御真木入日子印恵命(みまきいりびこいにえのみこと)
マキイリビコイニエ。『古事記』に記載のある男性皇族。
父は第9代開化天皇、母はその皇后であるイカガシコメ。同母妹にタマツヒメがいる。
第10代天皇(天皇家の系譜)。
木の国造であるアラカタベの娘であるアユメマグワシヒメを妃の一人とし、トヨキリビコとトヨスキイリビメをもうける。
尾張連の祖であるオオアマヒメを妃の一人とし、皇子オオイリキ、皇子ヤサカイリビコ、皇女ヌナキイリビメ、皇女トオチニイリビメをもうける。
第8代孝元天皇の皇子オオビコの娘であるミマキヒメを皇后とし、第11代垂仁天皇、イザノマワカ、クニカタヒメ、チチツクヤマトヒメ、イカヒメ、ヤマトヒコをもうける。
その御世、疫病が蔓延し、その勢いは人々を絶やすほどだった。そのため神を祀り、眠った晩に、夢の中にオオモノヌシが現れて曰く「この疫病はオレの祟り。オレの子孫のオオタタネコに、オレを祀らせよ」。
そこで必死にオオタタネコを探し求め、河内の国の美努村で探し当てた。
オオタタネコに「オマエは誰の子だ?」と尋ねると、オオタタネコは、オオモノヌシと、スエツツミの娘であるイクタマの夫婦からの系譜を答えたため、喜んで、「天下が安らぎ、人民が栄えるだろう」と語った。
このオオタタネコを神官として、御諸山(三輪山)でオオモノヌシを祀る。
イカガシコオに命じて、祭祀に使う皿を作り、天地の神々の社を定めた。また宇陀の墨坂の神に赤い色の楯矛を奉り、大阪の神に隅の色の楯矛を奉り、また坂の上の神や川の瀬の神に至るまで、すべてに幣帛を奉った。
こうして疫病がやみ、平穏を取り戻した、という。
また、オオビコを越の道に遣わし、その子のタケヌナカワワケを東方諸国に遣わして、従わない人々を平定させた。
開化天皇の第三皇子で、異母弟に当たるヒコイマスを丹波の国に派遣して、クガミミノミカサを討たせた。
オオビコが越の国へ行こうとした時、山城の幣羅坂に謎の女が奇妙な歌を歌っていたので、念のため都に戻って報告してきた。「タケハニヤス(第8代孝元天皇の皇子)の反乱だろう」と看破、オオビコに討伐をお願いする。
反乱平定後、オオビコは予定通り越の国に行き、東に行ったその子のタケヌナカワワケと会津で合流した。
こうして天下泰平となり、人民は富栄えた。男には弓矢で得た獲物を、女には手芸の品々を献上させた。所知初国之御真木天皇(はつくにしらししみまきのすめらみこと)と呼ばれる。
この御世に、依綱の池を作り、また軽の酒折の池を作った。
皇居は師木の水垣宮。伝承地は奈良県桜井市金屋の志貴御県坐神社。
戊寅年12月に168歳で崩御、御陵は山邊道勾(やまのべのみちのまがり)の岡の上。宮内庁によって行燈山古墳(奈良県・天理市)が「山邊道勾岡上陵」として治定されている。全国第16位の大きさの古墳(古墳ランキング)。
古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇
【主な登場場面】
・実子に後妻寝取られ反逆される故・神武天皇 直系が奮起して乱を平定
・オオモノヌシに祟られて急いで慰霊する崇神天皇 そもそもオオモノヌシって…
・またまた美女に狙いをつけるオオモノヌシ 見事寝とって孕ませて
・四道将軍を派遣しようとして反乱に気付いた崇神天皇「伯父さん、討伐してちょ」
【関連する収録歌】
・謎の少女、崇神天皇に謀反の企みがあることを知らせる歌
【関連記事】
・淡海国玉神社 - 惣社大明神と呼ばれた遠江国総社、三式内社を合祀、飛地境内二社も式内社
・倉賀野神社 - 崇神朝の創祀のクニタマさま、「飯玉縁起」飯玉大明神、飯玉さま
・『倭姫命世紀』(3) - 同殿共床との決別と、巡幸の始まり 皇女トヨスキイリビメ
・『倭姫命世紀』 - “ただ”の伝説? ある皇女の数奇な一生、伊勢神宮の謎【目次】
【年】
・第10代崇神天皇元年 - 西暦紀元前97年。申(さる)年、干支は甲申
・第10代崇神天皇2年 - 西暦紀元前96年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第10代崇神天皇3年 - 西暦紀元前95年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第10代崇神天皇4年 - 西暦紀元前94年。亥(い)年、干支は丁亥
