴鹿市) - 江戸初期の棟札が現存、甘雨を降らし、長雨を止める神
・高座神社(山南町) - 丹波国造家の祖神、江戸中期の見事な社殿とフジキ、石鳥居
・若宮神社(薭田野町) - 奈良期の創建、義経の腰掛岩、8月佐伯郷灯籠祭、御香水
・大山祇神社(村上市指合3926) - 旧神林村、明治期に式内論社・多岐神社を合祀
・宮内神社(西条市) - 大三島を勧請した周敷宮内・津宮周敷大明神、雨乞いに霊験
・角上神社 - 式内社「つのかみ」の「とかみ」、ト神・塗神とも、イチョウの大木
・金丸八幡神社(東みよし町) - 往古は建石神社、10月宵宮神事、多くの立石群
・大木神社(鈴鹿市) - 青木明神とも、天王祭の天王社同殿、末社に石薬師の蒲桜
・巨椋神社 - 巨椋池のほとりで巨椋氏の祖神奉斎、後に春日明神、境内に子守神社
・宇志比古神社 - 八幡・八坂の牛ノ宮とも呼ばれた古社、県内最古の神社建築が重文
・若宮八幡宮(瀬戸内市) - 江戸中期の特徴的な石燈籠、境内に神田稲荷と広高神社
・能登神社 - 能登臣の祖を祀る、もとは八幡、4月15日に王の舞と獅子舞
・六所神社(上垂木) - もと尾崎宮、今川氏から雨櫻神社とともに上下宮、祇園祭
・松尾八王子神社 - 西ノ宮、10月例祭で屋台曳き回し、境内でも行事、式内論社とも
・守山八幡宮(伊豆の国市) - 源頼朝挙兵の地、四條郷の総社、10月に三番叟、紅葉
・物部神社(津市) - 新家の地、ムクノキの巨樹の天王森に鎮座する山辺の宮
・土肥神社 - 豊御玉命を祀る式内、鎌倉初期に鶴岡を勧請、10月に土肥太鼓奉納
・肥田神社 - もとは若宮八幡のひたの王子、式内論社、明治期に皇后神社と合併
・大平神社(伊豆市) - 全長105メートルの旭滝の近く、もと高根神社、式内論社?
・矢津八幡宮 - 坂上田村麻呂が創祀、源義家が祈願、式内・長瀬神社の論社とも
・佐良志奈神社 - 「さらしな」、宗良親王の歌と逆修塚、佐久間象山の書、カタクリ
・阿比多神社 - 飛鳥朝に幣帛、源頼義が祈願、順徳上皇が参拝、7月上旬に神輿渡御
・置染神社 - もと長谷置染連の氏神、伊勢平氏ゆかりの地かつ氏神、清盛祖父の墓
・須賀神社(松阪市嬉野権現前町) - 倭姫命が創建、もと須加権現、初瀬街道の導きの神
・鬼太神社 - 「おにた」「しこた」とも、鬼田神社とも、北の御厨、木田の氏神
・夜夫多神社 - もとの地名は藪田村・矢太村、藪田神社とも、2月御鍬祭・馬の砂かけ
・小許曽神社 - 後に神明が勧請された西宮三座・東宮二座の五社神明、粥試の神事
・弥牟居神社 - もとは水深(みぶけ)? 安楽郷の総社、長らく尾崎天王、明治合祀
・江田神社(四日市市) - 日本武尊の弟で当地開拓者を祀る、天武朝以来の御館獅子舞
・川俣神社(亀山市) - 大比古命の味酒伝承、2月に平安期以来の神事、川俣社の祖か
・水嶋礒部神社(糸魚川市) - 上杉謙信が七尾城攻めで祈願、4月春大祭で「鯛釣り舞」
・松尾神社(松阪市) - 400段の石段、立野郷の立野神社・立野明神・立野連、亀の井
・庄内神社(鈴鹿市) - 式内・天一鍬田神社、八島明神とも、明治期に合祀で改称
・神田神社(東白川村) - 奈良初期の創建、南北朝期来の再建、平成に「絆山車」復活
【年】
・第16代仁徳天皇元年 - 西暦313年。酉(とり)年、干支は癸酉
・第16代仁徳天皇2年 - 西暦314年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・第16代仁徳天皇3年 - 西暦315年。亥(い)年、干支は乙亥
・第16代仁徳天皇4年 - 西暦316年。子(ね)年、干支は丙子
・第16代仁徳天皇5年 - 西暦317年。丑(うし)年、干支は丁丑
・第16代仁徳天皇6年 - 西暦318年。寅(とら)年、干支は戊寅
・第16代仁徳天皇7年 - 西暦319年。卯(う)年、干支は己卯
