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古事記を彩る姫たちエントリーNO.10 活玉依媛(いくたまよりひめ=イクタマ)

大物主神(おおものぬしのみこと=オオモノヌシ)の妻の一人。「夜ごと、素敵な男性(=オオモノヌシ)が寝所にやって来て、添い寝してたら~、自然にデキちゃった テヘッ」という天然娘。

古事記では、オオモノヌシと三輪山のつながりを示唆する説話の中の姫として登場します。

活玉依媛(いくたまよりひめ=イクタマ)縦500px名前も知らない男が突然寝所に来て、イケメンだったから添い寝してみた、という感じでしょうか。オオモノヌシの方も、イクタマの美しさの噂を聞いて、ゲットしに来たわけで、まあ、めでたく相思相愛ではあります。

添い寝だけにとどまるわけもなく、チョメチョメすれば懐妊するもので、びっくりしたのはイクタマの両親。結婚もしていないのに、なぜ子供ができるのか娘イクタマに問いただした時のイクタマのセリフが冒頭のものです。

そこで、男性の正体を知るべく、両親はイクタマにも手伝わせ、イクタマの寝所にいろいろと仕掛けを施します。簡単に言えば、男に麻糸をくっつけろ、ということ。

翌朝、糸は寝所の戸の鍵穴から抜け出て、糸をたどると三輪山の社まで来ており、糸巻には糸が三回りだけ残っていたために、「三輪」と名付けられたと言います。

この社は、恐らく、大国主命(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシ)の国造りで登場するオオモノヌシが、「自分を祀れ~」といったもの、つまり今の大神神社(おおみわじんじゃ 奈良県桜井市)だと思われます。

当時の寝所の戸に鍵穴がついている、というのも意外かもしれません。どのような住環境だったのか、想像が膨らみます。

大物主神(おおものぬしのみこと=オオモノヌシ)縦480pxともかく、このオオモノヌシとイクタマの間の子の系譜から、崇神天皇の頃、意富多多泥古(おおたたねこ=オオタタネコ)が出て、当時オオモノヌシの祟りが荒れ狂っていた時に、崇神天皇の夢枕に立ったオオモノヌシが「オオタタネコを探し出して、我を祀れ」と言って、崇神天皇が何とかオオタタネコを探し出し、三輪山(つまり、やはり今の大神神社)を祀り直した、というエピソードになります。

さて、イクタマですが、通説によれば、固有名詞ではないようです。玉依姫(タマヨリビメ、タマヨリヒメ)という神話などで複数登場する女性名から派生した一形態らしいのです。

玉依姫(たまよりびめ=タマヨリ)縦480pxタマヨリと言えば、初代神武天皇のお祖母ちゃんである豊玉比売(とよたまひめ=トヨタマ)の妹が同じ名前。

つまり、タマヨリはトヨタマと一緒で、海の神・綿津見神(わたつみのかみ=ワタツミ)の娘ということになります。トヨタマの息子で、神武の父にたる天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと=ウガヤフキアエズ)を養育、彼が長じてからはその妻となり、つまり神武の母になるわけです。

・トヨタマ - 海神ワタツミの娘で神武の祖母、タマヨリの姉
・タマヨリ - 海神ワタツミの娘で神武の母、トヨタマの妹

という少し複雑な系譜になります。

800px-Okawakami_Birafu_jinja_05さらに言えば、神武の皇后・比売多多良伊須須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ=イスケヨリ)は、オオモノヌシと勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)の子です。

こう見ていくと、天孫の家系と、国つ神が複雑な血縁関係を結びながら、勢力が拡大していった、その中心にオオモノヌシ(=オオクニヌシ(の血を引く?))がいた、ということになりそうです。

現在では、子孫で天皇を助けたオオタタネコと同時に祀られていることが多いイクタマちゃん。大神神社の摂社である大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ 奈良県桜井市)や大川上美良布神社(おおかわかみびらふじんじゃ 高知県香美市)があります。

※画像は、大川上美良布神社の社殿(出典:Wikipedia)

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【関連キャラ】
イクタマ - 三輪山オオモノヌシにゲットされた美女
オオモノヌシ - 祟ると寝取るの神様は三輪山のドン
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