古事記を彩る姫たちエントリーNO.19 石之日売命(いわのひめのみこと=イワノ)
仁徳天皇の皇后。磐之媛命とも。父は葛城氏の祖・葛城襲津彦、祖父は応神、仁徳など歴代天皇の側近・建内宿禰大臣(たけうちのすくねのおおおみ=建内宿禰)。
1.大変な焼き餅焼き、嫉妬深さで有名
2.仁徳が浮気したため、家出する
3.臣下の不正について、仁徳を経ずに死刑を決裁
など、大変特徴の多い姫です。
まずは嫉妬深さ。これは黒日売(くろひめ=クロ)の説話によく表れています。仁徳天皇お気に入りの妃の一人、クロヒメは、皇后イワノの嫉妬が怖いため暇を取り、故郷に帰ってしまいます。それを嘆いた仁徳天皇の歌を聞き、皇后イワノはさらに激怒、船で帰郷するクロヒメを差し止め、徒歩での帰郷を命じました。
次いで、嫉妬深さが高じて、仁徳天皇の浮気に激怒したイワノの家出。イワノが旅行に出て、仁徳は鬼の居ぬ間に、と、八田若郎女(やたのわきいらつめ=ヤタノ)と浮気。これを聞きつけたイワノが「小癪なまね、すっなっ!」とばかりに家出。仁徳、困り果てて使者を派遣したり、歌を届けて機嫌をうかがったりします。
そして、政治力。仁徳天皇が求愛した異母妹・女鳥王(めどりのみこ=メドリ)が仁徳天皇を振り、両者の異母兄弟である速総別王(はやぶさわけのみこ=ハヤブサ)と結婚、一緒に仁徳天皇に反旗を翻しますが、この反乱は失敗、ハヤブサ・メドリの夫婦は討死します。この討伐軍を率いていた将軍が、メドリの死骸から腕飾りを奪い、それを妻に与えたのを知ったイワノは、この将軍を死刑にします。
以上のような流れについて、詳細は本文(クロヒメへの仕打ち | 家出するイワノ | 仁徳天皇のお出迎え | ハヤブサ・メドリの反乱)をご確認いただくとして、ここではそれらを補足するものを記しておきたいと思います。
まず、イワノの家出について。仁徳天皇の浮気相手であるヤタノは、イワノの死後、仁徳天皇の次の皇后になります。このあたり、日本書紀で詳細が記されていますが、イワノは家出先ともなった山城国(現 京都府)の筒木で亡くなります。
イワノの死とヤタノの立后について、古事記では記載はありませんが、仁徳天皇が家出先まで出迎えて、イワノの機嫌を取る一方、その後すぐにヤタノに愛の歌を送っているあたりで、皇后の交代を暗示させたとも言えそうです。でなければ、仁徳天皇がよほど節操がない、という風にしか、古事記は読めなくなりますので。。
反乱討伐軍の将軍の死刑について、反逆した者とはいえ、死者から腕飾りを奪うという不正に対して厳然とした処置ではあります。腕飾りを送られた将軍の妻を遠ざけ、その後すぐに将軍を呼び出して死刑にしていますが、普通に考えれば将軍への処罰は天皇に属する領分、皇后としてはやりすぎではないかと思われます。
そもそも仁徳天皇がメドリに求愛したこと自体、それを知った時激怒したイワノの顔が目に浮かびます。そのメドリが、実の姉であるヤタノがイワノによって遠ざけられて仁徳天皇に可愛がってもらえていないということを理由に、仁徳天皇を振るわけですから、イワノにとっては二重に侮辱された、と考えたかもしれません。怒り沸騰だったことでしょう。
祖父が仁徳天皇までに数代の天皇に仕え(そのため複数人説あり)、仁徳にも超絶に信頼されていた建内宿禰、父は当時大変な権勢があったと思われる葛城氏の祖。家出の際も、自分が葛城の出身であることを強く訴える歌を残しています。このサラブレット姫が我が強く、個性的で、そのために非常に強気な女性になったという可能性はあります。
仁徳天皇は古事記の中で描かれている男性登場神人物の中でも一二を争う女好き。匹敵するのは神代の時代までさかのぼって、大国主命(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシ)ぐらいでしょうか。
偶然かもしれませんが、そのオオクニヌシの正妻・須勢理毘売命(すせりびめ=スセリ)も嫉妬深い性格で有名。ただ、こちらはオオクニヌシの奔放さ、スセリの我慢強さが目立つのですが、仁徳―イワノは恐妻家―カカア天下の典型ではありますが。
一夫多妻が常識の時代、そんな女好き男のカミさんが、ここまで嫉妬深く、強気な性格の女性だと、男が可愛そうになってきますが、そんなイワノ、激しい気性一点張りではない可能性があります。古事記にはありませんが、万葉集に収録されているイワノの歌に、
ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに
というものがあります。「豊かな私の黒髪が白くなるまであなた(仁徳天皇)を待ちましょう」というもの。
あまりにもしおらしい歌に、別人の歌ではないか、という指摘もありますが、古事記にもイワノ本人の歌として、仁徳天皇の浮気を知った時、一番怒っている時のはずの歌が、実はそれほどの激しさがない歌だったり。
古事記などに描かれている激情は単にイワノの一面であって、激しい嫉妬は仁徳天皇への徹底した愛情の裏返しかもしれません。
そうなると、日本史上初のツンデレ姫、とも言えるかもしれません。
さて、ツンデレとしても、古事記に見える言動をもとに考えれば、日本古代史上有数の女傑であるイワノ。彼女のお墓はヒシアゲ古墳(奈良県奈良市佐紀町)とされています。陵名は平城坂上陵(ならのさかのうえのみささぎ)。佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)に属する、200メートルを超える巨大な陵墓です。
時代によっては前後がありますが、天皇陵と言ってもおかしくないほどの規模。一皇后の陵墓としては異例と呼べるほどの大きさかもしれません。
激情のツンデレ姫なだけに、丁重にお祀りする必要があったのかもしれません。
※画像は、イワノの陵墓とされる、ヒシアゲ古墳の拝所(出典:Wikipedia)
【関連記事】
・皇后の嫉妬におびえて田舎に帰ってしまった愛人を追いかけていく仁徳天皇
・鬼の居ぬ間に何とやら 仁徳天皇、嫉妬深い皇后が旅行中に浮気三昧の日々
・皇后に浮気ばれて家出された仁徳天皇 嫁を追いかけるも、でも愛人も大事!
・ヨメ恐がりすぎて女に愛想つかれる仁徳天皇 それが反乱の引き金になろうとは…
・ほとばしる美しさで、男どもをメロメロにする女子たち - 古事記を彩る姫たち
・日本が世界に誇る、古代ラブロマンス・オペラへようこそ - ぶっちゃけ古事記本文の目次
【関連キャラ】
・イワノ - 古代日本最強の姫は、史上初のツンデレ?
・仁徳天皇 - 古事記中盤の主役はやはり女好きの御仁
・クロヒメ - 皇后が怖くて実家に帰った仁徳天皇の妃
・ヤタノ - 女好き仁徳天皇を待ち続ける温厚な姫
・メドリ - 仁徳天皇を振った女、反逆して誅される
・建内宿禰 - 応神の本当の父? 波乱呼ぶ伝説的人物
仁徳天皇の皇后。磐之媛命とも。父は葛城氏の祖・葛城襲津彦、祖父は応神、仁徳など歴代天皇の側近・建内宿禰大臣(たけうちのすくねのおおおみ=建内宿禰)。
1.大変な焼き餅焼き、嫉妬深さで有名
2.仁徳が浮気したため、家出する
3.臣下の不正について、仁徳を経ずに死刑を決裁
など、大変特徴の多い姫です。
まずは嫉妬深さ。これは黒日売(くろひめ=クロ)の説話によく表れています。仁徳天皇お気に入りの妃の一人、クロヒメは、皇后イワノの嫉妬が怖いため暇を取り、故郷に帰ってしまいます。それを嘆いた仁徳天皇の歌を聞き、皇后イワノはさらに激怒、船で帰郷するクロヒメを差し止め、徒歩での帰郷を命じました。
次いで、嫉妬深さが高じて、仁徳天皇の浮気に激怒したイワノの家出。イワノが旅行に出て、仁徳は鬼の居ぬ間に、と、八田若郎女(やたのわきいらつめ=ヤタノ)と浮気。これを聞きつけたイワノが「小癪なまね、すっなっ!」とばかりに家出。仁徳、困り果てて使者を派遣したり、歌を届けて機嫌をうかがったりします。
そして、政治力。仁徳天皇が求愛した異母妹・女鳥王(めどりのみこ=メドリ)が仁徳天皇を振り、両者の異母兄弟である速総別王(はやぶさわけのみこ=ハヤブサ)と結婚、一緒に仁徳天皇に反旗を翻しますが、この反乱は失敗、ハヤブサ・メドリの夫婦は討死します。この討伐軍を率いていた将軍が、メドリの死骸から腕飾りを奪い、それを妻に与えたのを知ったイワノは、この将軍を死刑にします。
以上のような流れについて、詳細は本文(クロヒメへの仕打ち | 家出するイワノ | 仁徳天皇のお出迎え | ハヤブサ・メドリの反乱)をご確認いただくとして、ここではそれらを補足するものを記しておきたいと思います。
まず、イワノの家出について。仁徳天皇の浮気相手であるヤタノは、イワノの死後、仁徳天皇の次の皇后になります。このあたり、日本書紀で詳細が記されていますが、イワノは家出先ともなった山城国(現 京都府)の筒木で亡くなります。
