日数を重ねて、
夜は九夜、昼は十日の日をお重ねになりました~
夜は九夜、昼は十日の日をお重ねになりました~
歌い手:老人
出 典:ヤマトタケル、妻の一人を泣く泣く犠牲に「ああ、わが妻よ」⇒あずま=関東
章立て:11.ヤマトタケル
東国遠征の終盤、甲斐国(現 山梨県)まで戻って来た倭建命(やまとたけるのみこと=ヤマトタケル)が歌った歌に対して、その場にいたかがり火をたいていた老人が返した歌。
ヤマトタケルはこの老人を褒め、東国の国造(あずまのくにのみやつこ)に任命します。自分が命名した吾妻の国の長官にしたんですから、老人の返しがよほどうれしかったことがうかがえます。
歌そのものは、大した内容があるとは思えません。おそらく、事実関係をそのまま歌った可能性もあります。しかし、通説ではヤマトタケルの東国遠征は蝦夷との交戦も含まれるとのことなので、そうすると、日数としては合わない、もっとかかっているはずだ、ということになります。
だからこの場合の九夜十日は、そのままの数ではなく、だいぶ長い間、程度の意味かもしれません。
相模の国造の罠による火攻め、愛妻・弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと=オトタチバナ)の犠牲を乗り越えたヤマトタケルの東国遠征の大変さを、老人がヤマトタケルに代わってささやいたもの、その機転にヤマトタケルは喜んだ、と理解するのが良いのでしょうか。
※下記は、現代語譯 古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳による現代語訳。上のぶっちゃけ訳とも見比べてください。
日數重ねて、夜は九夜で日は十日でございます。
・【古事記の傾向と対策】古事記に収録されている歌113首の索引、リンク集
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・ヤマトタケル - はっちゃけ皇子の英雄譚、最期は?
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