・第10代崇神天皇5年 - 西暦紀元前93年。子(ね)年、干支は戊子
・第10代崇神天皇6年 - 西暦紀元前92年。丑(うし)年、干支は己丑
・第10代崇神天皇7年 - 西暦紀元前91年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第10代崇神天皇8年 - 西暦紀元前90年。卯(う)年、干支は辛卯
・第10代崇神天皇9年 - 西暦紀元前89年。辰(たつ)年、干支は壬辰
・第10代崇神天皇10年 - 西暦紀元前88年。巳(み)年、干支は癸巳
・第10代崇神天皇11年 - 西暦紀元前87年。午(うま)年、干支は甲午
・第10代崇神天皇12年 - 西暦紀元前86年。未(ひつじ)年、干支は乙未
・第10代崇神天皇13年 - 西暦紀元前85年。申(さる)年、干支は丙申
・第10代崇神天皇14年 - 西暦紀元前84年。酉(とり)年、干支は丁酉
・第10代崇神天皇15年 - 西暦紀元前83年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
・第10代崇神天皇16年 - 西暦紀元前82年。亥(い)年、干支は己亥
・第10代崇神天皇17年 - 西暦紀元前81年。子(ね)年、干支は庚子
・第10代崇神天皇18年 - 西暦紀元前80年。丑(うし)年、干支は辛丑
・第10代崇神天皇19年 - 西暦紀元前79年。寅(とら)年、干支は壬寅
・第10代崇神天皇20年 - 西暦紀元前78年。卯(う)年、干支は癸卯
・第10代崇神天皇21年 - 西暦紀元前77年。辰(たつ)年、干支は甲辰
・第10代崇神天皇22年 - 西暦紀元前76年。巳(み)年、干支は乙巳
・第10代崇神天皇23年 - 西暦紀元前75年。午(うま)年、干支は丙午
・第10代崇神天皇24年 - 西暦紀元前74年。未(ひつじ)年、干支は丁未
・第10代崇神天皇25年 - 西暦紀元前73年。申(さる)年、干支は戊申
・第10代崇神天皇26年 - 西暦紀元前72年。酉(とり)年、干支は己酉
・第10代崇神天皇27年 - 西暦紀元前71年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
・第10代崇神天皇28年 - 西暦紀元前70年。亥(い)年、干支は辛亥
・第10代崇神天皇29年 - 西暦紀元前69年。子(ね)年、干支は壬子
・第10代崇神天皇30年 - 西暦紀元前68年。丑(うし)年、干支は癸丑
・第10代崇神天皇31年 - 西暦紀元前67年。寅(とら)年、干支は甲寅
・第10代崇神天皇32年 - 西暦紀元前66年。卯(う)年、干支は乙卯
・第10代崇神天皇33年 - 西暦紀元前65年。辰(たつ)年、干支は丙辰
・第10代崇神天皇34年 - 西暦紀元前64年。巳(み)年、干支は丁巳
・第10代崇神天皇35年 - 西暦紀元前63年。午(うま)年、干支は戊午
・第10代崇神天皇36年 - 西暦紀元前62年。未(ひつじ)年、干支は己未
・第10代崇神天皇37年 - 西暦紀元前61年。申(さる)年、干支は庚申
・第10代崇神天皇38年 - 西暦紀元前60年。酉(とり)年、干支は辛酉
・第10代崇神天皇39年 - 西暦紀元前59年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
・第10代崇神天皇40年 - 西暦紀元前58年。亥(い)年、干支は癸亥
・第10代崇神天皇41年 - 西暦紀元前57年。子(ね)年、干支は甲子
・第10代崇神天皇42年 - 西暦紀元前56年。丑(うし)年、干支は乙丑
・第10代崇神天皇43年 - 西暦紀元前55年。寅(とら)年、干支は丙寅
・第10代崇神天皇44年 - 西暦紀元前54年。卯(う)年、干支は丁卯
・第10代崇神天皇45年 - 西暦紀元前53年。辰(たつ)年、干支は戊辰
・第10代崇神天皇46年 - 西暦紀元前52年。巳(み)年、干支は己巳
・第10代崇神天皇47年 - 西暦紀元前51年。午(うま)年、干支は庚午
・第10代崇神天皇48年 - 西暦紀元前50年。未(ひつじ)年、干支は辛未