イワノの死とヤタノの立后について、古事記では記載はありませんが、仁徳天皇が家出先まで出迎えて、イワノの機嫌を取る一方、その後すぐにヤタノに愛の歌を送っているあたりで、皇后の交代を暗示させたとも言えそうです。でなければ、仁徳天皇がよほど節操がない、という風にしか、古事記は読めなくなりますので。。
反乱討伐軍の将軍の死刑について、反逆した者とはいえ、死者から腕飾りを奪うという不正に対して厳然とした処置ではあります。腕飾りを送られた将軍の妻を遠ざけ、その後すぐに将軍を呼び出して死刑にしていますが、普通に考えれば将軍への処罰は天皇に属する領分、皇后としてはやりすぎではないかと思われます。
そもそも仁徳天皇がメドリに求愛したこと自体、それを知った時激怒したイワノの顔が目に浮かびます。そのメドリが、実の姉であるヤタノがイワノによって遠ざけられて仁徳天皇に可愛がってもらえていないということを理由に、仁徳天皇を振るわけですから、イワノにとっては二重に侮辱された、と考えたかもしれません。怒り沸騰だったことでしょう。
祖父が仁徳天皇までに数代の天皇に仕え(そのため複数人説あり)、仁徳にも超絶に信頼されていた建内宿禰、父は当時大変な権勢があったと思われる葛城氏の祖。家出の際も、自分が葛城の出身であることを強く訴える歌を残しています。このサラブレット姫が我が強く、個性的で、そのために非常に強気な女性になったという可能性はあります。
仁徳天皇は古事記の中で描かれている男性登場神人物の中でも一二を争う女好き。匹敵するのは神代の時代までさかのぼって、大国主命(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシ)ぐらいでしょうか。
偶然かもしれませんが、そのオオクニヌシの正妻・須勢理毘売命(すせりびめ=スセリ)も嫉妬深い性格で有名。ただ、こちらはオオクニヌシの奔放さ、スセリの我慢強さが目立つのですが、仁徳―イワノは恐妻家―カカア天下の典型ではありますが。
一夫多妻が常識の時代、そんな女好き男のカミさんが、ここまで嫉妬深く、強気な性格の女性だと、男が可愛そうになってきますが、そんなイワノ、激しい気性一点張りではない可能性があります。古事記にはありませんが、万葉集に収録されているイワノの歌に、
ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに
というものがあります。「豊かな私の黒髪が白くなるまであなた(仁徳天皇)を待ちましょう」というもの。
あまりにもしおらしい歌に、別人の歌ではないか、という指摘もありますが、古事記にもイワノ本人の歌として、仁徳天皇の浮気を知った時、一番怒っている時のはずの歌が、実はそれほどの激しさがない歌だったり。
古事記などに描かれている激情は単にイワノの一面であって、激しい嫉妬は仁徳天皇への徹底した愛情の裏返しかもしれません。
そうなると、日本史上初のツンデレ姫、とも言えるかもしれません。
さて、ツンデレとしても、古事記に見える言動をもとに考えれば、日本古代史上有数の女傑であるイワノ。彼女のお墓はヒシアゲ古墳(奈良県奈良市佐紀町)とされています。陵名は平城坂上陵(ならのさかのうえのみささぎ)。佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)に属する、200メートルを超える巨大な陵墓です。
時代によっては前後がありますが、天皇陵と言ってもおかしくないほどの規模。一皇后の陵墓としては異例と呼べるほどの大きさかもしれません。
激情のツンデレ姫なだけに、丁重にお祀りする必要があったのかもしれません。
※画像は、イワノの陵墓とされる、ヒシアゲ古墳の拝所(出典:Wikipedia)
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・日本が世界に誇る、古代ラブロマンス・オペラへようこそ - ぶっちゃけ古事記本文の目次
【関連キャラ】
・イワノ - 古代日本最強の姫は、史上初のツンデレ?
・仁徳天皇 - 古事記中盤の主役はやはり女好きの御仁
・クロヒメ - 皇后が怖くて実家に帰った仁徳天皇の妃
・ヤタノ - 女好き仁徳天皇を待ち続ける温厚な姫
・メドリ - 仁徳天皇を振った女、反逆して誅される
・建内宿禰 - 応神の本当の父? 波乱呼ぶ伝説的人物
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