・第16代仁徳天皇8年 - 西暦320年。辰(たつ)年、干支は庚辰
・第16代仁徳天皇9年 - 西暦321年。巳(み)年、干支は辛巳
・第16代仁徳天皇10年 - 西暦322年。午(うま)年、干支は壬午
・第16代仁徳天皇11年 - 西暦323年。未(ひつじ)年、干支は癸未
・第16代仁徳天皇12年 - 西暦324年。申(さる)年、干支は甲申
・第16代仁徳天皇13年 - 西暦325年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第16代仁徳天皇14年 - 西暦326年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第16代仁徳天皇15年 - 西暦327年。亥(い)年、干支は丁亥
・第16代仁徳天皇16年 - 西暦328年。子(ね)年、干支は戊子
・第16代仁徳天皇17年 - 西暦329年。丑(うし)年、干支は己丑
・第16代仁徳天皇18年 - 西暦330年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第16代仁徳天皇19年 - 西暦331年。卯(う)年、干支は辛卯
・第16代仁徳天皇20年 - 西暦332年。辰(たつ)年、干支は壬辰
・第16代仁徳天皇21年 - 西暦333年。巳(み)年、干支は癸巳
・第16代仁徳天皇22年 - 西暦334年。午(うま)年、干支は甲午
・第16代仁徳天皇23年 - 西暦335年。未(ひつじ)年、干支は乙未
・第16代仁徳天皇24年 - 西暦336年。申(さる)年、干支は丙申
・第16代仁徳天皇25年 - 西暦337年。酉(とり)年、干支は丁酉
・第16代仁徳天皇26年 - 西暦338年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
・第16代仁徳天皇27年 - 西暦339年。亥(い)年、干支は己亥
・第16代仁徳天皇28年 - 西暦340年。子(ね)年、干支は庚子
・第16代仁徳天皇29年 - 西暦341年。丑(うし)年、干支は辛丑
・第16代仁徳天皇30年 - 西暦342年。寅(とら)年、干支は壬寅
・第16代仁徳天皇31年 - 西暦343年。卯(う)年、干支は癸卯
・第16代仁徳天皇32年 - 西暦344年。辰(たつ)年、干支は甲辰
・第16代仁徳天皇33年 - 西暦345年。巳(み)年、干支は乙巳
・第16代仁徳天皇34年 - 西暦346年。午(うま)年、干支は丙午
・第16代仁徳天皇35年 - 西暦347年。未(ひつじ)年、干支は丁未
・第16代仁徳天皇36年 - 西暦348年。申(さる)年、干支は戊申
・第16代仁徳天皇37年 - 西暦349年。酉(とり)年、干支は己酉
・第16代仁徳天皇38年 - 西暦350年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
・第16代仁徳天皇39年 - 西暦351年。亥(い)年、干支は辛亥
・第16代仁徳天皇40年 - 西暦352年。子(ね)年、干支は壬子
・第16代仁徳天皇41年 - 西暦353年。丑(うし)年、干支は癸丑
・第16代仁徳天皇42年 - 西暦354年。寅(とら)年、干支は甲寅
・第16代仁徳天皇43年 - 西暦355年。卯(う)年、干支は乙卯
・第16代仁徳天皇44年 - 西暦356年。辰(たつ)年、干支は丙辰
・第16代仁徳天皇45年 - 西暦357年。巳(み)年、干支は丁巳
・第16代仁徳天皇46年 - 西暦358年。午(うま)年、干支は戊午
・第16代仁徳天皇47年 - 西暦359年。未(ひつじ)年、干支は己未
・第16代仁徳天皇48年 - 西暦360年。申(さる)年、干支は庚申
・第16代仁徳天皇49年 - 西暦361年。酉(とり)年、干支は辛酉