・第10代崇神天皇49年 - 西暦紀元前49年。申(さる)年、干支は壬申
・第10代崇神天皇50年 - 西暦紀元前48年。酉(とり)年、干支は癸酉
・第10代崇神天皇51年 - 西暦紀元前47年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・第10代崇神天皇52年 - 西暦紀元前46年。亥(い)年、干支は乙亥
・第10代崇神天皇53年 - 西暦紀元前45年。子(ね)年、干支は丙子
・第10代崇神天皇54年 - 西暦紀元前44年。丑(うし)年、干支は丁丑
・第10代崇神天皇55年 - 西暦紀元前43年。寅(とら)年、干支は戊寅
・第10代崇神天皇56年 - 西暦紀元前42年。卯(う)年、干支は己卯
・第10代崇神天皇57年 - 西暦紀元前41年。辰(たつ)年、干支は庚辰
・第10代崇神天皇58年 - 西暦紀元前40年。巳(み)年、干支は辛巳
・第10代崇神天皇59年 - 西暦紀元前39年。午(うま)年、干支は壬午
・第10代崇神天皇60年 - 西暦紀元前38年。未(ひつじ)年、干支は癸未
・第10代崇神天皇61年 - 西暦紀元前37年。申(さる)年、干支は甲申
・第10代崇神天皇62年 - 西暦紀元前36年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第10代崇神天皇63年 - 西暦紀元前35年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第10代崇神天皇64年 - 西暦紀元前34年。亥(い)年、干支は丁亥
・第10代崇神天皇65年 - 西暦紀元前33年。子(ね)年、干支は戊子
・第10代崇神天皇66年 - 西暦紀元前32年。丑(うし)年、干支は己丑
・第10代崇神天皇67年 - 西暦紀元前31年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第10代崇神天皇68年 - 西暦紀元前30年。卯(う)年、干支は辛卯
【関連キャラ】
・崇神天皇 - 祟りを祀るの天皇、領土拡張も順調に進展
マキイリビコイニエ。『古事記』に記載のある男性皇族。
父は第9代開化天皇、母はその皇后であるイカガシコメ。同母妹にタマツヒメがいる。
第10代天皇(天皇家の系譜)。
木の国造であるアラカタベの娘であるアユメマグワシヒメを妃の一人とし、トヨキリビコとトヨスキイリビメをもうける。
尾張連の祖であるオオアマヒメを妃の一人とし、皇子オオイリキ、皇子ヤサカイリビコ、皇女ヌナキイリビメ、皇女トオチニイリビメをもうける。
第8代孝元天皇の皇子オオビコの娘であるミマキヒメを皇后とし、第11代垂仁天皇、イザノマワカ、クニカタヒメ、チチツクヤマトヒメ、イカヒメ、ヤマトヒコをもうける。
その御世、疫病が蔓延し、その勢いは人々を絶やすほどだった。そのため神を祀り、眠った晩に、夢の中にオオモノヌシが現れて曰く「この疫病はオレの祟り。オレの子孫のオオタタネコに、オレを祀らせよ」。
そこで必死にオオタタネコを探し求め、河内の国の美努村で探し当てた。
オオタタネコに「オマエは誰の子だ?」と尋ねると、オオタタネコは、オオモノヌシと、スエツツミの娘であるイクタマの夫婦からの系譜を答えたため、喜んで、「天下が安らぎ、人民が栄えるだろう」と語った。
このオオタタネコを神官として、御諸山(三輪山)でオオモノヌシを祀る。
イカガシコオに命じて、祭祀に使う皿を作り、天地の神々の社を定めた。また宇陀の墨坂の神に赤い色の楯矛を奉り、大阪の神に隅の色の楯矛を奉り、また坂の上の神や川の瀬の神に至るまで、すべてに幣帛を奉った。
こうして疫病がやみ、平穏を取り戻した、という。
また、オオビコを越の道に遣わし、その子のタケヌナカワワケを東方諸国に遣わして、従わない人々を平定させた。
開化天皇の第三皇子で、異母弟に当たるヒコイマスを丹波の国に派遣して、クガミミノミカサを討たせた。
オオビコが越の国へ行こうとした時、山城の幣羅坂に謎の女が奇妙な歌を歌っていたので、念のため都に戻って報告してきた。「タケハニヤス(第8代孝元天皇の皇子)の反乱だろう」と看破、オオビコに討伐をお願いする。
