武人であるわが君が~
腰に着けている剣の柄には
赤い色で絵が描かれている~
その紐は赤い布で織ってあり~
赤い幡を立てて遠くを見、
隠れている山の峰の、
竹の根元を切り、
末をなびかすように~
また多くの弦のある琴を鳴らすように~
天下をお納めになった履中天皇、
その皇子の市辺押歯王~
その子どもなんだぞ、オレたちは~

歌い手:顕宗天皇
出 典:皇統断絶の危機 播磨国に逃れていた“あの二人の御子”が発見された経緯とは
章立て:19.清寧天皇

雄略天皇と一緒に狩りに行ったが、些細なことで雄略天皇に因縁吹っ掛けられ、有無も言わさず殺された、雄略天皇のいとこにあたる市辺押歯王(いちのべおしはのみこ)。

その御子である意祁王(おおけのみこ=兄)と袁祁王(をけのみこ=弟)の兄妹は、暴君・雄略から逃れるべく、逃げに逃げ延び、ついには播磨(現 兵庫県)に来て、身分を隠して、ある人のところの家に入り、馬飼い、牛飼いとして使われることになります。

その兄弟が都に戻るきっかけとなった歌がこの歌。

世話になっていた家の新築祝いに、山部連小楯(やまべのむらじおだて)という播磨の地方長官がやって来て、余興とばかりに下働き風の兄弟ふたりに歌って踊らせたところ、弟・袁祁王の方が躍った時に歌った歌です。

これに驚いた山部連小楯はすぐに都と連絡を取り合い、雄略天皇が亡くなって、その子である清寧天皇も子がないまま崩じたために無主状態だった都も大喜び、すぐに二人を呼び戻しました。

皇位を決める際、兄・意祁王は、「この歌を歌ったのはオマエ、オマエが天皇になるのが筋」と弟・袁祁王にゆずりました。

これが顕宗天皇です。

【一言切り取り】
顕宗天皇「オレのじいちゃん、履中天皇~」

※下記は、現代語譯 古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳による現代語訳。上のぶっちゃけ訳とも見比べてください。

武士であるわが君の
お佩きになつている大刀の柄に、
赤い模樣を畫き、
その大刀の緒には赤い織物を裁つて附け、
立つて見やれば、向うに隱れる山の尾の上の竹を刈り取つて、
その竹の末を押し靡かせるように、
八絃の琴を調べたように、
天下をお治めなされたイザホワケの天皇の皇子の
イチノベノオシハの王の御子です。
わたくしは。

【関連キャラ】
顕宗天皇 - 父の復讐に燃え、雄略陵破壊を目論む激情家

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