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古事記を彩る姫たちエントリーNO.13 弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと=オトタチバナ)

英雄・倭建命(やまとたけるのみこと=ヤマトタケル)の妻の一人。日本書紀では弟橘媛。

ヤマトタケルの大事業の一つ、東国遠征に同行し、一緒に危難を乗り切り、そこで受けたヤマトタケルからの愛に恩を返すように、どうしても渡海できなかった海に一人立ち向かい、見事散りながら、夫ヤマトタケルの進路を切り開いた賢妻。

古事記での登場は一回ですが、そこに収録されているオトタチバナの歌から、その直前に遭った、相模の国造にヤマトタケルが騙し討ちされる一幕で、ヤマトタケルと行動を共にしていたことが分かります。

弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと=オトタチバナ)縦500px何だかんだあって、東国遠征に出かけたヤマトタケル。途中伊勢では、叔母の倭比売命(やまとひめのみこと=ヤマトヒメ)に会い、東国遠征の門出に草薙の剣とフシギ袋を貰い受け、また尾張に立ち寄って、そこの姫・美夜受比売(みやずひめ=ミヤズヒメ)と結婚の約束を取り交わします(合体は東国遠征のためオアズケ)。

そして出発、相模まで来た時、当地の国造に、神を退治してほしいと懇願され、ヤマトタケル一行、死地に赴きます。一行が野原に分け入った時、相模の国造は火を放ち、一行を火攻めにします。危うしヤマトタケル!

そこで役に立ったのが、ヤマトヒメからもらったフシギ袋。袋を開けてみると、鎮火~。さらに草薙の剣で草を薙ぎ払い(だから草薙の剣、という命名譚)、相模の国造に対して、きっちりお仕置き(惨殺)。

その後、さらに東に進み、海を渡ろうとした時、海の神が暴れていて、波がひどく、船を出してもすぐに戻されてしまい、渡海できなかった、という場面で、オトタチバナの登場です。

「私が海に入って、海を鎮めましょう」

そして、ヤマトタケルに向けて歌います

相模の炎の中で私への愛を叫んでくれて、ありがと~

オトタチバナが海に分け入っていくと、海は平静を取り戻し、渡れるようになりました。それから七日後、オトタチバナが刺していた櫛が浜辺に漂着し、そこに墓を作り、丁重に祀ったと言います。

今では橘樹神社(千葉県茂原市)、あるいは橘樹神社(神奈川県川崎市)になっていると言います。双方の神社に、オトタチバナのお墓が伝わっています。

妻の犠牲を乗り越え、ヤマトタケルは東国平定を続けます。様々な神と戦い、これを鎮圧。それに一段落した足柄の坂の上に立ち、ヤマトタケルは「ああ、わが妻よ」と初めて感情を露わにして、妻を偲びます。

そのため、この地方を「あづま」=あずま=東国、つまり今の関東のことを指すようになりました。

この愛のやり取り(オトタチバナが夫を思う歌と、ヤマトタケルが妻を偲んだ叫び)も古事記の中の名場面の一つ。ヤマトタケルの妻と言えば、初夜がたまたま生理だったけど結ばれたミヤズヒメの方が有名かもしれませんが、オトタチバナとの愛もヤマトタケルがいかに重視していたかを物語るものと考えられます。

さて、この後、ヤマトタケルは尾張に戻り、美夜受比売(みやずひめ=ミヤズ)と“あの日”の初夜、合体することになりますが、オトタチバナの物語は、古事記ではここまで。

800px-Tatibana_jinja_mobara_haiden印象的な説話のためか、あるいはヤマトタケル絡みであることもあって、オトタチバナにまつわる伝説は数多く残されています。

ヤマトタケル一行の渡海が、浦賀水道を上総に向かう際のこととされているため、オトタチバナの伝説や祭神とする神社は千葉県に集中しています。千葉県茂原市の橘樹神社のほか、千葉県を中心に関東一円に吾妻神社(吾嬬神社)が分布していますが、いずれもオトタチバナに関係する神社です。

能褒野神社や走水神社のようにヤマトタケルと合祀されている例も多くなっています。

東京湾沿岸に、袖ケ浦市と習志野市に袖ヶ浦という地名がありますが、これはオトタチバナの着物の袖が流れ着いたという伝説による命名とされています。右と左の袖のうち、片方が袖ケ浦市に、もう一方が習志野市に漂着したようです。

800px-Tatibana_jinja_mobara_haidenまた、名前のタチバナ=橘は、古事記においても垂仁天皇が常世の国に求めさせた例もあり、神聖なものというイメージが古来よりあるため、オトタチバナも神に仕える巫女だったのではないかという指摘もあります。

古事記において、夫のために尽くす妻という例は、大国主命(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシ)正妻の須勢理毘売命(すせりびめ=スセリ)などがいますが、オトタチバナのように自分が犠牲になる、というのはこの一例限り、その意味でも、オトタチバナは日本古代史上最大の賢妻と言えそうです。

※画像は、橘樹神社(千葉県茂原市)と橘樹神社(神奈川県川崎市)(出典:Wikipedia)

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