16.允恭天皇
16-1.金波鎭漢紀武
長身イケメンの反正天皇が亡くなると、その弟の男浅津間若子宿禰王(おあさづまわくごのすくねのみこ)が即位します。允恭天皇です。
允恭天皇は子だくさんで、まず、木梨之軽王(きなしのかるのみこ=カルミコ)を皇太子に指名します。
また、娘の軽大郎女(かるのおおいらつめ=カルノ)は絶世の美女であり、衣通郎女(そとおしのいらつこ)とも呼ばれていました。あまりの美しさに、その身の光が衣を通して出ているような娘という意味です。
カルミコとカルノ、この同母兄妹が古事記の文学的側面上最も美しいとされる愛の物語を奏でることになります。
はじめ、允恭天皇は子だくさんの割に病弱で、天皇位も辞退するほどでした。しかし、皇后をはじめ、周囲が協力して盛り立てたので、無事に政治をすることができました。
この時、新羅国(しらぎのくに)の王が船八十一艘からなる大船団で貢物を届けてきました。その大使が金波鎭漢紀武(こみばちにかにきむ)と言い、薬の処方をよく知っていたため、允恭天皇の病状に合う薬を処方し、允恭天皇も健康を回復しました。
その後、允恭天皇は人々の氏姓が乱れていることを嘆き、この改善に意欲的に取り組んだりします。また、いろいろな氏を創出したりもしています。
※画像は、「允恭天皇」Google画像検索結果のキャプチャー
【関連記事】
・【古事記を彩る姫たち】カルノ - 日本古代史上最高の美女は兄妹愛に殉じて伊予に散る
【古事記の神・人辞典】
・允恭天皇
・オオナカツヒメ
・カルミコ
・ナガタノオオイラツメ
・クロヒコ
・安康天皇
・カルノ
・シロヒコ
・雄略天皇
・タチバナノオオイラツメ
・サカミノイラツメ
・金波鎮漢紀武
・タイノナカツヒメ
16-1.金波鎭漢紀武
長身イケメンの反正天皇が亡くなると、その弟の男浅津間若子宿禰王(おあさづまわくごのすくねのみこ)が即位します。允恭天皇です。
允恭天皇は子だくさんで、まず、木梨之軽王(きなしのかるのみこ=カルミコ)を皇太子に指名します。
また、娘の軽大郎女(かるのおおいらつめ=カルノ)は絶世の美女であり、衣通郎女(そとおしのいらつこ)とも呼ばれていました。あまりの美しさに、その身の光が衣を通して出ているような娘という意味です。
カルミコとカルノ、この同母兄妹が古事記の文学的側面上最も美しいとされる愛の物語を奏でることになります。
はじめ、允恭天皇は子だくさんの割に病弱で、天皇位も辞退するほどでした。しかし、皇后をはじめ、周囲が協力して盛り立てたので、無事に政治をすることができました。
この時、新羅国(しらぎのくに)の王が船八十一艘からなる大船団で貢物を届けてきました。その大使が金波鎭漢紀武(こみばちにかにきむ)と言い、薬の処方をよく知っていたため、允恭天皇の病状に合う薬を処方し、允恭天皇も健康を回復しました。
その後、允恭天皇は人々の氏姓が乱れていることを嘆き、この改善に意欲的に取り組んだりします。また、いろいろな氏を創出したりもしています。
※画像は、「允恭天皇」Google画像検索結果のキャプチャー
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