反乱平定後、オオビコは予定通り越の国に行き、東に行ったその子のタケヌナカワワケと会津で合流した。
こうして天下泰平となり、人民は富栄えた。男には弓矢で得た獲物を、女には手芸の品々を献上させた。所知初国之御真木天皇(はつくにしらししみまきのすめらみこと)と呼ばれる。
この御世に、依綱の池を作り、また軽の酒折の池を作った。
皇居は師木の水垣宮。伝承地は奈良県桜井市金屋の志貴御県坐神社。
戊寅年12月に168歳で崩御、御陵は山邊道勾(やまのべのみちのまがり)の岡の上。宮内庁によって行燈山古墳(奈良県・天理市)が「山邊道勾岡上陵」として治定されている。全国第16位の大きさの古墳(古墳ランキング)。
古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇
【主な登場場面】
・実子に後妻寝取られ反逆される故・神武天皇 直系が奮起して乱を平定
・オオモノヌシに祟られて急いで慰霊する崇神天皇 そもそもオオモノヌシって…
・またまた美女に狙いをつけるオオモノヌシ 見事寝とって孕ませて
・四道将軍を派遣しようとして反乱に気付いた崇神天皇「伯父さん、討伐してちょ」
【関連する収録歌】
・謎の少女、崇神天皇に謀反の企みがあることを知らせる歌
【関連記事】
・淡海国玉神社 - 惣社大明神と呼ばれた遠江国総社、三式内社を合祀、飛地境内二社も式内社
・倉賀野神社 - 崇神朝の創祀のクニタマさま、「飯玉縁起」飯玉大明神、飯玉さま
・『倭姫命世紀』(3) - 同殿共床との決別と、巡幸の始まり 皇女トヨスキイリビメ
・『倭姫命世紀』 - “ただ”の伝説? ある皇女の数奇な一生、伊勢神宮の謎【目次】
【年】
・第10代崇神天皇元年 - 西暦紀元前97年。申(さる)年、干支は甲申
・第10代崇神天皇2年 - 西暦紀元前96年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第10代崇神天皇3年 - 西暦紀元前95年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第10代崇神天皇4年 - 西暦紀元前94年。亥(い)年、干支は丁亥
・第10代崇神天皇5年 - 西暦紀元前93年。子(ね)年、干支は戊子
・第10代崇神天皇6年 - 西暦紀元前92年。丑(うし)年、干支は己丑
・第10代崇神天皇7年 - 西暦紀元前91年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第10代崇神天皇8年 - 西暦紀元前90年。卯(う)年、干支は辛卯
・第10代崇神天皇9年 - 西暦紀元前89年。辰(たつ)年、干支は壬辰
・第10代崇神天皇10年 - 西暦紀元前88年。巳(み)年、干支は癸巳
・第10代崇神天皇11年 - 西暦紀元前87年。午(うま)年、干支は甲午
・第10代崇神天皇12年 - 西暦紀元前86年。未(ひつじ)年、干支は乙未
・第10代崇神天皇13年 - 西暦紀元前85年。申(さる)年、干支は丙申
・第10代崇神天皇14年 - 西暦紀元前84年。酉(とり)年、干支は丁酉
・第10代崇神天皇15年 - 西暦紀元前83年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
・第10代崇神天皇16年 - 西暦紀元前82年。亥(い)年、干支は己亥
・第10代崇神天皇17年 - 西暦紀元前81年。子(ね)年、干支は庚子
・第10代崇神天皇18年 - 西暦紀元前80年。丑(うし)年、干支は辛丑
・第10代崇神天皇19年 - 西暦紀元前79年。寅(とら)年、干支は壬寅
・第10代崇神天皇20年 - 西暦紀元前78年。卯(う)年、干支は癸卯
・第10代崇神天皇21年 - 西暦紀元前77年。辰(たつ)年、干支は甲辰
・第10代崇神天皇22年 - 西暦紀元前76年。巳(み)年、干支は乙巳
・第10代崇神天皇23年 - 西暦紀元前75年。午(うま)年、干支は丙午
・第10代崇神天皇24年 - 西暦紀元前74年。未(ひつじ)年、干支は丁未
・第10代崇神天皇25年 - 西暦紀元前73年。申(さる)年、干支は戊申
・第10代崇神天皇26年 - 西暦紀元前72年。酉(とり)年、干支は己酉
