纒向(まきむく)の日代(ひしろ)の宮は
朝日の照り渡る宮、夕日の光のさす宮、
竹の根の満ちている宮、
木の根の広がっている宮だよ~
多くの土を築き、固めた宮で、
立派な材木である檜の御殿~
新酒を召し上がる
その御殿に生い立っている~
一杯に茂ったケヤキの木の枝は、
上の枝は天を背負い、
中の枝は東国を背負い、
下の枝は田舎を背負う~
その上の枝の枝先の葉は、
中の枝に落ちて触れ合い、
中の枝の枝先の葉は、
下の枝に落ちて触れ合い、
下の枝の枝先の葉は、
衣服を三重に着る、
その三重から来た子の捧げている盃に
浮いた油のように落ちつかって、
水音もころころと、
誠に畏れ多い~
貴い日の御子様~

歌い手:三重の采女
出 典:盃に葉っぱが入ってしまったので、その盃を献上した女を殺そうとする雄略天皇
章立て:18.雄略天皇

雄略天皇が長谷の大きなケヤキの下で宴会している時、伊勢国(現 三重県)から来た采女(うねめ)が天皇に盃を捧げようと近寄りました。その時ケヤキの葉が落ちて、盃に浮かびました。それを知らずに采女は盃を天皇に捧げます。

雄略天皇は盃に葉が浮かんでいるのを見て、問答無用で抜刀、采女をソッコー斬り殺そうと思いましたが、采女は「待ってくださいまし~、歌わせて~」と言って歌った歌がこの歌です。

結果から言えば、この歌を歌ったことで、三重の采女は命を助けられるどころか、感心した雄略天皇から報奨まで下賜されます。

ただ、この歌、内容はさておいてもいろいろな意味で不思議です。まず、この話は雄略天皇が新しい妃として袁杼比賣(をどひめ=ヲドヒメ)をゲットしたと思われる(ゲット直前の歌を歌った)後に、唐突に出てくるものです。

また、これだけ長い歌を歌い、象徴的に登場してきた三重の采女とはいったい何者なのでしょうか?

ただ、ヲドヒメと采女とは浅からぬ関係があるので、その因果関係を説明する話が挿入されたのかもしれません。ただし、古事記にはそうした説明は一切ありません。

ともかく、雄略天皇の短気さを示すとともに、雄略天皇が歌に感心することで考えを改める度量があったことも、今までの古事記の雄略天皇に対する描写から考えれば異例なこととも言えます。

この酒宴では、雄略天皇、若日下王(わかくさかのみこ=ワカクサカ)、ヲドヒメも歌を歌い、つまり夫と正妻、愛人オールキャストの楽しい宴となりますが、その始まりとなるエピソード、それがこの歌に凝縮されています。

これら、三重の采女、ワカクサカ、雄略天皇の三首の歌は天語り歌とされています。

天皇の宮殿のイメージとして、纏向の日代の宮が出てきますが、これは第十二代景行天皇の皇居。すでに雄略天皇の時代は使われていなかったことが考えられますが、それでも強いイメージを残す天皇の住まいだったことが分かります。現在の纒向遺跡(奈良県・桜井市)のことだと言われています。

【一言切り取り】
雄略天皇「……死ねやっ」

※下記は、現代語譯 古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳による現代語訳。上のぶっちゃけ訳とも見比べてください。

纏向の日代の宮は
朝日の照り渡る宮、
夕日の光のさす宮、
竹の根のみちている宮、
木の根の廣がつている宮です。
多くの土を築き堅めた宮で、
りつぱな材木の檜の御殿です。
その新酒をおあがりになる御殿に生い立つている
一杯に繁つた槻の樹の枝は、
上の枝は天を背おつています。
中の枝は東國を背おつています。
下の枝は田舍を背おつています。
その上の枝の枝先の葉は
中の枝に落ちて觸れ合い、
中の枝の枝先の葉は
下の枝に落ちて觸れ合い、
下の枝の枝先の葉は、
衣服を三重に著る、その三重から來た子の
捧げているりつぱな酒盃に
浮いた脂のように落ち漬つて、
水音もころころと、
これは誠に恐れ多いことでございます。
尊い日の御子樣。

【古事記の傾向と対策】古事記に収録されている歌113首の索引、リンク集

【関連キャラ】
雄略天皇 - 古事記後半の主役は、傍若無人な暴君

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