
18-1.市辺押歯王の謀殺
安康天皇を殺した連れ子の眉輪王。その仇を討とうとして、安康天皇の弟・大長谷王(おおはつせのみこ)は煮え切らない兄二人を殺し、その後に眉輪王を攻めたて、死に追いやりました。その後即位して、雄略天皇です。
ある日、近江国(現 滋賀県)の人から、「近江の久多綿(くたわた)の蚊屋野(かやの 現 滋賀県蒲生郡日野町鎌掛付近?)という所に、たくさんの猪や鹿がいます。その脚は茂った林のごとく、その角は枯れた松のごとく、たくさんいます」と聞いたので、さっそくいとこの市辺押歯王(いちのべのおしはのみこ=イチノベノオシハ)とともに狩りに出かけました。

次の朝早く、まだ日が昇らないうちに、イチノベノオシハは馬に乗ったまま、雄略天皇の仮宮の傍らに来て、お供の人に曰く。「まだ寝てるの? もう夜はとっくに明けているから早く起きて来いよ。狩りに行っちゃうよ~」
お供の人は雄略天皇にすぐさま報告「すげー、無礼な態度でした キリッ」。さらに「何があるかわからないので、武装して行った方がよがす」とご注進。
雄略天皇は衣の中に鎧を着て、弓矢をつけて、馬に乗って出かけると、すぐにイチノベノオシハに追いつきソッコー殺っちゃいます。お供の人は「気をつけて」とだけ言ったのに、見つけて問答無用で殺害って。。
その殺し方もえげつない。矢をつがえて射殺し、体を切り刻んで馬の飼い葉桶に放り込んで、墓も立てずに土の中に埋めました。
イチノベノオシハの御子たち、意祁王(おおけのみこ=兄)と袁祁王(をけのみこ=弟)は父が忙殺されたと知り、逃げ出します。途中、山城国(現 京都府)で、お弁当を食べている時に、そのお弁当を「山城の猪飼」(ヤマシロノブタカイ)と名乗るものに強奪されちゃいます。
踏んだり蹴ったりの兄弟はさらに逃げて、最終的には播磨国(現 兵庫県)まで来て、そこの住人シジムの家に入り、馬飼い、牛飼いとして使われることになります。
古事記本編ではこのまま雄略天皇編がしばらく続きますが、雄略天皇が亡くなることで、この二人がにわかに脚光を浴びることになります。
※画像は、「市辺押歯王」Google画像検索結果のキャプチャー
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【関連キャラ】
・雄略天皇 - 古事記後半の主役は、傍若無人な暴君
・顕宗天皇 - 父の復讐に燃え、雄略陵破壊を目論む激情家
・仁賢天皇 - 引っ込み思案も冷静な頭脳で弟の汚名を救う
【古事記の神・人辞典】
・雄略天皇(大長谷命)
・カラフクロ
・イチノベノオシハ
・ヤマシロノブタカイ
・シジム
・意祁王(後の第二十四代仁賢天皇)
・袁祁王(後の第二十三代顕宗天皇)
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