・第10代崇神天皇27年 - 西暦紀元前71年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
・第10代崇神天皇28年 - 西暦紀元前70年。亥(い)年、干支は辛亥
・第10代崇神天皇29年 - 西暦紀元前69年。子(ね)年、干支は壬子
・第10代崇神天皇30年 - 西暦紀元前68年。丑(うし)年、干支は癸丑
・第10代崇神天皇31年 - 西暦紀元前67年。寅(とら)年、干支は甲寅
・第10代崇神天皇32年 - 西暦紀元前66年。卯(う)年、干支は乙卯
・第10代崇神天皇33年 - 西暦紀元前65年。辰(たつ)年、干支は丙辰
・第10代崇神天皇34年 - 西暦紀元前64年。巳(み)年、干支は丁巳
・第10代崇神天皇35年 - 西暦紀元前63年。午(うま)年、干支は戊午
・第10代崇神天皇36年 - 西暦紀元前62年。未(ひつじ)年、干支は己未
・第10代崇神天皇37年 - 西暦紀元前61年。申(さる)年、干支は庚申
・第10代崇神天皇38年 - 西暦紀元前60年。酉(とり)年、干支は辛酉
・第10代崇神天皇39年 - 西暦紀元前59年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
・第10代崇神天皇40年 - 西暦紀元前58年。亥(い)年、干支は癸亥
・第10代崇神天皇41年 - 西暦紀元前57年。子(ね)年、干支は甲子
・第10代崇神天皇42年 - 西暦紀元前56年。丑(うし)年、干支は乙丑
・第10代崇神天皇43年 - 西暦紀元前55年。寅(とら)年、干支は丙寅
・第10代崇神天皇44年 - 西暦紀元前54年。卯(う)年、干支は丁卯
・第10代崇神天皇45年 - 西暦紀元前53年。辰(たつ)年、干支は戊辰
・第10代崇神天皇46年 - 西暦紀元前52年。巳(み)年、干支は己巳
・第10代崇神天皇47年 - 西暦紀元前51年。午(うま)年、干支は庚午
・第10代崇神天皇48年 - 西暦紀元前50年。未(ひつじ)年、干支は辛未
・第10代崇神天皇49年 - 西暦紀元前49年。申(さる)年、干支は壬申
・第10代崇神天皇50年 - 西暦紀元前48年。酉(とり)年、干支は癸酉
・第10代崇神天皇51年 - 西暦紀元前47年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・第10代崇神天皇52年 - 西暦紀元前46年。亥(い)年、干支は乙亥
・第10代崇神天皇53年 - 西暦紀元前45年。子(ね)年、干支は丙子
・第10代崇神天皇54年 - 西暦紀元前44年。丑(うし)年、干支は丁丑
・第10代崇神天皇55年 - 西暦紀元前43年。寅(とら)年、干支は戊寅
・第10代崇神天皇56年 - 西暦紀元前42年。卯(う)年、干支は己卯
・第10代崇神天皇57年 - 西暦紀元前41年。辰(たつ)年、干支は庚辰
・第10代崇神天皇58年 - 西暦紀元前40年。巳(み)年、干支は辛巳
・第10代崇神天皇59年 - 西暦紀元前39年。午(うま)年、干支は壬午
・第10代崇神天皇60年 - 西暦紀元前38年。未(ひつじ)年、干支は癸未
・第10代崇神天皇61年 - 西暦紀元前37年。申(さる)年、干支は甲申
・第10代崇神天皇62年 - 西暦紀元前36年。酉(とり)年、干支は乙酉
・第10代崇神天皇63年 - 西暦紀元前35年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
・第10代崇神天皇64年 - 西暦紀元前34年。亥(い)年、干支は丁亥
・第10代崇神天皇65年 - 西暦紀元前33年。子(ね)年、干支は戊子
・第10代崇神天皇66年 - 西暦紀元前32年。丑(うし)年、干支は己丑
・第10代崇神天皇67年 - 西暦紀元前31年。寅(とら)年、干支は庚寅
・第10代崇神天皇68年 - 西暦紀元前30年。卯(う)年、干支は辛卯
【関連キャラ】
・崇神天皇 - 祟りを祀るの天皇、領土拡張も順調に進展
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