神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)

カムヌナカワミミ。『古事記』に記載のある男性皇族。

父は初代神武天皇、母は皇后イスケヨリ。三兄弟の末子。兄にヒコヤイカムヤイミミがいる。

神武天皇の崩御の後、神武天皇と、神武天皇が日向にいたころの妻であるアヒラヒメの間の子、タギシミミがイスケヨリと再婚。タギシミミが、神武天皇とイスケヨリの子らを殺害しよう(タギシミミの反逆)とするが、イスケヨリが実子らのピンチを知って、歌を歌って子らに伝える。

その歌で危機を知り、兄のカムヤイミミとともに(もう一人の兄であるヒコヤイは出てこない)、先手を打ってタギシミミを攻めたてる。

カムヤイミミに「武器を持って押し入って、タギシミミを殺害しなさい」と促すが、カムヤイミミは実際に武器を持って殺そうとした時、手足が震えて殺すことができなかった。そこで、自分が兄の手から武器を取り上げて、タギシミミを殺した。

その後、カムヤイミミは「私は仇を殺すことができなかった。オマエが殺害した。だから、兄ではあるが、国は治められない。オマエが天皇になって、天下を治めよ。私はオマエを助けて神を祀る仕事をしよう」と言い、カムヌナカワミミが即位する。

第2代天皇(天皇家の系譜)。 

皇居は葛城の高岡宮。伝承地は奈良県御所市森脇。

皇后は、師木県主(しきのあがたぬし)の祖先にあたる家系の出身であるカワマタビメ。子は師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと=安寧天皇)ひとりをもうける。

45歳で崩御。御陵は衝田岡(つきだのおか)にあるとされる。宮内庁により四条塚山古墳(奈良県・橿原市)が「桃花鳥田丘上陵」として治定されている。

『古事記』に登場してくる、オオクニヌシが越の国まで求愛しに行った美女神ヌナカワと名前を共有している点について、諸説ある。また、その意味では、第8代孝元天皇の皇子オオビコの子であるタケヌナカワワケも名前を継承していることになる。

実在を疑ういわゆる欠史八代の説がある。

古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇

【主な登場場面】
実子に後妻寝取られ反逆される故・神武天皇 直系が奮起して乱を平定

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【綏靖天皇を祀る神社】
多坐弥志理都比古神社 - 古事記発祥の地とも言うべき、神武皇子カムヤイミミを祀る
阿蘇神社 - 初代神武天皇の孫とそのファミリーによる構成、当地一大勢力・阿蘇氏
健軍神社 - 火国造ゆかりとも伝わる熊本市最古の社、阿蘇神社の別宮、八丁馬場の参道
神部神社(山梨市) - 景行朝に勧請、成務朝に2柱合祀、神日吉・神奈川・加美郷
宮地神社(七所宮) - 奈良期に阿蘇神社を勧請、頼朝が合祀して7柱を奉斎、清正らが修築

宇奈岐日女神社 - 湯布院町、蹴裂伝説や「速津媛」の伝承、境外末社に樹齢1000年の大杉
皇宮神社 - 東遷前の神武天皇の皇居跡「皇宮屋」、宮崎神宮の摂社、社殿は伊勢の古材
刈田嶺神社(蔵王町遠刈田温泉) - 蔵王権現、安倍氏・奥州藤原氏・伊達氏などの崇敬
阿蘇神社(羽村市) - 将門・秀郷が社殿を造営、家康が参詣、シイの巨樹、宮司家主屋
耳常神社(四日市市) - 船木氏や西脇氏が奉斎の下之宮、上之宮の耳利神社を合祀

【年】
第2代綏靖天皇元年 - 西暦紀元前581年。辰(たつ)年、干支は庚辰
第2代綏靖天皇2年 - 西暦紀元前580年。巳(み)年、干支は辛巳
第2代綏靖天皇3年 - 西暦紀元前579年。午(うま)年、干支は壬午
第2代綏靖天皇4年 - 西暦紀元前578年。未(ひつじ)年、干支は癸未
第2代綏靖天皇5年 - 西暦紀元前577年。申(さる)年、干支は甲申
第2代綏靖天皇6年 - 西暦紀元前576年。酉(とり)年、干支は乙酉
第2代綏靖天皇7年 - 西暦紀元前575年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
第2代綏靖天皇8年 - 西暦紀元前574年。亥(い)年、干支は丁亥
第2代綏靖天皇9年 - 西暦紀元前573年。子(ね)年、干支は戊子
第2代綏靖天皇10年 - 西暦紀元前572年。丑(うし)年、干支は己丑
第2代綏靖天皇11年 - 西暦紀元前571年。寅(とら)年、干支は庚寅
第2代綏靖天皇12年 - 西暦紀元前570年。卯(う)年、干支は辛卯
第2代綏靖天皇13年 - 西暦紀元前569年。辰(たつ)年、干支は壬辰
第2代綏靖天皇14年 - 西暦紀元前568年。巳(み)年、干支は癸巳
第2代綏靖天皇15年 - 西暦紀元前567年。午(うま)年、干支は甲午
第2代綏靖天皇16年 - 西暦紀元前566年。未(ひつじ)年、干支は乙未
第2代綏靖天皇17年 - 西暦紀元前565年。申(さる)年、干支は丙申
第2代綏靖天皇18年 - 西暦紀元前564年。酉(とり)年、干支は丁酉
第2代綏靖天皇19年 - 西暦紀元前563年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
第2代綏靖天皇20年 - 西暦紀元前562年。亥(い)年、干支は己亥
第2代綏靖天皇21年 - 西暦紀元前561年。子(ね)年、干支は庚子
第2代綏靖天皇22年 - 西暦紀元前560年。丑(うし)年、干支は辛丑
第2代綏靖天皇23年 - 西暦紀元前559年。寅(とら)年、干支は壬寅
第2代綏靖天皇24年 - 西暦紀元前558年。卯(う)年、干支は癸卯
第2代綏靖天皇25年 - 西暦紀元前557年。辰(たつ)年、干支は甲辰
第2代綏靖天皇26年 - 西暦紀元前556年。巳(み)年、干支は乙巳
第2代綏靖天皇27年 - 西暦紀元前555年。午(うま)年、干支は丙午
第2代綏靖天皇28年 - 西暦紀元前554年。未(ひつじ)年、干支は丁未
第2代綏靖天皇29年 - 西暦紀元前553年。申(さる)年、干支は戊申
第2代綏靖天皇30年 - 西暦紀元前552年。酉(とり)年、干支は己酉
第2代綏靖天皇31年 - 西暦紀元前551年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
第2代綏靖天皇32年 - 西暦紀元前550年。亥(い)年、干支は辛亥
第2代綏靖天皇33年 - 西暦紀元前549年。子(ね)年、干支は壬子

【関連キャラ】
綏靖天皇 - 母を強奪した仇を躊躇なく殺っちゃう天皇
第2代綏靖天皇