雄略天皇陵20.顕宗天皇
20-2.御陵の土


顕宗天皇は、雄略天皇に殺された父・市辺押歯王の遺骨を探し出して丁重に祀り、父が殺された後の逃亡中に盗難にあった際の犯人を探し出して、本人を斬って、一族にも処罰を与えた後、憎悪のターゲットはいよいよ雄略天皇に向かいます。

雄略天皇はすでに亡くなっているので、顕宗天皇はその墓の破壊を心に決め、人を遣わそうとしましたが、兄・意祁王(おおけのみこ)が曰く「他人ではダメダメ、オレっち自ら逝って、陛下のお心にかなうよう取り計らいましょう」

顕宗天皇「兄上のおっしゃるままに」

それで意祁王は自ら雄略天皇の陵墓に行き、その陵墓の側の土を少し掘り起こしただけで帰って来て、弟・天皇に報告して曰く「すっかり片付きました」

兄があまりに早く事を終わらせて戻って来たので、いぶかしく思った顕宗天皇は質問します。

顕宗天皇「どのように壊してきました?」
意祁王「陵墓の側の土を少し掘り返してやりました」
顕宗天皇「……えっと、オヤジの敵討ちだよね? 墓全部を壊さないと意味なくネ?」
意祁王「オヤジの敵討ちは必要だけど、元天皇よ? あまり派手にそのお墓を壊してしまうと、陛下のお名前に傷がついちゃいますよ~。だから側の土を掘り返しただけで、敵討ちにもなったし、陛下の名前にも傷つかず。でしょ?」
顕宗天皇「……さっすが、アニキやな~。完ぺきやん」

顕宗天皇が亡くなった後、顕宗天皇に子どもがいないこともあり、また、兄とは天皇位を譲り合ったこともあったので、兄の意祁王がその後を継ぎ、即位しました。仁賢天皇です。

その後、仁賢天皇の子・武烈天皇が即位しますが、武烈天皇には子がなく、この皇統はここで断絶。そこで、応神天皇の五世の孫である継体天皇が迎えられて、位を継ぎました。

以後、安閑、宣化、欽明と続き、欽明の御子である敏達、用明、崇峻と続き、そして女性である推古と皇位は続いていきます。

古事記の主なエピソードは後の仁賢天皇による機転で終了しています。天皇による天皇陵破壊命令という、実現していれば史上初かつ最後の愚挙として後世に評価されたかもしれない弟の行為をやんわり戒める「ほっこり」な話題、ここで締める、という意図があるのかもしれません。

※画像は、「雄略天皇陵」Google画像検索結果のキャプチャー

【関連キャラ】
雄略天皇 - 古事記後半の主役は、傍若無人な暴君
顕宗天皇 - 父の復讐に燃え、雄略陵破壊を目論む激情家 
仁賢天皇 - 引っ込み思案も冷静な頭脳で弟の汚名を救う

【古事記の神・人辞典】
・意祁王(後の第二十四代仁賢天皇
・袁祁王(後の第二十三代顕宗天皇
雄略天皇

カスガノオオイラツメ
タカギノイラツメ
タカラノイラツメ
クスビノイラツメ
タシラガノイラツメ
マワカ
ヒノツマ
ヌカノワクゴ
カスガノオダノ

武烈天皇

継体天皇
タシラガノイラツメ
ワカヒメ
オオイラツコ
イズモイラツメ
メコノイラツメ
オクミノイラツメ
ササゲノイラツメ
クロヒメ
カムサギノイラツメ
ウマグタノイラツメ
シラサカノイクメコ
オノノイラツメ
ヤマトヒメ
オオイラツメ
マロタカ
ミミ
アカヒメ
ハエヒメ
ワカヤノイラツメ
ツブラノイラツメ
アズ

筑紫の君の磐井
物部荒甲
大伴金村

安閑天皇

宣化天皇
タチバナノナカツヒメ
イシヒメ
コイシヒメ
クラノワカエ
カワウチノワクゴ
ホノホ
エハ

欽明天皇
イシヒメ
ヤタノ
カサヌイ
コイシヒメ
カミ
ヌカコノイラツメ
カスガノヤマダノ
マロコ
ソガノクラ
キタシヒメ
イワクマ
アトリ
マタマロコ
オオヤケ
イミガコ
ヤマシロ
オオトモ
サクライノユミハリ
マノ
タチバナノモトノワクゴ
ネド
オエヒメ
ウマキ
カツラギ
ハシヒトノナホベ
サキクサベノアナホベ

敏達天皇
シヅカイ
タケダ
オハリダ
カツラギ
ウモリ
オハリ
タメ
サクライノユミハリ
オクマコノイラツメ
フトヒメ
タカラ
ヒロヒメ
オサカノヒコヒト
サカノボリ
ウジ
オミナコノイラツメ
ナニワ
クワタ
カスガ
オオマタ

用明天皇
オオギタシヒメ
タメ
ウマヤド
クメ
ウエクリ
ウマラタ
タギマノクラ
イイ
タギマ
スガシロコノイラツメ

崇峻天皇

推古天皇

舒明天皇

前へ | 目次 | 次へ