大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)

オオヤマトヒコスギトモ。『古事記』に記載のある男性皇族。

父は第3代安寧天皇、母はその皇后であるアクトヒメ

第4代天皇(天皇家の系譜)。 

兄にトコツネヒコイノネ、弟にシキツヒコノミコトがいる。

皇后は師木県主(しきのあがたぬし)の祖であるフトマカワヒメ、またの名をイヒヒメ。第5代孝昭天皇と、タギシヒコノミコトの二子をもうける。

皇居は軽之境岡宮。伝承地は奈良県橿原市白橿町。

45歳で崩御。御陵は畝火山の真名子(うねびやまのまなご)谷の上。宮内庁によりマナゴ山古墳(奈良県・橿原市)が「畝傍山南繊沙渓上陵」として治定されている。

実在を疑ういわゆる欠史八代の説がある。

古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇

【主な登場場面】
実子に後妻寝取られ反逆される故・神武天皇 直系が奮起して乱を平定

【懿徳天皇を祀る神社】
櫟原北代比古神社 - 鳳至比古神が悪鳥を矢で退治した八幡とも、社叢は市の天然記念物

【年】
第4代懿徳天皇元年 - 西暦紀元前510年。卯(う)年、干支は辛卯
第4代懿徳天皇2年 - 西暦紀元前509年。辰(たつ)年、干支は壬辰
第4代懿徳天皇3年 - 西暦紀元前508年。巳(み)年、干支は癸巳
第4代懿徳天皇4年 - 西暦紀元前507年。午(うま)年、干支は甲午
第4代懿徳天皇5年 - 西暦紀元前506年。未(ひつじ)年、干支は乙未
第4代懿徳天皇6年 - 西暦紀元前505年。申(さる)年、干支は丙申
第4代懿徳天皇7年 - 西暦紀元前504年。酉(とり)年、干支は丁酉
第4代懿徳天皇8年 - 西暦紀元前503年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
第4代懿徳天皇9年 - 西暦紀元前502年。亥(い)年、干支は己亥
第4代懿徳天皇10年 - 西暦紀元前501年。子(ね)年、干支は庚子
第4代懿徳天皇11年 - 西暦紀元前500年。丑(うし)年、干支は辛丑
第4代懿徳天皇12年 - 西暦紀元前499年。寅(とら)年、干支は壬寅
第4代懿徳天皇13年 - 西暦紀元前498年。卯(う)年、干支は癸卯
第4代懿徳天皇14年 - 西暦紀元前497年。辰(たつ)年、干支は甲辰
第4代懿徳天皇15年 - 西暦紀元前496年。巳(み)年、干支は乙巳
第4代懿徳天皇16年 - 西暦紀元前495年。午(うま)年、干支は丙午
第4代懿徳天皇17年 - 西暦紀元前494年。未(ひつじ)年、干支は丁未
第4代懿徳天皇18年 - 西暦紀元前493年。申(さる)年、干支は戊申
第4代懿徳天皇19年 - 西暦紀元前492年。酉(とり)年、干支は己酉
第4代懿徳天皇20年 - 西暦紀元前491年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
第4代懿徳天皇21年 - 西暦紀元前490年。亥(い)年、干支は辛亥
第4代懿徳天皇22年 - 西暦紀元前489年。子(ね)年、干支は壬子
第4代懿徳天皇23年 - 西暦紀元前488年。丑(うし)年、干支は癸丑
第4代懿徳天皇24年 - 西暦紀元前487年。寅(とら)年、干支は甲寅
第4代懿徳天皇25年 - 西暦紀元前486年。卯(う)年、干支は乙卯
第4代懿徳天皇26年 - 西暦紀元前485年。辰(たつ)年、干支は丙辰
第4代懿徳天皇27年 - 西暦紀元前484年。巳(み)年、干支は丁巳
第4代懿徳天皇28年 - 西暦紀元前483年。午(うま)年、干支は戊午
第4代懿徳天皇29年 - 西暦紀元前482年。未(ひつじ)年、干支は己未
第4代懿徳天皇30年 - 西暦紀元前481年。申(さる)年、干支は庚申
第4代懿徳天皇31年 - 西暦紀元前480年。酉(とり)年、干支は辛酉
第4代懿徳天皇32年 - 西暦紀元前479年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
第4代懿徳天皇33年 - 西暦紀元前478年。亥(い)年、干支は癸亥
第4代懿徳天皇34年 - 西暦紀元前477年。子(ね)年、干支は甲子
第4代懿徳天皇35年 - 西暦紀元前476年。丑(うし)年、干支は乙丑
第4代懿徳天皇