・第16代仁徳天皇50年 - 西暦362年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
・第16代仁徳天皇51年 - 西暦363年。亥(い)年、干支は癸亥
・第16代仁徳天皇52年 - 西暦364年。子(ね)年、干支は甲子
・第16代仁徳天皇53年 - 西暦365年。丑(うし)年、干支は乙丑
・第16代仁徳天皇54年 - 西暦366年。寅(とら)年、干支は丙寅
・第16代仁徳天皇55年 - 西暦367年。卯(う)年、干支は丁卯
・第16代仁徳天皇56年 - 西暦368年。辰(たつ)年、干支は戊辰
・第16代仁徳天皇57年 - 西暦369年。巳(み)年、干支は己巳
・第16代仁徳天皇58年 - 西暦370年。午(うま)年、干支は庚午
・第16代仁徳天皇59年 - 西暦371年。未(ひつじ)年、干支は辛未
・第16代仁徳天皇60年 - 西暦372年。申(さる)年、干支は壬申
・第16代仁徳天皇61年 - 西暦373年。酉(とり)年、干支は癸酉
・第16代仁徳天皇62年 - 西暦374年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・第16代仁徳天皇63年 - 西暦375年。亥(い)年、干支は乙亥
・第16代仁徳天皇64年 - 西暦376年。子(ね)年、干支は丙子
・第16代仁徳天皇65年 - 西暦377年。丑(うし)年、干支は丁丑
・第16代仁徳天皇66年 - 西暦378年。寅(とら)年、干支は戊寅
・第16代仁徳天皇67年 - 西暦379年。卯(う)年、干支は己卯
・第16代仁徳天皇68年 - 西暦380年。辰(たつ)年、干支は庚辰
・第16代仁徳天皇69年 - 西暦381年。巳(み)年、干支は辛巳
・第16代仁徳天皇70年 - 西暦382年。午(うま)年、干支は壬午
・第16代仁徳天皇71年 - 西暦383年。未(ひつじ)年、干支は癸未
・第16代仁徳天皇72年 - 西暦384年。申(さる)年、干支は甲申
・第16代仁徳天皇73年 - 西暦385年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第16代仁徳天皇74年 - 西暦386年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第16代仁徳天皇75年 - 西暦387年。亥(い)年、干支は丁亥
・第16代仁徳天皇76年 - 西暦388年。子(ね)年、干支は戊子
・第16代仁徳天皇77年 - 西暦389年。丑(うし)年、干支は己丑
・第16代仁徳天皇78年 - 西暦390年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第16代仁徳天皇79年 - 西暦391年。卯(う)年、干支は辛卯
・第16代仁徳天皇80年 - 西暦392年。辰(たつ)年、干支は壬辰
・第16代仁徳天皇81年 - 西暦393年。巳(み)年、干支は癸巳
・第16代仁徳天皇82年 - 西暦394年。午(うま)年、干支は甲午
・第16代仁徳天皇83年 - 西暦395年。未(ひつじ)年、干支は乙未
・第16代仁徳天皇84年 - 西暦396年。申(さる)年、干支は丙申
・第16代仁徳天皇85年 - 西暦397年。酉(とり)年、干支は丁酉
・第16代仁徳天皇86年 - 西暦398年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
・第16代仁徳天皇87年 - 西暦399年。亥(い)年、干支は己亥
【関連キャラ】
・仁徳天皇 - 古事記中盤の主役はやはり女好きの御仁

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